2020年4月26日(日) 復活節第3主日 (労働聖日)
黙 祷
招 詞 イザヤ書49章13節
「天よ、喜び歌え、地よ、喜び踊れ。山々は歓声をあげよ。主はご自分の民を慰め その貧しい人々を憐れんでくださった。」
讃美歌 18番「心を高くあげよう!」
聖 書 詩編55編23~24節
マタイによる福音書11章25~29節
「あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え どこしえに動揺しないように計らってくださる」
説 教 「あなたの重荷を主にゆだねよ」菊池丈博牧師
詩編55編23~24節
マタイによる福音書11章25~29節
「あなたの重荷を主にゆだねよ」
皆さん、おはようございます。
新型コロナウィスル拡大防止の為に4月7日に政府より緊急事態宣言が発令されました。それまで、なんとかギリギリで礼拝を守ってまいりましたが、いよいよそういう訳にもいかず、決断して4月12日のイースター礼拝の日から礼拝をお休みにいたしました。
4月19日の礼拝も、今日4月26日の礼拝も礼拝堂での礼拝が行えません。
緊急事態宣言は、5月6日までですから、予定では来週の5月3日の主日礼拝まで礼拝を行わないこととしています。
けれど、今の状況では、5月6日から、更に延長される可能性があるのではないでしょうか。
私たちが思っていた以上に、感染拡大は終息しません。いよいよ更に、テレビ、報道では「外に出ないように」「人と会わないように」という声が高くなっています。そんな中で、なんとかそれぞれのご家庭で礼拝を守ることの助けとなればと、パソコンの機能を使って、こうして礼拝ができるようにと考えました。
4月12日のイースター礼拝の場面も、是非、ご覧下さればと思います。
今日、与えられました聖書箇所は詩編55編です。
23節「あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたを支えてくださる。 主は従う者を支え とこしえに動揺しないように計らって下さる」とあります。
今、私たちに与えられている重荷、何と言っても、新型コロナウィスルこそが、そうだ。と誰もがそう思われるでしょう。私もそう思います。この感染する病の拡大がとにかく収まって欲しいと願わずにはいられません。願いつつ、祈りつつ過ごしております。その為に、多くの方々がテレワークといった家での仕事をされたり、学校も休みですから親も子供も家で過ごされたりする機会が大いに増えています。
しかし、そんな中、時折、家庭内暴という言葉が聞こえるようになりました。
朝から、晩まで夫婦が、家族が家で顔を合わせている、それが重荷となっているということでしょうか。
しかし、恐らく家族が一緒にいることが重荷、というよりは、夫の、妻の仕事と言いますか、収入の大幅な減少とか、減少ならまだしも、負債の返済の目途さえ立たない、そういう状況の方が増えているのではないでしょうか。
「あなたの重荷」とありますが、重荷、違う言葉で言えば、心配事、事気がかりな事と言うことも出来ます。
これだけ長く家にいると、運動不足の不安、朝、昼、晩三食作らなければならない不安もあるでしょうけれど、もっと、根源的な、生活がままならない、そんな思いからついイライラ、ムカムカとなって、つい言葉がきつくなって、つい手が出てという方も多いのかもしれません。
実は、先日、神奈川県の中央部を範囲としているローカルのFMラジオがあるのですが、そこで仕事をしている方から連絡がありまして、ラジオに出て下さいというのです。ラジオの司会者、今はパーソナリティというのでしょうか。女性の方ですが、20分位話しをして下さいというのです。綾瀬市に住んでいる方々の紹介のような番組のようでした。
いいですよと簡単に引き受けましたが、後から、あまり宗教色は出さないでくださいとか、色々言われまして、まあ、何とかなるかなと思いながら、打ち合わせは殆どなく、いきなり本番でした。
はじまる3分前位に教会に電話がありまして、司会者と話しをする、教会がどこにあるのかとか、牧師さんって、日頃は一体何をしているのかとかそんな話をしたわけですけれど、当然、コロナウィルスの話にもなりまして、更に、家族が皆、家にいる状態の辛さなどもお話しを致しました。
そしたら、その司会者が食いついて来まして、彼女はお子さんが何人もいるというのです。それで、少しもいう事も聞かない、勉強もしない、寝てばかり、一体どうすれば良いですか、なんだかラジオで、個人的な相談みたいになりました。
結果的にはとっても喜んで下さって、私も良かったなと思っています。でも、皆さん、実際、コロナウィスルだけではなく、このウィルスの重荷があろうと、例えなかったとしても、実際には、実に様々な重荷、心配事、気がかりなこと、一人ひとり抱えているのではないでしょうか。
そのような重荷をどうするのか、聖書には「あなたの重荷を主にゆだねよ」とあります。主にゆだねる、神様にゆだねる、このゆだねるという言葉は、託すとか、任せるという意味の言葉です。もっというと、「下に降ろす」とか、少し強い言葉では「投げ捨てる」という言葉にもなります。
自分が抱えている重荷を神様のもとに降ろすことだと聖書は伝えるのです。それが大切だというのです。そうすると、「主はあなたを支えてくださる」と続き、「動揺しないように計らってくださる」と続きます。
では、具体的にはどのようにして支え計らってくださるのでしょうか。
私たちは一体、何を重荷とするのか、一つは、先ほども申し上げました通り、生活に必要なお金や物、これが無い、揃わない、支払いが滞る、こんな状態は、家庭内暴力とか、人間関係、いたるところで問題が起こり、抱え込んでしまいますから重荷となります。ですから、政治世界もこのことが気がかりとなり、マスク2枚の配布はともかく、中小企業に対する融資を手厚くとか、国民一人当たり10万円ずつという結果に至りました。
なんとか皆で重荷を取り除こうとしているわけです。
でも、テレビ、報道、あるいは医療機関で働かれている方々の声は、何よりも人の命です。これまで、どれだけの方がウィスルにかかり、命を失われたか、私たちは毎日悲痛な思いでもって、知らされ、情報を得ています。とにかくどこにも出ていかないでと、報道は訴えていますし。何より命が大切。これは誰もがうなずくのではないでしょうか。
けれど、あえて言いますが、命が大切と思うと、病気が怖くなり、死ぬのが怖い、自分も死に巻き込まれてしまうのではないかという恐怖と不安で、外に出るのも怖く、人と会うことも怖く、命を守るためとはいえ、日々の暮らしもままならなくなっていく、そういう方々もおられるのではないでしょうか。楽観的過ぎるのはよくないと批判されますが、この状況を恐れすぎて、メンタルが持たない方々のことも思うのです。
多くの方がご存知ですが、星野富弘さんという方がおられます。星野さんは、体育の先生をしていました。ある時生徒の手本にと鉄棒をしていて、落ちてしまい、体が動かなくなってしまいました。話すことも出来て、脳も確かなのに、全く体が動かない、もう生きているのに、死んでいるようなものだと思いながら、長く過ごす中で、キリスト教との出会いがあり、神様の福音にふれて、こう思うようになったそうです。
「命が一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった。命より大切なものがある)と知った日、生きるのが嬉しかった。」星野さんは命よりも大切なものがあると知った時、苦しい人生を、しかし、でも生きていこう、そう思えるようになったのでしょう。
皆さん、今、命を守ることが求められています。それは確かなことです。けれど、神を信じる信仰者として、そのような極限の中にあっても、尚、生きて、生かされていることを感謝しながら、自分の命にしがみつくようにしてではなく、重荷を神様のもとに降ろして、安心して、だからこそ、しっかりと予防して、手洗い、マスクをして、しかし心は笑顔で、希望を持って過ごして参りましょう。出口のないトンネルはありません。かならず出口が与えられる。そのことを信じて今日も過ごして参りましょう。 お祈りします。
讃美歌 579番 「主を仰ぎみれば」(ご自宅で、賛美してくだされば幸いです。)
主の祈り
黙 祷
黙 祷
招 詞 イザヤ書49章13節
「天よ、喜び歌え、地よ、喜び踊れ。山々は歓声をあげよ。主はご自分の民を慰め その貧しい人々を憐れんでくださった。」
讃美歌 18番「心を高くあげよう!」
聖 書 詩編55編23~24節
マタイによる福音書11章25~29節
「あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え どこしえに動揺しないように計らってくださる」
説 教 「あなたの重荷を主にゆだねよ」菊池丈博牧師
詩編55編23~24節
マタイによる福音書11章25~29節
「あなたの重荷を主にゆだねよ」
皆さん、おはようございます。
新型コロナウィスル拡大防止の為に4月7日に政府より緊急事態宣言が発令されました。それまで、なんとかギリギリで礼拝を守ってまいりましたが、いよいよそういう訳にもいかず、決断して4月12日のイースター礼拝の日から礼拝をお休みにいたしました。
4月19日の礼拝も、今日4月26日の礼拝も礼拝堂での礼拝が行えません。
緊急事態宣言は、5月6日までですから、予定では来週の5月3日の主日礼拝まで礼拝を行わないこととしています。
けれど、今の状況では、5月6日から、更に延長される可能性があるのではないでしょうか。
私たちが思っていた以上に、感染拡大は終息しません。いよいよ更に、テレビ、報道では「外に出ないように」「人と会わないように」という声が高くなっています。そんな中で、なんとかそれぞれのご家庭で礼拝を守ることの助けとなればと、パソコンの機能を使って、こうして礼拝ができるようにと考えました。
4月12日のイースター礼拝の場面も、是非、ご覧下さればと思います。
今日、与えられました聖書箇所は詩編55編です。
23節「あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたを支えてくださる。 主は従う者を支え とこしえに動揺しないように計らって下さる」とあります。
今、私たちに与えられている重荷、何と言っても、新型コロナウィスルこそが、そうだ。と誰もがそう思われるでしょう。私もそう思います。この感染する病の拡大がとにかく収まって欲しいと願わずにはいられません。願いつつ、祈りつつ過ごしております。その為に、多くの方々がテレワークといった家での仕事をされたり、学校も休みですから親も子供も家で過ごされたりする機会が大いに増えています。
しかし、そんな中、時折、家庭内暴という言葉が聞こえるようになりました。
朝から、晩まで夫婦が、家族が家で顔を合わせている、それが重荷となっているということでしょうか。
しかし、恐らく家族が一緒にいることが重荷、というよりは、夫の、妻の仕事と言いますか、収入の大幅な減少とか、減少ならまだしも、負債の返済の目途さえ立たない、そういう状況の方が増えているのではないでしょうか。
「あなたの重荷」とありますが、重荷、違う言葉で言えば、心配事、事気がかりな事と言うことも出来ます。
これだけ長く家にいると、運動不足の不安、朝、昼、晩三食作らなければならない不安もあるでしょうけれど、もっと、根源的な、生活がままならない、そんな思いからついイライラ、ムカムカとなって、つい言葉がきつくなって、つい手が出てという方も多いのかもしれません。
実は、先日、神奈川県の中央部を範囲としているローカルのFMラジオがあるのですが、そこで仕事をしている方から連絡がありまして、ラジオに出て下さいというのです。ラジオの司会者、今はパーソナリティというのでしょうか。女性の方ですが、20分位話しをして下さいというのです。綾瀬市に住んでいる方々の紹介のような番組のようでした。
いいですよと簡単に引き受けましたが、後から、あまり宗教色は出さないでくださいとか、色々言われまして、まあ、何とかなるかなと思いながら、打ち合わせは殆どなく、いきなり本番でした。
はじまる3分前位に教会に電話がありまして、司会者と話しをする、教会がどこにあるのかとか、牧師さんって、日頃は一体何をしているのかとかそんな話をしたわけですけれど、当然、コロナウィルスの話にもなりまして、更に、家族が皆、家にいる状態の辛さなどもお話しを致しました。
そしたら、その司会者が食いついて来まして、彼女はお子さんが何人もいるというのです。それで、少しもいう事も聞かない、勉強もしない、寝てばかり、一体どうすれば良いですか、なんだかラジオで、個人的な相談みたいになりました。
結果的にはとっても喜んで下さって、私も良かったなと思っています。でも、皆さん、実際、コロナウィスルだけではなく、このウィルスの重荷があろうと、例えなかったとしても、実際には、実に様々な重荷、心配事、気がかりなこと、一人ひとり抱えているのではないでしょうか。
そのような重荷をどうするのか、聖書には「あなたの重荷を主にゆだねよ」とあります。主にゆだねる、神様にゆだねる、このゆだねるという言葉は、託すとか、任せるという意味の言葉です。もっというと、「下に降ろす」とか、少し強い言葉では「投げ捨てる」という言葉にもなります。
自分が抱えている重荷を神様のもとに降ろすことだと聖書は伝えるのです。それが大切だというのです。そうすると、「主はあなたを支えてくださる」と続き、「動揺しないように計らってくださる」と続きます。
では、具体的にはどのようにして支え計らってくださるのでしょうか。
私たちは一体、何を重荷とするのか、一つは、先ほども申し上げました通り、生活に必要なお金や物、これが無い、揃わない、支払いが滞る、こんな状態は、家庭内暴力とか、人間関係、いたるところで問題が起こり、抱え込んでしまいますから重荷となります。ですから、政治世界もこのことが気がかりとなり、マスク2枚の配布はともかく、中小企業に対する融資を手厚くとか、国民一人当たり10万円ずつという結果に至りました。
なんとか皆で重荷を取り除こうとしているわけです。
でも、テレビ、報道、あるいは医療機関で働かれている方々の声は、何よりも人の命です。これまで、どれだけの方がウィスルにかかり、命を失われたか、私たちは毎日悲痛な思いでもって、知らされ、情報を得ています。とにかくどこにも出ていかないでと、報道は訴えていますし。何より命が大切。これは誰もがうなずくのではないでしょうか。
けれど、あえて言いますが、命が大切と思うと、病気が怖くなり、死ぬのが怖い、自分も死に巻き込まれてしまうのではないかという恐怖と不安で、外に出るのも怖く、人と会うことも怖く、命を守るためとはいえ、日々の暮らしもままならなくなっていく、そういう方々もおられるのではないでしょうか。楽観的過ぎるのはよくないと批判されますが、この状況を恐れすぎて、メンタルが持たない方々のことも思うのです。
多くの方がご存知ですが、星野富弘さんという方がおられます。星野さんは、体育の先生をしていました。ある時生徒の手本にと鉄棒をしていて、落ちてしまい、体が動かなくなってしまいました。話すことも出来て、脳も確かなのに、全く体が動かない、もう生きているのに、死んでいるようなものだと思いながら、長く過ごす中で、キリスト教との出会いがあり、神様の福音にふれて、こう思うようになったそうです。
「命が一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった。命より大切なものがある)と知った日、生きるのが嬉しかった。」星野さんは命よりも大切なものがあると知った時、苦しい人生を、しかし、でも生きていこう、そう思えるようになったのでしょう。
皆さん、今、命を守ることが求められています。それは確かなことです。けれど、神を信じる信仰者として、そのような極限の中にあっても、尚、生きて、生かされていることを感謝しながら、自分の命にしがみつくようにしてではなく、重荷を神様のもとに降ろして、安心して、だからこそ、しっかりと予防して、手洗い、マスクをして、しかし心は笑顔で、希望を持って過ごして参りましょう。出口のないトンネルはありません。かならず出口が与えられる。そのことを信じて今日も過ごして参りましょう。 お祈りします。
讃美歌 579番 「主を仰ぎみれば」(ご自宅で、賛美してくだされば幸いです。)
主の祈り
黙 祷