日本キリスト教団 大塚平安教会 

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すべての人が食べて満足した

2021-02-10 09:07:05 | 子どもたちに福音を
ヨハネによる福音書6章11節
「すべての人が食べて満足した。」

 今日は、イエス様がなされた奇跡のお話です。奇跡とは信じられない出来事です。どんな信じられない出来事が起ったかというと、イエス様の回りに沢山の人々がいました。少しでもイエス様の近くにいて、イエス様のお話を聞きたい、イエス様の声を聞いていたい、そう思って沢山の人々がいました。どの位の人がいたのかというと、男の人だけで5千人であったと書かれてあります。ですから、女性の人とか、子どもの数を合わせると1万人以上イエス様の回りにいたのかもしれません。そんなに沢山の人たちがイエス様の回りにいたわけです。

 だから、きっとイエス様は一生懸命、みんなに神様のお話をしただろうと思います。神様の国のお話や、みんなが元気になるお話、嬉しくなるお話をしたと思います。みんなもいつまでも聞いていたいと思いながら聞いていたでしょう。
 ところが、段々太陽が傾いて来て、夕方になって来ました。夕方になってお腹が空いて来ました。弟子達もお腹が空いて来ました。それで、そっとイエス様に話しかけました。「イエス様、イエス様、そろそろお腹も空いて来ましたし、終わりにしないと、みんなが帰ってご飯を食べなければならない時間になりましたよ。」
 
 そうしたら、イエス様は、「あれ、そうかい、そんな時間ならみんなを帰らせましょう」というかと思ったら、そうは言わないで、弟子達に話しました。「あなた方が食事の準備をすればいいでしょう。」弟子達はびっくりです。「え~、私達が食事の用意をするのですか、だって1万人位は人がいますよ。どうやって食事の用意をするのですか、そんな、無理なことは言わないで下さい。どこかお店に行くと言っても、お金もそんなにありませんよ。」と答えました。

 そこで、イエス様はどうしたのか、というと、「それでは、ここに何か食べ物がありますか?」と聞いたら、弟子達は「はい、ここに五つのパンと二匹の魚があります。でも、これを少しずつ分けても、ほんのちょっぴりしか食べられませんから、やっぱり無理ですよ」と答えました。

 それでもイエス様は、それではその五つのパンと、二匹の魚を持って来なさいと言いました。そしてパンと魚を手に持って、天を見ながら、イエス様はお祈りしました。そうしたらなんと、その手から幾つも幾つもパンが出て来て、幾つも幾つも魚が出て来て、このパンと魚を皆に分けなさいと弟子達に渡しました。弟子達は次から次へと出て来るパンと魚を沢山の人々に分け与えて、なんと、そこにいた女性も男性も、子どもも大人も、ついに、みんながお腹一杯になったそうです。残ったパンと魚がある程、みんな満腹したそうですよ。それは、イエス様がなされた奇跡の業、私達には信じられないお話です。

 でもね、このお話は聖書の中に4回も同じようなお話がありますから、きっと聖書を書いた弟子達は、本当に忘れられない出来事だなぁって思いながら、この話は絶対聖書に書いていつまでも、忘れないで欲しいって思いながら、書いたんだろうって思います。

 みなさん、お腹が満腹する、お腹が一杯になるということはとても、大切です。今、世界の中で、8億人以上の人が、食べ物が無くて困っているそうです。食べ物が無いと、病気になったり、大きくなれなかったり、そして、もった大変なのは、食べ物が無いと、人はイライラして来て、ムカムカしてきて、ちょっとの事でも喧嘩をしたり、争いとなったり、最後には戦争になります。戦争になると、もっと沢山の人が死んで行きます。今も戦争をしている国が沢山ありますね。
食べ物が無くなって、イライラして戦争するでしょ、でも、戦争をすると、野菜やお米を作る人がいなくなって、更に食べ物が無くなってしまいます。食べ物が無くなると、もっと、イライラするので、もっと戦争をしてしまうかもしれません。

 だから、お腹が一杯だなぁって、とっても大切なことです。お腹が一杯だとイライラしません。安心します。幸せだなぁって感じます。幸せだな~って思う人は、喧嘩しません。みんな平和に暮らせます。だから、イエス様はみんなが満腹になって、良かったって思えるようにして下さったと思いますよ。皆さんも、食事をしっかりとって満腹して、心は神様のお話を聞いて良かったなと思って下さって、しっかりと幸せを生きて行きましょう。
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澄んだ目

2019-01-23 13:17:01 | 子どもたちに福音を
【マタイによる福音書6章22節】 

 皆さん、イエス様は色々なことを教えて下さいます。ある時こんなことも教えて下さいました。「体の「ともしび」は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば暗い」とイエス様は話されました。皆さんの目が澄んでいるということは、綺麗な目にしていなさいよ、不潔な目にしているんじゃありませんよということではありません。

 澄んだ目とは、正直に生きて、人を愛して、神様に愛されていることに感謝して生きなさいよということです。
 
どういう事かというと、神様と繋がっているということです。私たちは神様のことを、この目で見えませんけれども、いつも一緒にいて下さいます。そしてその神様が守って下さっています。あ~ありがたいなぁ、感謝だなぁ、そのようにして神様から力を貰って生きていると、正直になり、人を愛し、神様に愛されることになるわけです。

 神様と繋がるとはどういうことでしょうか。例えば、海のタコではなく、空を飛ぶ凧揚げの凧がありますね、凧は風を上手に受けて、飛んでいきますけれど、でもその凧はしっかりと糸で結ばれて、人がその糸の大事な所を持って糸がピンと張って凧が飛ぶでしょう。 
 もし、その糸が切れてしまったら、どうなるかというと、風に乗って飛んでいた凧はあっという間に、バランスを失って落っこちてしまいます。

 そのように、私たちも、私たちに力を与えて下さっている神様としっかり繋がっている間は、しっかりと人生という風に乗って、綺麗に空高く素敵に飛ぶことが出来ると思いますが、神様との糸が切れてしまうと、私たちはとっても不安になったり、怖くなったり、あるいはわがままになったり、嫉妬したり、妬んだり、意地悪になったり、だから、私たちは、いつでもあの凧のように、しっかりと神様と繋がることです。

 どんな高い、高価なテレビでも、冷蔵庫でも、洗濯機でも、コンセントが挿してなければ、絶対に動きませんね。人間も同じです。私たちのコンセントは神様の所にあります。神様の愛をしっかりと受け取って、あ~神様、今日も命与えられ、生かされていることを感謝します。あなたとしっかり繋がって、あなたを信じて生きて行きます、そんな思いを持ちながら一日一日を過ごすことです。
私は、このホームに自動車で来ますが、自動車だってガソリンが無ければ動きません。

 ガソリンがなければただの鉄の箱で邪魔なだけです。でも、ガソリンがあればしっかりと走り、そしてどこまでも走っていくように、私たちのガソリンは神様です。神様から「あなたは大切だよ」、「あなたのことは決して忘れないよ」、「あなたのことをちゃんと覚えているよ」そういう言葉をしっかりと聞きとって、そしてそこから私たちは神様のガソリンを受け取って、あ~、神様、ありがとうございます。今日もあなたに守られて、過すことが出来ます。そのように祈ることが出来る人の目はきっととっても綺麗なことだと思います。

 そして、そのような澄んだきれいな目をしている人を、回りの人が見てね、あ~、あの人って「素敵」、あの人が話す言葉を聞いていると「なんだか嬉しくなってくる」、あの人と一緒にいると「しあわせだなぁ」そういうふうにね、そして、自分もそうなりたいって思うんですよ。

 人はね、近くの人に似て来るんです。スズメとカラスが一緒に電線に止まっていることはありません。スズメはスズメと一緒、カラスはカラスと一緒であるように、人も、同じような人が一緒になります。だから、みなさんが「澄んだ目」、「神様を信頼し、愛されていることを感謝して生きていると」お隣さんも、そのようになります。この冬はねインフルエンザが流行って大変でしたけれど、神様の愛も伝染していくんです。でも、この伝染は祝福の伝染ですよ。だから大丈夫、皆さんの心の中にある神様の光をいつでも輝かせて下さい。そして、みんなが輝くように、幸せだなって思うようしながら、この一週間も過して参りましょう。

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わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊の為に命を捨てる。

2019-01-09 09:13:56 | 子どもたちに福音を

【ヨハネによる福音書10章11節)

 皆さん、羊という動物を見たことがある方、おられますか。羊はね、ずっと、ずっと昔から人間と一緒にいた動物です。猫も犬も人間と一緒にいましたが、でも猫とか犬はペットです。かわいい家族の一員です。

 羊も人間とずっと一緒にいましたが、羊はペットではありません。むしろ、宝ものと言っても良いかもしれません。どうしてか、羊の毛から、セーターとか、パジャマとか暖かくて気持ちの良い着る物が出来ます。それから、羊の肉は美味しいお肉で御馳走になります。羊の皮で、バックや敷物にもなります。

 みなさんウインナーソーセージ好きでしょう。ウインナーの原料にもなります。羊のオッパイからヨーグルトやチーズも作られます。それから、石鹸とか化粧品が作られます。羊の骨や血を使って、薬も作られるそうです。そして、何と羊の糞も大切な燃料となりますし、植物の肥料にもなります。昔は紙もありませんでしたから、羊の皮を薄ーく伸ばして、紙の代わりにして文字を書きました。

 みなさん、ギターって知っていますね。ギターには弦って言って糸のような物を鳴らして音を出すでしょ。その弦も羊の腸が使われていました。

 羊には小さい角もありますが、その角は服のボタンにもなるし、ハンコにも使われているそうです。

 ですから、人間が生きて行く為に必要なものが沢山羊にはありました。そんな羊を沢山持っている人はお金持ちでしたし、羊そのものが宝物でした。人間には無くてはならない本当に大切な羊、ずっと人間と一緒でした。

 でも、もう一つ、羊はね、羊だけでは生きていくことが出来ないくらい臆病な動物でした。素早く動く事も出来ませんし、視力も弱くて、大体0.01位なんだそうです。だから1メートル先位しか見えないんですね。

 羊は一匹では生きて行くことが出来ません。ですから、沢山の羊が群れを作るのですが、それでも人間が一緒にいると安心するようです。怖い動物から身を守ることが出来ますし、食べる草があるところにも連れていって貰える。ですから、羊と人間はね、昔から友達のようにしていつも一緒に過していたわけです。

 そんな羊のお話しをイエス様は時々話されました。今日もそんなお話しをされた箇所を読みました。「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊の為に命を捨てる」と言われました。

 どういうことか、それは人間が羊を大切に飼っているように、イエス様は、私たちをしっかりと大切に見ていて下さいますよということです。

 羊も一匹では生きていけませんが、人間も一人では生きていけません。人間の赤ちゃんが生まれるでしょ。でもね、赤ちゃんは絶対に1人では生きていけません。必ず誰かの助けが必要です。そのようにして、私たちは全員赤ちゃんとして誕生して、今、生きているということは、誰でも、必ず誰かに助けてもらいながら今まで生きたということです。

 そしてね、良い羊飼いといのはね、どういう羊飼いかというと「絶対に逃げない」ということです。狼が襲ってきたら、悪い羊飼いは羊を置いて逃げてしまいます。熊が襲ってきたら、悪い羊飼いは死んだふりをするかもしれません。

 でもイエス様は「私は良い羊飼いである」と言われました。それは、あなたが今、どんな状況の中にあっても、どんな状態の中にあっても、あなたから逃げないで、いつも一緒にいますよ。あなたが子どもの時も、大人になっても、年を取ってしまっても、体が動かなくなっても、自由に動けなくなって来ても、どんな時も、嬉しい時は勿論、悲しい時、涙する時、いつもイエス様が一緒にいて、慰め、励まし、力付け、一緒になって生きて行こう、頑張っていきていこうよと、決して逃げることなく、いつも一緒にいて下さいます。それが、神様の大きな愛の力なんですね。

 どんな時も良い羊飼いとしていつも一緒にいて下さる神様に感謝して今週も過して参りましょう。お祈りします。


教会のHPアドレスです。http://www.ohtsukaheian.jp/
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自由に生きるのに大切なこと

2018-05-30 09:11:30 | 子どもたちに福音を
「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからです。」
 【ヨハネの手紙一 4章19節】

 皆さん、今日は「自由」について考えてみましょう。「自由」という言葉を知っている?どんな感じがしますか?そう、自由はなんでも出来るということですね。
もし、私達がドラエモンのポケットを持っていたら、どんなに自由で楽しいことかと思います。
皆さんも、もし、自分がなんでも出来たとしたら、みんなが幸せになるでしょうか?

 ドラエモンを見ていると、のび太よりは、ジャイアンのほうが「自由」な感じがしますね、好きな時に野球して、スネオのおもちゃも使い放題、のびたのマンガも読み放題です。だからジャイアンは、大分自由だと思います。
でも、ジャイアンは自由で好きなことをしていますが、みんなから大好きって思われているでしょうか?違いますね。どちらかと言うと、嫌われていますね。
 どうして嫌われているんでしょう。そう、自由だからです。

 でも、その自由は、ジャイアンの自由で、ジャイアンが好きなことをすれば、するほど、回りのお友達が困ってしまいます。みんなジャイアンのコンサート聞きたいですか?やだよね~。

 私たちは自由が大好きです。だって好きなことが出来ますから、でも、その自由で、他のお友達や先生が困ったなぁったと思うのだったら、多分それは本当の自由ではありません。

「自由」に生きるのにとても大切なことがあります。自由の中に絶対に必要なものが一つあります。それは「愛」です。みんなが大事だよ、みんなが大切だよ、みんなが必要だよ、みんなを愛しているよ、という「愛」がある時、みなさんは本当に自由になれます。そして聖書は、こう書きました。「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからです。」

 神様がわたしたちを愛して下さった。愛して下さったということは、神様と私たちがいつも一緒にいて下さるということです。皆さんの家にテレビがあるでしょう。テレビを見ていますか?なんでテレビが見られるかというと、スイッチを押すとみられるわけではないんですよ。なんで見られるかというと、コンセントに繋がって、電気がテレビに繋がっているからなんです。皆さんの家に洗濯機がありますか、洗濯機がなんで動くのかというと、これもスイッチを押すと動くわけではありません。やっぱりコンセントに差し込んで電気によって動くわけです。皆さんの家には自動車があるでしょうか。自動車がなんで動くか知っていますか。タイヤで動くわけではないんですよ。エンジンがあるから動くわけです。でも、エンジンもガソリンがなければ動きません。全部揃っていても、ガソリンがなければ何にもなりません。一番大事な所は、本当はあんまり見えない所にあるのかもしれませんね。

 神様も私たちはこの目で見えませんけれど、でも神様がまずわたしたちを愛して下さったということは、私たちに生きる命を与えて下さったと言うことです。 神様が私たちを愛して下さって命によって私たちは生きているんですね。

 イエス様が私達をしっかりと神様と結びつけて下さっている時は、しっかりと神様の愛を受けて、大きくなっていくことが出来ます。だから、いつも神様に繋がっていることです。テレビがコンセントとしっかり繋がっているように、洗濯機が神様としっかり繋がっているように、繋がらなければ動かないように、私たちも神様としっかり繋がって、そして友達ともしっかりと繋がっていきましょう。神様としっかりと繋がっている時、私たちは一番、本当の自由に生きることが出来ます。

 私達を造って下さった神様は、愛の神様です。それは、みんなが幸せになれるように、笑顔になれるように、私達に沢山、神様の愛を注いで下さいます。その愛が心の中に一杯になると、みんなね、本当の自由になれますよ。嬉しいな、楽しいな、みんなの笑顔の中にこそ、本当の自由があって、それは神様が下さった確かな幸せの証だと思います。


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お返しはいらない

2018-03-19 12:00:52 | 子どもたちに福音を
【エフェソの信徒への手紙5章1節】

 今日の聖書に書かれてあった御言葉はこういうことばでした。「あなた方は神に愛されている子どもですから、神に倣う者となりなさい。」

 とっても大切なことがかかれてあります。一つ目、皆さんは神様に愛されているということです。
 
 神様に愛されているって、どういうこと?

 私の好きな本、「おかえし」という名前の絵本があります。たぬきと狐が主人公です。

 ある日、きつねのお母さんと子どもが、たぬきの家の隣に引っ越ししてきました。引越しの挨拶に、きつねのお母さんが「イチゴ」を持って行きます。喜んだ「たぬき」は、タケノコを「おかえし」に持って行きます。「おかえし」を貰った狐は、そのお返しに「お花と花瓶」を持って行きます。

 まあ、吃驚したたぬきは、そのお返しに「絵と壺」を持っていきます。そのお返しに狐は、「クッションと椅子」を持って行って、またまた、そのおかえしにたぬきは、家の机とか、時計とか、いろいろ「お返し」して、もう最後は狐さんが持っていたもの、たぬきさんが持っていたものが全部、お返しで入れ替わってしまって、もうお返しするものが無くなってしまった狐のお母さんは、子どもを連れて来てこの子をお礼に「お返しです」ってたぬきのお母さんに渡しちゃうのです。びっくりしたたぬきのお母さんも、なんにもお返しするものがなくなってしまって、たぬきの子どもを、狐のお母さんのところへ持っていって「この子、お返しです」子どもまでお返しするのです。

 狐のお母さん、とうとう、おかえしする物がなくなって、たぬきさん、すいません「お返しに」私がお返しです。たぬきさんまたまた、びっくりして、狐さんに、それじゃ、わたしも お返しにわたしがお返しです。で、最後に、何が変わったかというと、住む家が変わって、子どもも家のものも全部自分のものというお話です。とっても面白いお話ですからね。いつか読んでみて下さいね。

 私たちは、何か貰ったら、ありがとうって言ってこれ「お返し」ですってお礼することがあります。
 
 でもね、神様に愛されているってことは、どういうことかというと、お返ししなくてもいいんだよってことです。

 神様は、私たちが神様にお返しが欲しくて愛しているわけではありません。愛することがとっても嬉しいんです。みなさんが元気で、喜んで、楽しくて、笑っている姿があれば、それが最高の神様へのお返しです。

 だからお返しの心配しないで、毎日、神様ありがとうございます。って感謝しながら元気一杯に生きることが、神様の喜びなんです。

 そのような神様を知って、礼拝する私たちをご覧になってとっても神様は喜んで下さっていると思いますよ。お返しなんかいらない、みんな元気ならそ
 れが一番素敵、それが神様の愛です。
 
 そのような「愛」を知っている私たちは、どうするか、二つ目、神様に倣う者になりなさいって聖書に書かれてありました。
 
 神様に倣うってことは、神様に似るってことです。似て来る、どういう風に似て来るのか、そう「おかえし」はいりませんよ。ってことです。
 
 私の家にハムスターがいる話しをしたことがありますね。今もとっても元気にしています。子どもは今度小学校4年生になりますけれど、ハムスターを一所懸命可愛がって、お水を上げて、ひまわりの種を上げて、砂を変えたり、掃除をしたり、していますけれど、ハムスターはなんにも、お返ししてくれませんね。いつもありがとう、これは「おかえし」ですって、チョコレートを貰ったことはありません。

 でも、子どもは、とってもハムスターを可愛がっています。名前は黄色いから「黄色くん」、とってもかわいいです。お世話をするととっても嬉しくなりますね。「おかえし」が欲しくてお世話をしているわけではありません。

 そのように、神様もわたしたちを「おかえし」が欲しくて愛しているのではありません。神様が私たちに命を下さり、人生を与えて下さり、そして素敵に生きていきなさいよ。喜んで生きていきなさいよって、そう思いながら私たちを生かして下さっている。そのことを知って、私たちがお返しできることがあるとしたら、それはは、みなさんの笑顔と讃美の歌声、そして、わたしたちも、みんな神様から愛されている、だから、私たちも皆を愛してあげよう、親切にしよう。優しい言葉を使おう、楽しく過ごそう。そんな一日、一日を過ごすこと、それが神様に似ることだと思います。笑顔で過しましょう
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