日本キリスト教団 大塚平安教会 

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唯一の主

2017-06-02 15:52:14 | 礼拝説教
【ルカによる福音書24章44~56節】

 ルカによる福音書の最後の箇所を読んで頂きました。ルカによる福音書の最後の箇所は復活された主イエスが「天に上げられる」という場面でありました。今年で言いますと先週の木曜日が主イエスの昇天日となりますが、50節にどのようにして天に上げられていったのかが記されています。「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。」主が天に上げられる時、手を上げて弟子たちを祝福された場面です。

 祝福された弟子たちはどうであったのかが52節以降です。「彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」

 神をほめたたえる弟子たちの姿が分かります。主なる神から見れば弟子たちを祝福する。弟子たちから見れば神をほめたたえる。神と人との豊かな交わりを感じる良い聖書箇所であると思います。

 注解書に興味深い指摘がありました。ここに記されている、「祝福する」という言葉と「ほめたたえる」という言葉は同じ言葉である。なるほどと思いまして、英語の聖書で確認しましたら、確かにどちらも同じ言葉が使用されていました。ですから、神が人をほめたたえ、人が神を祝福するでも良いということでしょう。ただ日本語的にはそれでは具合が悪いので、神が祝福する、人は神をほめたたえるとなったと思われますが、更に興味深いのは、注解書は、そのもっと元となる言葉の意味は「良い言葉を語る」ということだとありました。

 主イエスが弟子たちに対して、良い言葉を語る時、それが祝福の言葉となり、弟子たちが神に対して良い言葉を語る時、それがほめたたえるのだと言うのです。
 相互に、自分の側から、相手に対して良い言葉を語る時、そこに見えてくるものこそ、祝福であり、ほめたたえること。とても大切だと思います。

 振り返りまして、私たちは日頃、どこまで良い言葉を語りえているのかと思います。先日、娘の学校で1学期の中間試験がありまして、その対策の為にお父さん一緒に勉強しようというのです。教えてくれではなく、一緒に勉強しようという、どういうことかなと思いましたら、社会の教科書を私が適当に読んで、色々と質問してくれというのです。試験個所は第一次世界大戦からベルサイユ条約やワシントン会議といった、近代社会の歴史でありました。
日本という国が韓国や中国に対して領土を拡大していく様子なども記されてありました。日本は1910年~1945年までの35年間、朝鮮総督府を置いて、実行支配したわけです
 けれど、韓国もだまって支配されたままではありませんで、幾度も独立運動が繰り返されたものと思われます。その中で最も知られているのが1919年3月1日に起こった独立運動でしょう。そのことも教科書に記されてありました。そのような独立運動に対して日本は立ち上がった韓国の人々にして鎮圧したと記されていたのが、気になりまして、娘にこれは「鎮圧」ではなく、「弾圧」だと思うよと話しましたら、だって教科書にそう書いてあるから、弾圧と書いたら〇がもらえないというのです。その通りだと思います。教科書そのものも、ここに弾圧と記したら教科書検定で指摘されるわけですから、鎮圧としか記されないと思います。
 
 そこで、娘に、三一運動の中で起こった、教会焼き討ち事件の話をいたしました。韓国の独立運動の指導者の中心は宗教的指導者です。仏教でも、キリスト教でも、僧侶であり、牧師でありました。ですから当然、韓国の教会は目を付けられていまして、日本語では「堤岩里キリスト教会」という教会に、地域の人々23人が集められて、日本兵がその人々を射殺し、そして教会そのものを焼き払ったという事件です。教会関係者には良く知られている事件でもあります。その話をしましたら、娘は怒り出して、なぜ教科書は本当のことを書かないのかと文句を言い出しました。

 けれど、歴史と言いますのは、どこからその出来事を見るのかということでもあります。同じ出来事であっても、韓国から見る視線と日本から見る視線では物事の解釈や考え方に大きな違いがあります。数年前に、神学校の関係で韓国に行きました時に、韓国の独立記念館を見学しました。そこにはひたすら日本兵が韓国の住民に対して拷問や弾圧をし続けている写真や模型が沢山飾られていました。こういう所は、絶対に観光地のルートにはならないだろうと思いながら見ていました。
 けれどまた、広島、長崎の原爆のことを考えれば、日本からすればとんでもない出来事ですが、アメリカから見れば、戦争を早く終わらせるのには原爆は必要であったと考えるアメリカ人が圧倒的であろうと思います。同じ出来事だとしても、どの視線から物事を見るのかによって物の考え方が変わる、それが歴史を学ぶことでもあるのだと、娘に話しました。
 そう話しましたら、お父さん、それじゃいつまでたっても私たちは平和に生きられないね、と言われてしまいました。
 
 でも、その通りだと思います。それぞれに生まれも、育った背景も、考え方も違う一人ひとりが、それぞれの都合で、それぞれの思いを主張し始めるとしたら、そこからどうやって平和を導き出せばよいのかわからなくなります。しかもそういったことは、本当は、ごく身近な問題です。何も特別に歴史を学ばないとしても、私たちは日常生活の中で、家族の中で、親としての主張と、子としての主張とがあり、学校では先生として、生徒としての主張があり、職場では上司として、しかしまた、部下として、それぞれの立場から物事を考え、また話すのだろうと思います。それぞれの立場で、時には怒りを感じ、喜びを感じ、苦しみを感じる。私たちの社会がどんなに技術文化が進んでいるとしても、その社会を営んでいるのは機械ではありません。命与えられ生きている私たちが、人と人との火関わりの中にこそ、私たちの社会があるとも言えるでしょう。

 そんな社会の中で、家庭で、幼稚園で、学校で、職場で、夫婦で、親子で、どんな言葉、どんな会話を私たちはしているのか。大切なことは、神が祝福し、弟子たちが褒め称えたように、つまり、主と共に歩む者は「良い言葉」を語ることによって人生を営むのだということでありましょう。
ルカによる福音書の最後の箇所において、神が弟子たちを祝福される、弟子たちが神をほめたたえる。そのようにして、私たちが生きていく。その営みの大切さを示すためにも、この福音書が記されたのであるとも、ルカは考えたのではないでしょうか。

「彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」更に、もう一つ大切な御言葉は、「絶えず神殿の境内にいた」という御言葉です。次週のペンテコステ礼拝から今年も早くも6月になります。私たちの教会が新しく建てられまして、献堂式を行いましたのは2年前の2015年の6月28日のことでした。
 
 もうすぐ、早くも丸2年目を迎えようとしています。振り返ればあっという間であったと思いますけれど、しかし、この目に見える会堂を立てるために、私たちにどうしても必要だったのは、目に見えない教会、主にあるエクレシア、信仰共同体を建てていくことであったと思います。私たちはこの目に見える会堂を建てるにあたって幾度も話し合いましたし、また、乗り越えなければならない課題が幾つも与えられていました。今から思うと、よく乗り越えて来たと思います。勿論、神の導きがなければなし得なかった業でありましょう。

 3週間ほど前の礼拝に、Yさんという方が礼拝に来られました。横浜山手キリスト教会の会員の方です。会堂建設について、表のタイル画や、教会のステンドグラスについて関心があっって来られたようですが、今、横浜山手キリスト教会は、会堂を取り壊して、いよいよ着工に取り掛かろうとしています。昨年は教会員、大勢の方々で見えられました。場所については良くわかりませんけれど、横浜の石川町から歩いて3分、関内から歩いて12分とありましたから、きっと素敵な場所に建っているのだと思います。でも、写真で見ましたら、とても高い場所に建てられているのです。私たちの前の会堂も高い場所でしたが、それどころではなく、下の道路からは見上げるような高さにある教会です。ですから、壊すにも建てるにも相当大変だと伺いました。そんな訳で余計に私たちの教会建築に関心があったのかもしれません。

 様々な課題が与えられる、でも、その課題を通して、私たちが建てて来たのは、確かにこの教会であり、この会堂であったと思いますけれど、それ以上に、私たちは主にあって、学んだことは、私たちがどの立場から見て、考えるとしても、そうだ、この会堂を建てていこう、主にあって一つになろう、という力が働いてこその会堂建設であったということであったと思うのです。
どうして古い建物ではなく、新しい建物なのか、私たちが建てようと決意した際に、意見の中にこれまでの建物でも良いのではないかという話はなかったと思います。ですから、余計に話が前に進んでいったわけですが、どうして新しくするのか、この場でこの建物で誰もが、「絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえるため」であったことは間違いありません。すなわちそれは、互いに「良い言葉」を語り続けることでありましょう。

 私たちの日常生活の中では、時として語りえない「良い言葉」を語る場所がこの場所なのです。
 先日、5月の青年会では、海老名市出身の信仰の先達である大島正健について、学び、ゆかりの場所を尋ねることをしました。大島正健は、海老名の中新田に生まれ、非常に優秀な成績で札幌農学校、現在の北海道大学の一期生として北海道に渡りました。
そこで、出会ったのがクラーク博士であり、二期生として入学してきた内村鑑三、新渡戸稲造でありました。彼らはクラーク先生の元で、信仰を学び、キリスト教信仰に生きた人々でもありました。しかし、このことは初めて知ったのですが、クラーク先生から洗礼を受けたわけではなく、それぞれがそれぞれに通っていた教会で洗礼を受けたようであります。
 ですから、人によっては自ずと聖公会の教会員となり、人によってはメソジストの教会員となっていく。当時、激しかったと言われる、いわゆる教派争いに巻き込まれて行くのです。そのような争いを見るにつけ、自分達はクラーク先生から信仰を受け継いだ者として、一つになろうと決意するにいたったとありましたから、そこからもしかしたら内村鑑三が伝えたところの無教会主義的な考え方が生まれたのかもしれないとも思います。

 2週間後に、山形のキリスト教独立学園の校長された安積力也先生をお迎えしますが、独立学園という学校は、内村鑑三の弟子のひとり、鈴木弼美先生が創設した学校ですから、恐らく大変詳しいと思いますので、聞いてみたいとも思っております。
そこから分かることの一つは、日本のキリスト教は、必ずしも様々なキリスト教の教派同士が争うようにして伝道することが良いことではないということではないでしょうか。

 すなわち、大島正健にしても、内村鑑三にしても、多くのクラーク先生の弟子たちが、教会で聞くことが「良い言葉」ではなかったということでしょう。
 人は「良い言葉」を聞きたいのです。自分が力づけられるだけでなく、相手にとっても力となり、励みとなる言葉を聞きたいのです。祝福となる御言葉を聞きたいのです。その「良い言葉」とは何か、それは、私たちが信じる、唯一の主は、主イエス・キリストであるという信仰の言葉でありましょう。
この新しい会堂においても、今、多くの方々が日々出入りするようになりました。その一人ひとりがいつの日か、主イエスに対する信仰を新たにするように、私たちがなすべきことは主イエスをほめたたえる事でありましょう。主を称え、主の御名はほむべきかな、と語り伝えることでありましょう。
疲れた者、重荷を負っている者は、だれでわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

 この御言葉は私たちの教会の看板に付けられている御言葉です。この会堂に、この教会に、この場で、良い言葉を語る私たちが、これからも尚一層、多くの方々と共に歩んで行けるようにと心から願います。この場が主の聖霊に満たされ、神の恵みの場として、益々祝福されますようにと、心から祈ります。お祈りましょう。


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