日本キリスト教団 大塚平安教会  

教会情報や牧師のコラムをごちゃごちゃと

聖なる公同の教会

2018-10-15 09:54:13 | 礼拝説教

【エフェソの信徒への手紙4章1~11節】

 先週の日曜日は台風24号が来ようとしている日でありましたが、午後からさがみ野ホームで、召天者記念礼拝を行いました。その二日前には異例のことでしたが、北村志津子姉の二度目の納骨式を厚木霊園でおこなっております。日曜日が暮れて、台風も過ぎた火曜日は、かねてからお願いされていたさがみ野ホームに長くおられた方の納骨式を行いまして、木曜日は綾瀬ホームの召天者記念礼拝を執り行いました。次の金曜日は、急なことでしたが、綾瀬ホームに長くおられた方が召されたと伺い、葬儀を執り行い、昨日の土曜日は、角田真澄姉の納骨式を天候に恵まれて静岡県の富士霊園で行ってまいりました。

 この一週間程の間に、何度葬儀に関わることを行ったか、これまで経験のないことでしたけれど、どの時も主なる神様の守りの中で、天候にも支えられて心を込めて行うことが出来ました。感謝でありました。
さがみ野ホームや、綾瀬ホームで召された方は、必ずしもキリスト教を信じて、洗礼を受けておられた方ではありません。とは言いましても、葬儀の際、また納骨の際には讃美歌を賛美し、祈りを献げ、聖書が読まれ、御言葉が告げられます。
どの儀式においてもそれは変わりません。そして、また今回、そのような人を天に送る儀式を執り行いながら、改めて思わされましたことは、私たちは神に招かれているのだ、ということでありました。

 神が招いておられる。例えば、納骨の式が行われる際に私はこう祈ります。「わたしたちの主イエス・キリストは、十字架の死の後、アリマタヤのヨセフによって備えられた墓に納められましたが、その所を、栄光に輝く復活を告げ知らせる場となさいました。」墓地という場所は、私たちの死を意味する場所です。子供時分にはどんなに墓地が怖い所かと思っておりました。けれど、そのような場所を神が栄光に輝く復活を告げ知らせる場として下さったと祈るのです。

 先週の水曜日、葬儀と納骨式の間に挟まれた日であったようにも思いますが、午前には婦人会が行われ、夕には祈祷会が執り行われました。祈祷会で、今共に読んでいる箇所は、コリントの信徒への手紙という箇所です。その15章12節からの箇所を読んで、共に祈りを捧げました。

 そこにはこう記されてあります。「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」
 コリントの教会の人々の中に、どうもキリストの復活について疑いを持っている人々がいたものと思われます。イエス様の教えや、奇跡の業、その御言葉は信じることが出来ても、復活についてはどうも信じることが出来ない。受け入れられない。そんな人が一人ではなく複数人いたと思われます。

 しかし、パウロはそのような思いは違うと主張します。なぜ違うのか、主イエス・キリストの十字架は、私たちの罪故の十字架でありました。ですから今でも教会のシンボルは十字架です。罪という借金を負っている者が、同じ借金を負っている者に肩代わりしてもらえないように、私たち人の罪を、人が贖うことは出来ません。だから、罪の無い、全く借金をしていない主イエス・キリストによって、その十字架によってこそ、私たちの罪は赦されました。ですから十字架は大切な私たちのシンボルです。

 けれど、パウロは、十字架刑だけでは足りないと告げているのです。キリストの復活が何よりも大切であって、この復活がなければ私たちの宣教は無駄であるとさえ言い切ります。なぜでしょうか。

 キリストが復活しなかったのに、復活したと言っている私たちはまるで偽証人のようだし復活しなかったのなら自分達の信仰は空しいとも言うのです。なぜでしょうか。なぜ、パウロが主イエスの復活を大切に考えていたのでしょうか。

 主イエスが死なれたのは十字架によってでありました。十字架は罪人、悪人の極刑の印です。主イエスを憎み、妬ましく思っていた当時のユダヤ人指導者が願った形の処刑であり、その通りに物事は進んでいきました。そして、主イエスは十字架刑に処せられました。

 しかし、もし、そこで全てが終わっていたとしたらどうなっていたのか、主イエスは、罪人の中の罪人として、極悪人の一人として処理されただけで終わるのです。そこからは何も始まりません。キリスト教もなければ、イエスという方の地上での働きも記されないままであったでしょう。

 けれど、命をかけてまでパウロが主イエス・キリストこそ、私たちの救い主であり、メシアであり、この方こそ私たちを導いて下さる方であると告げているのは、全ては主イエスが三日の後に復活されたからです。この主の復活がなければ何も始まらなかったのです。それほど主イエスの復活は決定的であって、復活があったからこそ、罪人の極刑の十字架は、キリストを信じる者にとって、主イエスの復活があって、初めて私たちに対する罪の赦しの業であったと、弟子たちも、パウロも、私たちも知ることが出来たのだと思います。

 世の中には様々な宗教があります。明治学院の今は名誉教授をされている阿満利麿という先生が記した「日本人はなぜ無宗教なのか」という本の中に、宗教には二つの種類があって、一つは創唱宗教、もう一つは自然宗教であると説明しています。
 創唱宗教とは創始者がいて、創始者の教え、導き、あるいは経典等によって形成されていく宗教であって、自然宗教とは特別な創始者はいないというのです。ですから山も神となり川も神となり、海も神となり、太陽も神となる、そのような宗教観があると説明しています。日本人は自然宗教の中に生きているので、宗教観が薄いのだと教えています。しかし、そうなると、キリスト教の創始者はイエス様であって、創唱宗教のカテゴリーに入るわけですが、私は果たして、本当にイエス様を創始者としてキリスト教が成り立っているのだろうかと思う。

 キリスト教の始まりは、主イエスの復活にこそあるからです。この復活の出来事は、主ご自身が御自分で復活されたのではありません。父なる神の御心によって、神の業がキリストに働いて、主イエスは復活された。甦りの初穂となられたのです。勿論、父なる神と、子なる神であるキリストは聖霊と共に三位一体の神であると説明しますから、創始者はやはりイエス様であると言うことは出来るでしょう。

 けれど、主イエスが復活された出来事が決定的なのです。使徒パウロはこう伝えました。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪の為に死んだこと、葬られたこと。また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後12人に現れたことです。」
 パウロが最初期のキリスト者から受けた教えは、聖書に書いてある通り、主イエスが罪の為に死んだことであり、葬られたことであり、三日目に復活したことなのです。

 主イエスが復活された、この出来事、墓地という人の命が葬られる所を栄光に輝く場所とされた方の力によって、復活の喜びがもたらされました。この喜び、この福音にあなたがたも共に預かって欲しい、これがパウロの切なる願いでありました。

 読まれましたエフェソの信徒への手紙4章1節から読みますがこうあります。「そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛を持って互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。」
 パウロは、自分は囚人となっていると伝えます。既に申し上げていますように、恐らくパウロはローマの牢獄に繋がれている時に、このエフェソ書を記したであろうと考えられていますから、まさに囚人であったと言えますけれど、しかし、それだけでもなく、パウロは自分がキリストに完全に捕らえられたと感じていたのではないでしょうか。キリストの愛の囚人として今の自分がいるという意味も込められているのではないでしょうか。そのように思っているパウロは「神から招かれたのですから、その招きにふさわしく」と記しました。
 
 主イエス・キリストの復活の出来事は、私たちに対する招きです。徹底的な神の罪の赦しと、無条件、無尽蔵なほどの神の愛の中へと私たちを招いておられる。教会は復活の主イエスによって「招かれた者」の集いの場であり、十字架というシンボルを示しながら、死の、その先にある復活を告げ知らせる場所として、この世に建てられているのではないでしょうか。
 
 本日の説教題を「聖なる公同の教会」といたしました。教会は聖なる場所である。何よって聖なる場所なのか、私たちの信仰によってなのか、違います。私たちの生き方によってなのか、違います。私たちの礼拝の姿勢によってなのか、それも違います。復活された神の招きによって、その招きに答えて集う者の場所であるから、聖なる場所とされているのだと思います。私たちは聖なる民とされているのです。

 この礼拝を聖なる時として、聖なる場所として、復活の主イエス・キリストを示し続けて参りたいと思います。

 9時からのファミリー礼拝でも申し上げたことですが、テレビの世界で「一発屋芸人」と呼ばれる芸人がいる。誰とは申しませんが、ある一時の間、大変売れてテレビなどに引っ張りだこになる、時にはその年の流行語大賞に選ばれたりする、けれど、ある時からいつの間にかその人を見なくなる、そういう芸人を一発屋芸人と呼ぶそうです。

 そういった人たちについて、ある辛口で有名な芸人さんがこうコメントしていました。「売れている時の芸はとても面白いし、ずっと見ていても見ている方はかなり面白いと思うのに、同じことを長くやっていると芸人さん自身がつまらなそうにやっているように見える。自分がつまらないと感じているものを見て、人が面白いと思うだろうか」私はとても納得しました。なるほどと思いました。

 先ほど、旧約聖書の列王記でアラム軍の司令官であるナアマンが思い皮膚病になった箇所を読んで頂きました。ナアマンはどんなに辛い思いをしたことかと思いますが、預言者エリシャは、「ヨルダン川に行って七度身を洗えば治り、清くなる」と伝えました。その言葉にナアマンは怒りました。なぜ怒ったのか、皮膚病には何よりも清い水が必要です。皮膚を清潔にするためにも水が大切である。ナアマン自身、それくらいのことは知っている、それくらいのことはとうに行っていると思ったのではないでしょうか。いつものこと、わかっていることをしても何になるのか、そう思ったのではないでしょうか。しかし、ナアマンは家臣にいさめられて、改めて心を新たにして言われた通りのことを行ったら、皮膚病が治ったというのです。

 私たちは何も芸人でもないし、一発屋でもありません。私たちはナアマンでもありません。何もそんな人たちと比較する必要もないと思います。

 けれど、私は、私たちはそうではありませんけれど、毎週、毎週執り行うこの礼拝を、もしかしたら、どこかでいつものこと、毎週のこと、普通のこと、と思っている教会があるとしたら恐ろしいなと思います。

 私たちは、人の死に勝利されて、復活を遂げられた主イエス・キリストに招かれています。そしてその主イエスの復活を宣べ伝える民として礼拝を守っています。それがどんなに自分達の誇りであり、喜びであり、祝福であるかを、毎週、毎週の礼拝で、まるでそのことを初めて知り、経験するかのようにして神の福音を喜んで受け入れていきたいと思います。

 説教の後、聖なる教会の聖なる民として、私たちは聖餐の業に預かります。主イエスの体としてのパンと血としての杯、主の体が、私たちの為に裂かれ、主の命の血が、私たちの罪の故に流されたことを思い、しかし、その先にある栄光、復活された主イエスがおられることを心から受け止めてパンと杯を預かりたいと思います。
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一つの世界を生きる

2018-10-13 19:04:44 | 礼拝説教
【申命記31章6節】
【エフェソによる福音書4章1~7節】

 旧約聖書の申命記31章6節という箇所を読んで頂きました。創世記から始まる旧約聖書は、主なる神とイスラエルの歴史が記されています。

 創世記12章で、主なる神がアブラハムに声を掛けた。「アブラハムよ、あなたは私が示す土地に行きなさい」その言葉に従って旅立ったアブラハム。このアブラハムにイサクという独り子が誕生し、イサクからヤコブが、ヤコブから12人の子どもたちが誕生して、その12人の子ども達の名前が後のイスラエルの12部族の名前となり、イスラエルは部族連合国として国を築くことになるわけですが、しかしその前に、イスラエルには一つの試練が与えられ、400年間、エジプトの土地に住み、ついには奴隷とされてしまうという歴史を持っています。

 その時、イスラエルの民は主なる神に助けを叫び祈り求めたところ、神から遣わされた指導者モーセが現れて、「イスラエルの民よ、400年前に、正確には430年前に私たちが住んでいた土地、主がアブラハムに与えた土地に帰ろう。」と呼びかけます。けれどエジプトの王は奴隷のイスラエル人に出て行ってもらっても困るし、ということで、中々、許しが出ないのですけれど、主なる神の助けと、導きの中で、ついにエジプトを出ることになりました。

 モーセに率いられた民は壮年男性だけで60万人であったと記されています。ですから、女性もいたでしょう、子どももいたでしょう。壮年ではない男性もいたでしょう。更にその他にもイスラエル人ではない奴隷にされていた人々もいたとありますし、牛、羊、家畜も随分といたことでしょう。ものすごく大きな大所帯でもって、エジプトを出発するのです。総リーダーはモーセです。
 
 そして、目指す所のもとの自分達の土地、カナンの土地と呼ばれる土地に、2年かけて到着するのです。しかし、その時にはカナンの土地に入ることが出来ませんでした。そこで更に主なる神が、イスラエルの人々の信仰の訓練の為にという思いもあったでしょうか。それから更に38年の間人々は天幕生活をし、荒ら野の旅をして、ついに、再びカナンの土地に到着することになります。けれど、その時、モーセは120歳となっていて、40年という年月がどういう年月かというと、エジプトを出た第1世代の人々ではなく、ほぼ全ての人々が第2世代の人々であったというのです。

 人生とは旅だとも言われます。子どもが生まれれば元気に育てよと願う、しかし、3歳、4歳となれば幼稚園に入って、皆と上手くやって行けるだろうかと願う、小学校に入れば、勉強は上手くできるだろうかと願う、学校を出て就職すれば、仕事が上手く行って欲しいと願う、その後は良い伴侶が与えられるだろかと願う、家庭を築けば、夫婦仲良く過ごすだろうか、孫は与えられるであろうとかと願う、私たちの人生の旅は、行く当てもなく、放浪の旅ではありません。その時、その時、その時代、その時代に与えられている目標、目的を持っての旅なのです。一つ一つを乗り越えるようにして、人生という旅が続けられるのだとも思います。イスラエルの人々の40年の旅も、目的はカナンの土地に向かって、そして、そのためには人々が一つとなって、その時、その時に与えられた試練を乗り越えつつ進んで来たことでしょう。
 
 そして、いよいよこの目の前のヨルダン川を渡れば、目的地であるカナンの土地となったところで、モーセは、人々を集めて、イスラエルの人々に対して、また、次のリーダーとなるヨシュアに対して、言葉を語り掛けた箇所が先ほど読まれたわけです。モーセは正直に告げています。イスラエルの民よ、このヨルダン川を渡れば、神が祝福として私たちに与えて下さるカナンの土地である。今、主ご自身があなたがたに先立って渡って下さると告げる。しかし、次に、「これらの国々を滅ぼして、得させてくださる」と続くのです。

 神の与えて下さる土地を、イスラエルの民は400年以上に亘って留守にしていました。400年前と言えば、現代で考えるとすれば1600年という時代ですよ。戦国時代がやっと終わりを告げて江戸時代になろうとしている時代、その時代にはこの土地は自分達の土地だったから返してくれと今住んでいる人々に言っても、そうですかと譲ってくれるわけがない。ですから、川を渡る前も大きな試練を、乗り越え乗り越えて来たけれど、川を渡った後は良かったね、で済むわけでもなく、これからも土地の問題で、試練があるだろうというのです。

 実際に、申命記の後にヨシュア記という箇所がありますけれど、そこに記されているのは、土地の侵入と、そこに少なくとも400年は住んでいる人々との争い毎になるわけです。
 ヨシュア記3章(10節)にはどんな人々が住んでいたのかが記されていますが、カナン人、ヘト人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガル人、アモリ人、エブス人、こういった人々が住み、生活していました。しかもどの部族も皆強いというのです。

 先ほども申しましたが、出エジプトの出来事から2年経って、一度はカナンの土地に着いたのです。その時モーセはカナンの土地を探るために、12人の斥候を出して偵察させた。12人が密かにカナンの土地に入って行って、見たら、なんと、どの民族も強く、また大きかったというのです。その時、12人中、10人がしり込みして、とてもカナンの土地に入っていくのは無理だと言ったのです。2人だけが行きましょう、私たちならこの試練をも乗り越えられると言ったのが、ユダ族のカレブと、モーセの後の指導者となるエフライム族のヨシュア、この二人。でも残りの10人は「無理です。向こうは巨人のように見えたし、自分達はまるでイナゴのように弱い」と告げたのです。ですから10対2ですからね、無理という判断となった。でも、よく考えると、到着したのに入らないですからね。それならなぜエジプトを出て来たのか、何のためにエジプトを出て来たのか、意味がわからなくなります。

 ここで何が起こっていたのかというと、イスラエルの民は、エジプトでの奴隷の生活に耐えかねて、神に助けを叫び求めました。その声を聞いた神はモーセを指導者として一緒に出エジプトを果たしたのです。でもね、エジプトを出たのは良いけれど、出てみると、食べる物はない、飲む者はない、荒ら野の過酷な生活、彼らは思いました。奴隷だったけど、エジプトでは食べる物も飲む物も屋根のある家もあった。あの奴隷の方が今よりまだましだった、一体どれほどそう思い、そう愚痴を言って、モーセを困らせたことか、聖書に沢山記してあります。昔の方が良かった。昔の方が楽しかった。 

 まだ、見てはいない、けれどこの先にある確かな神の祝福を望むのではなく、自分が過去に経験したあのこと、このことこっちのほうがまだましだと思う。自分が生きて来て経験したところの中で考えるからです。しかし、いつの間にか、それ以上の祝福を期待しなくなってしまう、つまりここで人々は信仰が問われていると言っても良いでしょう。

 侵入を諦めたイスラエルの民は、それから更に38年の間、荒ら野をさまよい、幕屋の生活をして過ごすことになります。それは主なる神の御計画でもありました。皆さん、なんで更に38年の生活を強いられたのか、それはあのエジプトを出た人々、あの時、奴隷だったけど、荒ら野よりはまだましだと過去のあのこと、このことを引きずって生きている人々が死んで、荒ら野の生活しか知らない、エジプトの生活がどうであったのかを知らない人々が、確かな将来を見て、神の祝福を信じて生きる人々が、そのような信仰を持つ人々へと変わるために必要な38年ではなかったかと思います。神は時を待ち続けたと言っても良いでしょう。

 そして、その時が今、やって来ている、ヨルダン川を前にしてモーセは人々を集めて告げました。

「強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に、歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」モーセは万感の思いを込めて告げたと思います。「強く、また雄々しくあれ。」それは、何も無謀なことをしなさいとか、一か八かやってみなさいということとも全く違います。イスラエルの民よ、今私たちがこの荒れ野に40年生活した目的はなんであったのか。神が必ず祝福して下さると約束して下さっているこの目の前のカナンの土地へやってくる、その目的を持って40年の試練に耐えてきたではないか。その試練に耐えられるように、主なる神に、何度も何度も訓練を受け、経験を積んで、ここまで歩んで来たではないか、だからここでしり込みするのではなく、今こそ、「強く雄々しくあれ」と「うろたえてはならない」と主はモーセの口を通して民に告げるのです。

 私たちは神様ではありません。人間です。ですから何があるのかというと「迷い」があるのです。一つのことを決断する。そのためには迷うのです。それが私たちでしょう。そして、「迷い」は心を分裂させる力があるのです。

 昨日、土曜日に会堂の掃除の為に三人の方が会堂に見えて、掃除をして下さって、その後、お茶を飲んでおられたので、私もお茶の所だけ(笑)ご一緒したのですが、そのとき、この礼拝堂が完成して本当に良かったねという話をしてくださいました。会堂建築をして、献堂式を行って今年で3年目を迎えておりますけれど、色々な困難が確かにあったと思い起こしますが、しかし、そのような困難は、今のこの礼拝堂や建物をこの目で見ていますと、殆ど思い出すことはありません。

 そして何より良かったと思うのは、教会が新しい会堂を建てましょうとなると、多くの教会がそこでどれほど、迷いが出て、そして教会が荒れてしまう、荒れるだけでなく、争いの中で教会から離れていく、場合にはよっては二つに分裂してしまうような場合もあることを伺っていますし、私が前の教会におりました時にも、どれだけ会堂建築の話を繰り返し話したか、そして何度話しても少しも前に進まなかったことを思い起こします。

 けれど、大塚平安教会は殆ど迷いなく、会堂建築に向かうことが出来たと思います。その理由の一つには、東日本大震災という経験があったと思います。勿論、地震があって良かったなどとは決して言えないのですけれど、しかし、その為に、建物の状態が本当に危機的になったことは確かだと思います。

 けれど、地震がなかったとしても、建物としてはその役割を十分に果たし尽くしていたとも思います。古い会堂は週報の表紙の教会略史にも記されていますが、1968年6月に建てられたものです。当時の牧師であった乙幡和雄先生、また会堂建設委員長をされた佐竹正道兄を中心として、多くの苦労があったことが記念誌にも記されています。その年から考えますと、たまたまであろうと思いますけれど、丁度今年が50年目となります。正確には47年で新会堂が献堂されました。
 
 しかし、凡そ50年の間、会堂を中心として礼拝が守られ、信仰が受け継がれ、主なる神のみを頼りに大塚平安教会の歩みが続けられて参りました。今日は新約聖書からエフェソの信徒への手紙4章1節からを読んで頂きましたが、そこにはこうあります。2節から読みますが「その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛を持って互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。」

 教会に集う一人一人は、平和のきずなの中で一致を守ること、つまり迷わないということでしょう。私たちは人間ですから様々な迷いの中を生きるとしても、主なる神に対して、神から与えられている信仰に対しての迷いがない、そして、いつも見えない希望に預かるようにと招いて下さる方を信じ、自分の人生を主にかけて、洗礼を受けられ、教会員となられて、教会の歴史が刻まれて来たのだと思います。

 新しい会堂が建てられた、それは前の会堂が十分に役割を果たしたと申しましたが、しかし、更にいうならば、神の御言葉をこの場所で「強く、雄々しくあれ。恐れてはならない」と言われる主に励まされて、これからの大塚平安教会の歴史を力強く築いていくためにも、迷わず、決心され一歩踏み出し、洗礼を受け、主なる神に対する信仰を受け継いでくださる方々の為にこそ、建てられたとも言えるでしょう。

 そのようなこれからの新しい一人一人と共に、皆主なる神のもとに一つとなりながら、私たちは共々に歩んで参りましょう。

 お祈りいたします。
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人の知識をはるかに超える世界

2018-09-26 10:16:24 | 礼拝説教

【エフェソの信徒の手紙3章14~21節】

 2018年度の大塚平安教会は 教会の主題聖句をエフェソ書5章1節にある「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣うものとなりなさい」この御言葉をもって、この年度を過ごしております。そのような関わりの中で、本年度の礼拝は、エフェソの信徒への手紙を中心として読まれていますが、本日はもともと3章19節~21節の箇所からと考えておりましたけれど、読んでみてどうも収まりが良くないと思いまして、昨日までは17節から読んで頂こうと思っておりました。けれど、それでもやっぱりどうかと思い直して結局14節からを読んで頂くことにいたしました。

 そうなると、実際は2週前と殆ど同じ聖書箇所をもう一度読んで頂いたことになるわけですが、それでも、その方が良いと思いました。この14節から21節の箇所は、パウロの祈りが記されています。ですからやはり途中で区切ることはしないほうが良いように思います。

 エフェソの信徒への手紙は、前にも申しましたがパウロが捕らえられた状態で、恐らくローマの牢獄の中で記されたもの、獄中書簡とも呼ばれています。パウロ自身、生涯の中で三回に亘って、特に異邦人の町で伝道活動を行いました。その働きは命がけの伝道活動であって、しかし、必ずしもどれも成功だったとは言えないと思います。
 聖書の中には、パウロが捕らえられて牢に入れられたという箇所も出てまいりますし、三度、あるいは四度は牢に入られたであろうと考えられていますが、パウロ自身「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く」と記していますから、聖書に記されている以上に、私たちが想像する以上に捕らえられて、牢に入れられたことが幾度もあったと思います。

 けれど、そういう状況であっても、パウロはこんな状態だから無理だとか、諦めるとかではなく、こんな状態だからこそ、自分が出来ることがある、それは自分と関わりを持つ教会に宛てて手紙を記し、そして、なんといっても祈り続けたということだと思います。

 本日、読んで頂いた箇所も、パウロはエフェソの教会の人々に対して、あなたがたの「内なる人を強めて下さいますように」「心の内にキリストを住まわせてくださいますように」「愛に根差し、愛に立つものとしてくださるように」と祈り続け、そして今日のメインとなる19節の御言葉ですが、「人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさの全てにあずかり、それによって満たされるように。」と祈るのです。

 祈りを献げる、私たちは信仰者として折に触れ祈りを献げます。幼稚園の子ども達も、お昼の前には声を合わせて祈りを献げてからお弁当を食べるわけですが、私たちの普段の祈りは言葉に出すこともあり、心の内で祈ることもあるのではないでしょうか。

 最近気が付いたことですが、言葉に出さず、心の中で祈りますと、どうもお願いばかりの祈りになってしまうように思います。

 子どもの学校の成績が上がりますように。妻の機嫌が良い日でありますように。夫の給料が上がりますように。なんかどれも良い例ではありませんが(笑)願いばかりが先行してしまうなぁと思う。ですから言葉に出して、神様に感謝して祈ることが大切なのだとも思います。

 そして、祈るときに大切な鍵となることは、祈ることによって「愛の人」となるということではないでしょうか。愛の人になる、これこそ祈りの使命であると言っても良いと思います。

 祈りによって、「怒りの人」や「悲しみの人」になるのではなく、勿論、怒りも悲しみも人生にありますけれど、しかし、それらも含めて、祈りを通して「愛の人」となっていく、そしてその愛が、自分を通して、妻に、夫に、子どもに、家族に、友人にと伝わっていく、そのような自分に成長させてくださいと祈る、それが祈りの鍵ではないでしょうか。

 ですからパウロも祈りました。「人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神のみちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように」

「人の知識をはるかに超えるこの愛」私たちが思っている以上に、思いもつかない程の愛を知るようになりますようにと祈る。そのような愛が一体どこに現れるのか、勿論、主イエスに現れるわけです。

 ヨハネによる福音書15章13節で主イエスはこう言われました。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」

 私が小学校5年生に時に、大きな病気をした。病気というか盲腸ではないかという判断で手術をした。ところが、手術の後、傷口がふさがらないのです。傷口は、糸でしっかりと閉じられているのに、その傷口から血がどんどん出てくるのです。今の時代であれば、手術の失敗とか、医療事故とか、そんなことにもなったかもしれませんが、いずれしても毎日、出血が続き、ついに輸血するということになりまして、父親と母親の血が調べられて、検査の結果、どちらも0型でしたから、どちらでも大丈夫だったと思いますけれど、父親の方がより適合するだろうということで、父親の腕から大きな注射器で、血を抜いて、私にそのまま輸血するのです。恐らく今の時代はそんなことはしないと思います。けれど父親だけでなく、血液センターから、また、近所の方々からも血を分けて頂いて、なんとか一命を取り止めることが出来た。

 私は、時々父親に対して辛口な言葉で表現しますけれど、でも、あの時のことを思い出すと、本当に感謝する思いになります。血は命ですよ。その命を分け与えてもらって、自分は生きたと思うと「これ以上に大きな愛はない」この言葉が身に染みるように感じられます。

 月に一度、私たちは聖餐式を行いますが、その時にパンを裂き、杯を配餐します。あの杯は主イエスが私たちの罪の為に流された十字架の血であることを思います。神が私たちを友として下さり、その友の為に、私たちが流すべき血を、私たちではなく、主が全部引き受けられて、十字架にかけられていかれた。
 私は聖餐式の最に、コリントの信徒への手紙の11章からの御言葉を読みます。パンと杯、主イエスの体としてのパン、流された血としての杯、そして、最後に「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。」と御言葉を読みます。

 この出来事は説明ではありません。説明ではなく神の実体だと思います。哲学とか人の知恵は教えであり、また、説明であることがあります。話を聞くとなるほどと思わされるところもあります。でも、キリスト教は説明ではありません。神の愛の実体が主イエスを通して私たちに伝えられた、ここにキリスト教たる所以があると私は思います。

 先週の幼稚園の礼拝は、ヤコブの手紙という箇所が読まれました。1章22節に「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」と記されている。この御言葉のお話をしました。
 
 御言葉を行う人となる。御言葉とは聖書の言葉ですよ。イエス様が話して下さった素敵な言葉ですよ。だから、なにより御言葉を行うには、御言葉を聞かないとわかりません。だから礼拝が大切ですよ。と話しました。

 人が赤ちゃんとして生まれてくる、生まれてから、言葉が出るまで大体八千時間、聞き続ける必要だと言われます。その位聞き続けて、やっとパパとかママとか言葉になってくると言われます。それからどんどん言葉を覚えていくわけですけれど、けれど覚える言葉は、何よりも聞いた言葉です。時々、母親が忙しかったりして、おばあちゃんに育てられた、おばあちゃん子という言葉があります。おばあちゃん子の特徴のようなものがあって、優しい子に育つとか言われますけれど、例えば「暴れん坊将軍」とか「水戸黄門」といった時代劇が好きというのもあります。

 岩手にいた頃に、あの子はおばあちゃん子だねと言われていた子どもがいました。どうしてそう言われたのかというと、年寄りしか使わないような訛りとか言葉を普通に使うわけです。ですからすぐにわかる。例えば「だめだよ」という言葉を「ワガネ、ワガネ」(笑)(ダメだという意味)というのですから、すぐ分かるのです。

 でもそれは幼稚園とか学校に行くようになると自然と治ってくるものです。でも、子どもは聞いた言葉を覚えるのです。自分の子どもに、嫌な言葉を直接言う親はいないと思いますが、でも、例えば、いつも夫婦仲が悪いとか、人の悪口を言うとか、批判ばかりしている、そういう言葉を聞いて育った子どもは、やっぱり悪口をいったり、人を批判したりするような傾向になるでしょう。

 だから、大切なのは、愛のある、実体のある御言葉、あなたがどんなに大切か、必要か、愛されているのかを話しかけ、語り続けることだと思います。

 でも、それは、計算してということもない、伝わるのは「人の知識をはるかに超えるこの愛」ですからね、そのような愛によって育った一人一人が、御言葉を行う人になるのではないでしょうか。
 
 ルカによる福音書の10章に「善いサマリア人」の例えがあります。主イエスが一人の青年に答えた場面です。「イエスはお答えになった。『ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人と見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、そのひとを見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のロバに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。』律法の専門家は言った。「その人を助けた人です」、そこでイエスは言った。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
 
 皆さん、サマリア人とは、元々同じイスラエル人ではありますけれど、その歴史的な変遷の中で、ユダヤ人から差別を受けていた人々です。そのサマリア人が助けたというのですから、主イエスの一流の例えかたです。最も助けないだろうと思われる人が、人を助けるのです。あなたも行ってそのようにしなさい。この言葉は、何を示しているのかというと、あの人は嫌いだとか、あるいはあたかも敵対していると思える人に対して、あなたはそこにおいてこそ、愛を示すのだということでしょう。人の思いの中ではとても、無理。でも「人の知識をはるかに超えるこの愛」ですからね。

 それでも御言葉を聞き、御言葉を行う人になろうとする。きっとそのようにして、自分では無理かな、自分では無理だな、とても出来ないなと思うその思いを、しっかりと御言葉によって支えられて、力付けられて、生きていく。

 パウロは投獄されただけでもなく、鞭打たれたことは比較できない程多く、石を投げられ、難船し、盗賊に襲われ、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、しばしば眠らず、飢え渇き、しばしば食べず、寒さに凍え、でも、それでもパウロを支えていたものは自分の知識や知恵ではなく、主イエス・キリストがどんなに自分を愛し、自分を愛おしんで下さったか。そのことが実体として伝わっていたのだと思います。
 
 実際、このパウロこそ、イエス・キリストを信じる人々を憎く思い、怒りにまかせて、捕らえては牢獄に、捕らえては牢獄にと、最もキリスト教と敵対する一人であって、指導者でありました。
 
 そのような自分を、神が捕らえて下さり、自分の思いをはるかに超えた愛によって慈しんで下さった。この奇跡のような出来事を体験し、実体のある愛の中で、生涯を福音伝道に献げて生きていました。
神の愛は、いつも私たちの思いを越えて、時に奇跡と思える出来事を起こし、祝福と慈しみで満たして下さいます。

 私たちは「神に愛されている子供です。」そのような愛に包まれて、感謝しながら、私たちの人生も愛の内に、受けとるばかりでなく、愛を与える人として生きていきたいものだと思います。
 お祈りいたしましょう。

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生きておられる神

2018-09-17 09:56:44 | 礼拝説教
今日は、子どもの教会との合同礼拝となりました。

いつもは9時からの礼拝に出席しておられる方は10時過ぎには皆さんが帰って行かれますし、10時半からの礼拝に出席される方と殆ど入れ違いのようにして普段は中々互いに関わることがありません。そんな中、今日のような日の礼拝が行われる、感謝なことだと思います。
 
 今日は「生きておられる神」というタイトルとつけさせていただきました。生きておられる神とはどういうことなのか。
 
 9月の初めに、湘北地区教師会が箱根で行われました。その中で珍しく私が発題を受け持ちまして「宮沢賢治とキリスト教」という話しをさせて頂きました。その話はなんだか毎週話しておりますから(笑)今日はしませんが、私が受け持つ時間が終わりまして、質疑、応答なども終わりまして、懇談の時となった。学びの緊張感も取れて、懇談というより雑談に近かったと思いますが、私が故郷の話ばかりをするものですから、自然と皆さんが御自分の故郷の話をするようになって、ふるさと自慢のようになってきた。
 そんな中、厚木市にある厚木上教会という教会で牧師をされている、柴適牧師がこう言われた。「みんな故郷があっていいなぁ、私は厚木で生まれて、厚木で育って、厚木から出たことがない。」ですから、「柴先生、それは本当になにではないですか。故郷にずっと住めるのは幸いなことですよ」と話しました。
 
 柴先生は、厚木の教会の牧師をされながら、桜美林中学と高校の先生を長年されて、多くの子ども達から愛された先生ですが、柴先生のお父さんが柴勇牧師と言いまして、戦前の昭和8年に厚木上教会に赴任されました。その一年前の昭和7年に教会が創立されていますから、柴勇先生の時から本格的な教会の活動が始まったのだろうと思います。ですから子どもの柴先生は、そこで生まれて、そこで育って、牧師になってお父さんの後を継ぐようにして厚木上教会にいて、桜美林の先生もされた。つまりずっと厚木だということです。
 
 でも柴先生がお父さんのことを思い出してこう話して下さいました。「父は信仰一本で生きた人だった」、「信仰一本」とい言葉なんてあまり聞いたことがありませんが、どういうことかというと、牧師以外の働きを何もしなかったというのです。
 その意味は、貧乏で苦労したというのです。戦前の時代から第二次世界大戦、敗戦後、日本は大変苦しい時代を過ごしました。しかしその時代、特に教会はどこよりも苦労したと言ってもよいかもしれません。人によっては牧師であるというだけで、あるいは敵国の宗教といわれたりして、捕らえられ、獄中で亡くなる方もおられました。けれど、柴先生が話しておられたのは戦争後の事だと思います。戦争後、何とかまた会堂を建てて牧会伝道をされていたお父さん。しかし、信仰一本で過ごされた。
 
 あるときに母親が牧師の父に言ったというのです。「お父さん、我が家にはもう食べる物がありません。」そういう会話を幾度か聞いたというのです。
 
 それで先生どうしたのですか?と尋ねましたら、仕方が無いから、教会の前にあった小川に行って、食べられそうな、ザリガニや、ナマズ、ウナギを取って食べたと言うのです。ウナギはねぇ(笑)。
 でも当時、ウナギもいくらでもいたそうです。
ですから、恐らく学生だった柴先生自身が、父親に向かって「親父、もっと仕事してくれ」と言ったこともあったそうです。その言葉がこたえたのか、牧師だけではさすがに無理と思ったのか、仕事を探して工場のような所に勤めだしたそうですが、きっと辞めるだろうと思っていたら、やっぱり、三日ぐらいで辞めて来たというのです。手が不器用だったからと笑っていましたが、だから、信仰一本で生きた人だった。

 でも私の目から見れば、どこか嬉しそうに、はにかみながらも、少し自慢げに話して下さいました。良い話を聞いたなぁと感動しながら聞いていました。
 
 この話の何が良いのか、というと牧師として働いていた父親を見ながら、家には実際は殆ど収入も無かった。だって食べる物が無くなるほどですからね、外に働きに出ても不器用でクビになってくるような父親。

 まさに信仰一本で生きた父親の姿を見ながら、でも、柴先生は、そんな父親の生き方、考え方、話し方、愛し方、子どもとして様々な葛藤があったと思いますが、やっぱり尊敬出来る父親であって、自慢の父親であったに違いありません。だから、自分も父親のように生きたい。そのようにして牧師となられて、父親が長年守り続けて来た教会の牧師として今も精一杯の働きをされている。

 皆さん、そのようにして子どもは、男の子であれば、一番身近な父親の姿を、女の子であれば母親の姿を見ながら育つのではないかと思います。 

 だから立派に生きなければならないということでもありませんし、別にプレッシャーをかけているわけでもなくて、何よりも大切なのは、自分の妻が、自分の夫が、この妻で、この夫で良かったなと思う、自分の家族がこの家族で幸せだと思う。自分の与えられている仕事、役割に誇りを持って、喜びをもって打ち込めることが出来る、本当に良かったと思いながら生きる。そんな喜びを生きていくことがきっと子どもに対する最高の子育てではないでしょうか。

 今、巷で騒いでいることの一つに、スポーツ界のパワハラの事件があるようです。詳しいことはよく分かりませんが、体操とか、重量挙げとか、色々あるようです。自分の言うことを聞かなければ、大会に出させないとか、あるいは体罰があったとか、どうもきっと、アメリカン・フットボールの事件以来、そういったことが続出しているようにも感じます。なぜ、こうなったのか組織の問題だとか、権力の構造とか、抜本的な改革とか、知識人が色々と言っていると思います。

 けれど、こういう事件が起こる原因はそんなに難しいわけではありません。私は実際はとてもシンプルではないのかと思う、それは、「関係」という一言です。

 私たちが悩む、悩みのほぼ100%が、「関係」の問題であるとアドラーと言う心理学者は伝えていますが、私たちは、人と人との関係、人間関係の中で悩むのです。けれど、人と人との関係の中で、人は育ち、愛情を受け、人を信頼する心を育み、そして社会に出て、人と人との良い関係の中で社会生活を営み、家庭を築き、子どもを育てるのです。そうやって人は一人前になっていくのです。

 でも私たちは人間ですから、全てを上手に生きていけるわけでもありませんから、その関係が上手くいかなくなる時がある。だから、時には夫婦喧嘩もするし、親子喧嘩もするし、友達とも仲たがいするし、恋愛関係を築くときもあるし、それが崩れていくこともある、説明なしでも、私たちが直接経験していることです。

 パワハラの問題も同じではないかと思う。その人との関係が互いに信頼関係を築いているのなら、少々の意地悪な言葉をかけられた、少々ぶたれた、でもそれは自分に対する愛情だと思えるのなら、問題は殆ど起こりません。けれど、関係が築けていないところでは、時には、何気ない一言でさえ、パワハラだと言われてしまう可能性があるのではないでしょうか。

 その人が悪いとか、良いとかではなく関係が悪いのです。

 家族の話に戻りますが、夫婦関係、親子関係、家族関係、友達関係、それぞれが上手く行っている、そう感じられるときは私たちは「幸せ」を感じますし、生きるエネルギーも出てくるものですし、希望を持って生きていくことが出来るのです。
 
 けれど、そんな関係を壊そうとする力が働くことがある。それは何かといえば、例えば「この世」の考え方です。ここで言う「この世」とは、聖書でいうところの「神の世」ではない、まさに私たちが生活しているこの世のことです。
この世はどうなっているのか、今日はヨハネによる福音書の2章、「神殿から商人を追い出す」という箇所を読んで頂きました。

 ユダヤ人が大切にしている祭りがありました。過ぎ越しの祭りと言って、何百年にもわたって守られて来たお祭りです。レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」の絵が良く知られていますが、あの場面は、主イエスが捕らえられて、十字架にかけられる前の夜に弟子たちと食事をしている場面、その食事が過ぎ越しの祭りの大切な食事でした。

 そのような祭りの時に、主イエスがエルサレムにある神殿に出向いたのです。そしたらその神殿には、牛や羊や鳩を売っている人、座って両替をしている人達が沢山いました。いつもよりかなり大勢いたと思われます。祭りですから、人々は皆神殿にやって来て献げ物を献げます。けれど、まさか遠くの家から牛や羊を連れてやってくるのも一苦労ですから、神殿で牛や羊を購入してそれを献げる、あるいは献金をするにしても、色々な国からやって来ますので、普段は自分の国の通貨を使っていますから、献金するにしてもユダヤの通貨にしなければなりません。ですから両替商が必要です。現代でも、海外に行くには日本円は通用しませんから、両替をしなければなりません。それと同じことと思えば分かり易いと思います。けれど、そのような牛や羊を売る、両替する、もしかしたら他にも土産屋もあったと思いますし、食事処もあったかもしれない。祭りとはそういうものでしょう。

 しかし、その様子を見て、イエス様は、聖書の中ではとても珍しく怒りを露わにして「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」と言って境内から追い出したというのです。

 皆さん、この出来事は何を意味しているのでしょうか、祭りを商売とする、それは人と人との関係です。祭りは楽しいものですし、楽しみでもあります。特に人が集まり、人と人とが強い絆で結ばれていると感じられる時でもあります。けれど、主イエスはその人と人との関係の中で壊されていくものがある、それは神と人との関係だと言いたかったのではないかと思うのです。

 本来、この祭りは「神と人」との間で行われる祭りであるはずなのに、いつの間にか神との関係よりも、ずっと人との関係だけが強くなっているそこに主は怒りを感じたのではないでしょうか。

 この祭りの出来事が象徴的に示し、また主イエスが私たちに伝えたかったことは、人は、人と人との関係だけでは生きていけないということではないでしょうか。なぜなら、人は神ではありませんから、夫婦でも、親子でも、友達でも、会社でも、学校でも、この世の社会のどこにおいても、人と人との関係の中で、良い時もありますけれど、時にはパワハラだと言われたり、時には裏切られたり、裏切ったりすることもあるのです。だからこそ、大切なのは「神と人」との関係が求められるのだと思います。

 そしてその神は生きておられる神が大切です。柴先生のお父さんは牧師でしたが、私の父親は芸術家で彫刻家でした。木工彫刻をしていました。お寺に収める仏像などを造っていましたし、仏教にも詳しい人でした。とはいえ、柴先生の家には叶わないかもしれませんが、我が家も相当貧しい家でした。でも、子どもにとっては貧しいことはあまり問題ではないのです。問題は私の父親はいつも怒っていました。つまり、権威的であり、高圧的な人でした。父とじっくりと話をした経験もありません。
 
 今になって理解出来るのは、私の父は結局のところ、自分自身に、自分の人生に自信が無かったのかなと思います。自分に自信がない人は、それを隠すためにも、人と人との関係の中で、人に対して厳しくなる傾向があります。母親に対しても、子どもに対しても、「お前はダメだ」「お前はダメだ」「お前はわかっていない」毎日、そのような言葉を聞いて育った私は完全にダメな人間になっていました。
 
 自分はダメなんだな、この世で生きていくことも辛く、頼りにしていた仏教も私にとっては、ダメな自分をより強固にしていく根拠にしか感じませんでした。
 
 けれど、だから聖書と出会うことが出来ました。聖書の神は、「お前はダメじゃない」「お前はダメじゃない」そう伝えてくれるのです。主イエス・キリストという命ある、生きておられる方がそう言って下さるのです。この方によって私は、私の人生を生きることが出来たと思っています。

 皆さん、人と人とのより良い関係を造り上げるためには、神と人との関係をより強固にすることです。神に愛されていることを知り、その無条件の愛を受けていると感じられる人こそ、人に愛を与えることが出来ます。

 主イエス・キリストは十字架にかけられ、死んでしかし、三日の後に復活されました。そして今も生きて、私たちに語りかけて下さいます。あなたはダメじゃない。感謝して過ごしていきましょう。
お祈りします。

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「わたしの魂よ、主をたたえよ」

2018-09-09 15:49:47 | 礼拝説教
  【詩編103編1~5節】
【エフェソの信徒への手紙3章14~18節】

 先週の礼拝でも少し話しましたが、先週の月、火と湘北地区の教師会が箱根で行われまして、私が担当して「宮沢賢治とキリスト教」という話しをさせて頂きました。

 昨年の9月に門井慶喜さんという作家が宮沢賢治と、賢治の父親の宮沢政次郎を中心として記した「銀河鉄道の父」という小説を出しまして、その年に直木賞を受賞しました。
 
 賢治は37年の生涯でありました。ですから83歳まで生きた政次郎は、賢治が生まれた時から、賢治の死まで立ち会うことになります。賢治が、結核により召されていく時に、政次郎は何か遺言は無いかと尋ねます。賢治は、日蓮宗の経を一千部作って、知り合いに配ってくれと頼みます。その遺言を聞いて、紙に書き留めた政次郎は、「わかった、お前は偉いものだな」と言葉をかけました。
 その言葉を聞いた賢治は、弟の清六に「おらもとうとう、おとうさんに、ほめられたもな」と言って喜んだとあります。この場面は作り話ではなく、実話で、良く知られている場面です。

 ついに、死ぬ間際になって父親から褒められて嬉しいと言った。それまで賢治は父親から褒められたと思う、そういう記憶が無かったのかもしれません。自分は父親から認められていない、そんな苦しさの中で賢治は生きていたのかもしれません。政次郎は質屋を営んでいましたが、なんとかして長男の賢治にあとを継いでもらいたいと願っていました。けれど賢治は質屋が嫌で、嫌でしかたありません。時には黙って家出をして東京に出てみたり、政次郎は浄土真宗を信仰していましたが、それに反発するようにして賢治は日蓮宗に傾倒してみたりするのです。二人はどうもうまくかみ合わない。

 それでも賢治は勉強も良くしましたし、学校の先生になったり、農業をしたり、作家になってみたり、なんとかして自分が生きていく道を模索しながら、ということであったかもしれませんが、質屋を継がない自分だとしても、なんとか父親に認めてもらいたい、父親にほめてもらいたいという思いがあったのではないかと私は思います。

 しかし同時に、父としての政次郎は、息子が質屋を継がないとか、自分の思い通りに生きないとか、話せば言い争いになるとか、そんなことを遥かに超えて、圧倒的な父親としての愛の中で、賢治を見つめていた。我が子としての賢治が愛おしくて、愛おしくて、元々本当は無条件に愛する息子であった。そんな思いが銀河鉄道の父という小説の中に色濃く出ておりました。人の親になってみると、子どもが親を思う思いを遥かに超えて、親が子を思う思いはとても強い、そんな思いを実感して持っておられる方も多いかと思います。

 キリスト教の神を「父なる神」と表現します。私はその表し方がとても優れていると思います。ある方が「われわれの救いの究極と言うのは、「我々が神を父と呼ぶことにおいて現れている」と説明したそうです。本来、主なる神を父と呼べる方は主イエス・キリストお一人だけでした。しかし、主イエス・キリストが私たちの兄弟となられ、一つとなってくださったところで私たちもまた神を父と呼ぶことが出来る。しかし、同時にそう呼ぶことが許されるのは、圧倒的な神の愛の故だと思います。
 私たちが熱心に神を知ろうと努力し、学び、生涯をかけるようにして、神を理解しようとしても、本当は神様の幾らもわからないと思います。でも、一つだけ分かっていればそれで良いのではないかとも思います。それは、私たちが神を思うその思いを遥かに超えて、主なる神が私たちを無条件、無尽蔵に愛して下さっているということです。

 そのような方を父と呼んで祈ることが出来る。それは大いなる恵みではないでしょうか。
 
 今日はエフェソの信徒への手紙3章14節からの箇所を読んで頂きました。「こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。」という言葉ではじまるこの箇所は、明らかにパウロが祈りの言葉を記している箇所です。その祈りの御言葉が19節まで続き、20節、21節は頌栄となりアーメンで終わります。
 
 凡そ一月前に、日本ナザレン教団に所属しておられる石田学という先生が「エフェソ書を読む」という冊子を出版されました。私は早速取り寄せて喜んで読みました。

 今日の聖書箇所についてこう記してありました。「今回、この箇所から説教するにあたり、改めて読み直してみて、ある重要なことに気付かされました。それはあまにも単純なことなので、言われてみれば当然です。これまで気付かないでいたこととは、これが祈りだということです。(中略)パウロはここで、神学的な講義などしてはいません。心を込めて、思いのかぎりを尽くして、祈っているのです。」とありました。
 
 石田先生は、この箇所が祈りであることを改めて知って、パウロが何をどう祈っているのかというと、一生懸命、父なる神がどんなに深く、強く、切に、エフェソの人々を愛していることか、そのことに気付いてもらいたいと願いながら祈っているのがわかったというのです。
 そんなパウロの思い、父なる神があなたがたをどんなに愛しているかを知り、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解して満たされるようにと願っている。ですからパウロの祈りについて、あれこれと、ここで解説のようなことを話すのは正しくないかもしれません。ただ、この祈りに私たちも心を添わせてみる、それこそが大切なのだろうとも思います。
 
 ルカによる福音書の15章11節から「放蕩息子」のたとえが記されています。ある人に二人の息子がいて、その弟が父親に言いました。「お父さん、私が頂くことになっている財産の分け前をください」その願いを父親は受け入れ、財産を渡しました。財産は家畜や土地、畑と色々あったと思いますが、それらの全てをお金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を使い果たしたところで、そこで飢饉が起こって、食べるにも困るようになった。やっとの思いで豚の世話をする仕事にありついた。けれど、そこで我に返って、自分が天に対しても、父に対しても罪を犯していたことを思い、父に謝って、使用人の一人にして貰おうと思いながら帰郷いたします。

 けれど、トボトボと歩くその足取りで帰って来た息子の姿を父親の方が先に見つけ、大喜びで走り寄って抱きしめて、一番良い服に着せ替えさせて、手に指輪をはめて、足に履物を履かせ、そして息子が帰って来たからと父親は宴会の用意をさせました。
 この物語のタイトルは「放蕩息子」のたとえですけれど、しかし、本当の主人子は父親の方ではないかとさえ思います。父親の喜びは特別です。なぜ喜んだのか?父親はこう話しました。「死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」
 
 神の愛とは、そのようにして息子がどうであったのか、どう生きたのか、どんなことをしでかしたのか、ではなく、その息子の存在を喜ぶ父親のような、そのような愛の方であることをエフェソの教会の人々よ、神の、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほど大きく、広く、また深いのか理解して欲しいそのように願い、パウロは祈り続けます。
 
 そして、何よりも人の知識をはるかに超えた神の愛を知るようになって、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるようにと祈りが続くのです。
 
 皆さん、祈りの力、祈りの力とはどういう力なのでしょうか。2018年度になりまして、私たちの礼拝で少し変化したところがありました。毎月の第一主日の礼拝の中で、司式者ではなく、私が祈りを献げることになりました。

 このことは役員会で話し合い、総会に諮り決めたことでしたが、当初、役員の皆さんは、本来、礼拝での祈りは牧師が祈る、それが正しいのではないかという意見がありました。ですから、私は年度変わりに相談する思いで、案を三つ出しました。一つは毎週の礼拝祈祷を牧師が担当する。二つ目は隔週で牧師と司式者が担当する。三つめが月の第一を牧師が担当して第二主日以降は司式者が行う、そういう三つの案を出したのです。三つ出しましたけれど、すんなりと第一案の毎週、牧師が担当するに決まるだろうと思っていたわけです。

 けれど思いのほかすんなりとはいかず、かなり長い時間をかけて、月の第一を牧師が、第二主日以降を司式者が行うことに落ち着きました。

 なぜ、そうなったのか、私は分かるような思いがします。祈りを献げる、特に礼拝において教会を代表して祈りを献げる。その準備と緊張は経験した方は良くわかると思います。
 だから大変だとなったわけですけれど、でも祈り終わってみると、祈りの力がどこに働くのかがよく分かる、そういう経験をされているのだと思います。祈りの力、それは祈られている対象の出来事や、人、に勿論働くのですが、それと同等と言ってもいいかもしれない、あるいは対象の出来事や人以上と言っても良いかもしれない程に、祈りの力は、祈った本人に一番帰ってくる、そういう力が祈りの中にあることを、祈りを献げれば献げる程に、実感として感じているのだと思います。祈りを献げる時、自分自身の中に確かに神の、聖霊の力が働いていると感じる、その喜びを司式される方々は実感されているのだと私は思います。

 毎週、水曜日に祈祷会が行われますが、その祈祷会でも同じことが起こっていると思います。祈った本人こそが本当に祝福を受けるのです。

 今日は詩編103編1節からを読んで頂きましたが、「わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって 聖なる御名をたたえよ。わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。」と続きます。この詩は、イスラエルの歴史の中で、人々から最も愛された王、ダビデの詩と言われます。8人兄弟の8番目として生まれ、一体自分は何者になるのか、どんな人生を歩むのか、何もわかっていなかったダビデに神の目が留まり、イスラエルの王として立てられてきた、そのことを思いながら神様に感謝して祈りをささげている。

 ダビデがなぜ、イスラエルの王の中で最も愛されたのか?勿論、王としての能力があったのでしょう。先を見通す力、隣国の争いの中で勝ち続ける能力、国民を愛する眼差し、色々と上げることが出来ると思いますけれど、ダビデは自分で自分のことを受け入れていた。自分が自分のことを大切に思い、自分のこと良い意味において好きだったのだと私は思います。
 
 自分が自分のことを嫌だなと思い、嫌っている指導者のもとにいる国民は不幸です。主イエスが誕生した時の王、ヘロデ王はそのことを聞いて不安に思ったとあります。しかし、ヘロデ王はいつでも、どんな時でも不安であったと言われています。そのような時代は暗い時代となります。しかし、ダビデの時代、最も繁栄したと言われるその所以は、ダビデは自分の人生を肯定して、自分の人生を受け入れて、神に感謝し、祈ることが出来た。「わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの魂よ、主をたたえよ。」自分の人生に何があっても、なお、「わたしの魂よ。主をたたえよ」そのようにして祈りながら、自分を受け入れ、神を受け入れ、祈り続けているのです。
 
 パウロもエフェソの教会の人々のことを思い、一生懸命に祈りをささげています。エフェソの教会の皆さんよ、あなたがたも神の満ちあふれる豊かさ、神の愛の中に生きていって欲しい、そのように祈りながら、自分もまたその祈りに巻き込まれるようにして、自分こそが神の愛の中で、エフェソ書は獄中書簡だといわれますけれど、パウロ自身が捕らえられ、牢の中での生活を強いられる状況でも、尚、神の平安に生きていける秘訣は、自分自身の人生を受け入れ、隣人のことを思い、神に感謝して、そして、祈りをささげるなかで、自分自身が誰よりも励まされている、祈りとはそういう力があるのだと思います。
 
 私たちもまた、そのようなパウロを模範としながら、祈りを献げ、感謝しつつこの一週間も共々に過ごして参りましょう。
 お祈りします。
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