日本キリスト教団 大塚平安教会  

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憐れみ、贖って下さい。

2019-10-30 16:20:04 | http://www.ohtsukaheian.jp/
【詩編26編1~12節】
【ルカによる福音書18章15~23節】


 これまで何度も、私が岩手県出身であることを話しておりますが、岩手県の奥羽山脈沿いの秋田県との県境に沢内村という村があります。現在は、合併しましたので村とは呼ばれなくなりましたが、この場所は岩手県の中でも最も雪深い、また一年の半分は冬という村です。
 岩手県自体が、田舎ですけれど、その中にあってもかなりの田舎で、ですから、日本の中でも最も田舎の地域の一つと言っても良いのではないでしょうか。

 その沢内村に、今から凡そ60年前の1958年、私の生まれる少し前の年ですが、深沢晟雄(ふかざわまさお)という人が51歳で村長になりました。
 深沢村長の最初に行った業績は、村に除雪用のブルドーザーを購入したことでした。冬の時期には積雪が4mほどになり、2階から出入りするようになる地域ですから、どうしてもブルドーザーが必要でした。しかも、大型で力強いものが欲しい、けれど当時、岩手県内にその強力で力強いものは2台しかなかったそうです。 
 深沢村長は熱心に探し求めますけれど、簡単に手に入る物でもない、ですから次第に「村長は嘘つきだ」とまで言われたそうです。それでも最終的には、その熱意が伝わり、小松製作所が名乗りを上げて村に貸しましょうとブルドーザーがやって来たそうです。
 これで、冬場でも病院にもいける、学校にも行ける、買い物にもいける、村の人たちは大喜び、また村長の頑張りを見て、自分達も「やれば出来る」という希望をももたらすことになります。

 村長が次に行ったことは、定期的な乳児検診でありました。当時、殆ど村には医者がいない状態で、少し極端かもしれませんが、病人が医者に会うのは、死んだ時だと言われていたそうです。死亡診断書を書いてもらうために医者が必要だという意味です。劣悪な医療状況ですから、村の乳児死亡率(生後一年未満の死亡率)が極めて高い、当時の記録では、乳児1000人に対して、国内では東京都が最も低く25.7人、岩手県は国内で最も高く66人、沢内村はそれよりも高く69人程でした。理由は栄養不足と日照不足です。因みに2年前、2017年度の日本の乳児死亡率は1.9人とありました。

 ですから定期的な乳児検診を開始した。その為にも村に医者をと願い、自分の母校でもあった東北大学に通い詰め、何度も通ってくる村長の姿に、大学側もその熱意に押されて、一人の優秀な医師が常駐の医師として着任することになりました。それが深沢村長2年目のことです。けれど、それで良かったと終わるわけではありません。村の人々は医者にかかることをとても恐れていました。というより、医者を信用していませんでした。これまで村に医者としてやって来た人が、耳が聞こえず、聴診器が全く使えない年寄り医者であったり、うつ病の医者だったり、薬物依存の医者だったりと、まともな医療活動が行えない医者だったようで、村人は逆に酷い目にあっていたこともありましたし、更には、医者はお金を沢山取るから、家の財産が無くなる、だから病院には行かない、「医者に行ったら、かまどを返す」と言われていたそうです。
 
「かまどを返す」とは秋田、岩手当たりの年配の方なら、そのニュアンスまで良く分かる言葉ですが、破産するという意味です。借金して夜逃げするほどだという、そんな思いが込められています。だから、そんなことにならないように、自分達は医者に行かないというわけです。

 しかし、それでは村の人々の健康が守られない、村長は熱心に村人に対して、医者に行くように検診を受けるようにと、行脚して歩いたそうですが中々上手く行かない。
 そこで、村長が決心したのは、高齢者と乳児の医療費を無料にするという案でした。当時の健康保険は、5割負担だったそうです。ですから、自己負担の5割を村が持つと決めました。

 けれど、そこに待ったがかかります。岩手県庁が待ったをかけました。国民健康保険法違反であると言われます。半分は自己負担、それが法律だというのです。村の議会からも「村の条例違反である」と反対されて、村長は窮地に立たされてしまいます。
 でも、深沢村長は、県からも村の議会から反対されても、なお信念を貫いてこう告げました。

 「国民健康保険法に違反するかもしれないが、憲法違反にはなりませんよ。憲法が保障している、健康で文化的な生活すらできない国民がたくさんいる。訴えるならそれも結構、最高裁まで争います。本来国民の生命を守るのは国の責任です。しかし国がやらないのなら私がやりましょう。国は後からついてきますよ。」

 国は後からついてくる。だからやるしかない。元々、村長はなんとしても村人の命と健康、特に子供たちの命を守りたいという信念がありました。その為なら法律違反と言われても、憲法違反にならないはずだと、いや、国は後からついてくる。その信念によって村議会を通過させ、1961年、村長になって3年目に、乳幼児に対する医療費無料を実現させたわけでありました。この議決は勿論、日本でも初めてのことでありました。

 その後、1962年度の一年間は、沢内村の乳幼児は一人も死亡することなく、日本の地方自体の中で、初めて乳児死亡率0%を達成することとなりました。勿論、その後は、全国各地から沢内村の行政の在り方の視察団が群れを成してやってくることとなり、深沢村長が話した、「国は後からついてくる」という言葉も成就することになります。けれど深沢村長はその後、自分の体にガンが見つかり、手術を受けて、治療に専念しますが、当時の医学では難しい状況であったのでしょう。現役村長のまま59歳で天に召されています。

 この話はあまり、全国的に知られているわけではないかもしれません。けれど、私は色々な岩手県の偉人と呼ばれる方々がいますけれど、深沢晟雄村長は、どんなに偉大な働きをした先人にも負けない一人であったと思います。

 今日は、ルカによる福音書から、主イエスが「子どもを祝福する」という箇所を読んで頂きました。「イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。」とあります。2000年も前の時代、一体、どれだけの乳幼児が生まれ、しかし死んでいったでありましょうか。一説によれば、乳児死亡率は30%と言われます。生きて生まれて来た子どもが一年以内に1000人中、300人は死亡するというのです。更に30%は6歳までに死亡して、16歳までには60%が死亡したとも言われます。20歳までには半分以上が死んでしまう状態であったと思われます。医療と呼ばれるようなものもなかったでしょうし、多くの場合、殆ど何も出来ないままであったかもしれません。

 そのような劣悪な環境、状況に置かれている乳飲み子を、人々が主イエスのもとに連れて来たのです。なぜかといえば「イエスに触れていただくため」です。神の祝福を貰いに来た。この子がどうぞ無事に育って欲しい、真っすぐな純真な親の思いであろうと思います。けれど、その状況を見て、弟子たちが叱りました。なぜ、叱ったのか、 

 そんなに難しく考えなくて良いと思います。ここは大人の世界の場である。子供ごときがくるような所ではないと思ったのでしょう。帰った、帰ったと叱り飛ばしたのだと思います。しかし、その様子を見ていた主は、乳飲み子たちを呼び寄せて言われました。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」更にこう言われます。「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることは出来ない」

 皆さん、この主イエスの御言葉をどう読まれすか?人々が乳飲み子を連れて来た。弟子たちはその人々を叱った。しかし、主イエスはそれをたしなめて、乳飲み子を抱き上げて、祝福して、この子供のように神の国を受け入れる人でなければと、話された。そうだ、その通りだと思われるでしょう。

 弟子たちの姿は神から遠い姿であって、私達ならそんなことはしない。と思われるかもしれません。現にこうして、私たちは子どもの教会と合同礼拝を守りながら、特に、今日はコールエンジェルさんの賛美を聞きながら、子どもたちも受け入れながらの礼拝、ここにこそ神の国が見えるのだと思われるかもしれません。

 けれど、本当にそうでしょうか。主イエスは、神の国とは、「大人の国でもあり、子供の国でもある」と言っているわけではありません。「信仰の世界は大人の世界であって、教会の生活は大人の生活であって、勿論、そこには子供たちが入るべき余地はある」と言っているわけでもありません。主は「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこにはいることは出来ない」と話されました。この御言葉は、大人よりも、ずっと子どもの方が神の国に近いということではないでしょうか。

 私たちはいつの間にか、大きくなればなるほどに、この世の中を上手く生きて行くための知恵を身につけて行きます。その知恵を手に入れるためにも、勉強は必要だと誰もが思います。勉強が良く出来る方がこの世を上手く生きて行けるはずだとも思います。私もその通りだと思います。大人になり知恵を用いて、良い世の中になるようにと国の中で、決まりごとが決められていくのです。
 
 しかし、人の優れた知恵によって決められる法律、ユダヤ教の世界では律法という優れた決まりごとがありました。しかし、その決まり事を主は幾度も、幾度も破ってしまうことによって十字架に架けられてしまいます。しかし、なぜ破ったのか、人の知恵に勝る神の愛を訴え、神の愛に生きるよう人々に訴えたからです。

 深沢村長は、決められていた法律に反対し、抵抗し、「国は後からついてくる」とさえ告げて、幼子の為に尽力しました。

 先日の台風19号がやって来て、大きな被害が出ました。その中で神奈川の山北町の話をご存知だと思います。町が断水して困っている様子を知った自衛隊の給水車が到着していたのに、神奈川県はそれを拒否して、自衛隊は給水出来ず帰ってしまったという話しでありました。県の給水車はそれから5時間後に到着したとありました。

 一体、どうなったのかと誰も驚いたのではないでしょうか。でも、それが現実です。人の困窮、困難を上回る法律が優先されてしまったのではないですか。でも、この話は、神奈川県が悪いとか、県知事が謝罪したとかという話しでもありません。
 そういう世の中を、そういう時代を、いつの間にか私達が作っているのだと思います。そしてそれが、主イエスが子どもたちを来させなさいと言って、乳飲み子さえも、乳飲み子だからこそ愛して、愛して止まない神の愛を忘れていっている姿だとしたら、大変悲しいことではないでしょうか。

 主イエスはそれほど、難しい教えを教えらえているわけではありません。ただ神を愛し、隣人を愛しなさいと教えておられる。愛することを徹底的に教えておられる。その愛に生きることを望んでおられる、と私は思います。そして、その愛は、最も弱い、最も小さい者に対する愛の姿として、主イエスが示して下さいました。

 私たちも、幼子のような思いを持って、神の懐に抱かれて、包み込まれながら、その愛を受け、更には、その愛を伝える者へと導かれて歩んで参りましょう。

 お祈りします。

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