日本キリスト教団 大塚平安教会 

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狭い門から

2021-10-16 16:02:26 | コラム
「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。」(ルカによる福音書13章24節)

 ある時にイエス様に聞いた人がいました。「主よ、救われる者は少ないのでしょうか。」その問いに答えたのが今回の聖書の御言葉です。「狭い戸口から入るように努めなさい。」
 
  狭い戸口というと、茶室を思い起こします。茶室の入り口は「にじり口」といって、身をかがめなければ通り抜けられない程小さい入口です。千利休というお茶の先生が考えたといわれています。
 例えば刀は武士の魂と言われるように、武士はいつも刀を腰に差していました。けれど茶室に入るには刀をはずさなければ入れなかったといわれます。つまり、千利休は、茶室に入る時は、なにも持たず、皆が平等の立場で平安にお茶をいただくのが良いと考えたのだと言われます。

 一説には千利休はクリスチャンであったとも言われています。茶室を霊性豊かな場所にと考えたのかもしれません。
 
 さて、狭い門とはなんでしょうか。最初に戻りますが「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と問われました。「救われる者」とは「神様を信じる者」のことです。神様を信じるために大切なことは、自分の手に握っている物を手放なすことです。握っているものはひとりひとり違います。財産、健康、社会的立場、家族、自分のもっとも大切なものを人は自分の手に握っているのです。それをも神様に委ねられるかどうかが鍵になります。

 委ねようと決心する人は少ないのです。だから戸口は狭いと主は教えられたのではないでしょうか。私たちは出来るなら全てを主に委ねて、神を信じ、希望をもって歩んでいきましょう。

元気が出る言葉 第10回

2021-09-04 09:03:29 | コラム
 みなさんこんにちは。大塚平安教会牧師の菊池丈博です。今回の人生これからメッセージは、新約聖書ルカによる福音書19章5節の御言葉です。

「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」

 イエス様がエリコという町に入った時のお話です。エリコの人々はイエス様が来たと大喜びで道に出て出迎えました。イエス様も喜んだと思います。ふと上を見上げると桑の木があって、その木からザアカイという名の人がイエス様を見ているではありませんか。
 
 徴税人のザアカイは、自分もイエス様を一目見たいと思って道端に行ったのですが、仕事柄、街の嫌われ者だったザアカイに誰も場所を譲ってくれる人もなく、仕方なく桑の木に登ったわけでありました。

 そんなザアカイを見上げながらイエス様は話されました。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日はぜひあなたの家に泊まりたい」この言葉はザアカイにとってどんなに驚きと共に喜びであったでしょうか。
 
 その日の晩には、ザアカイと一緒にイエス様、お弟子さんたち、食事をしながら笑顔と何よりも沢山の会話で大いに盛り上がったことでしょう。

 コロナ禍によるパンデミックの状況が一年を越え、一年半を越えようとしています。いつになったら平穏な状態になるのか、私たちはまだまだ不安と不満の中で過ごしています。私達の教会も昨年は何週にも亘って礼拝を休みました。コロナ禍の中で何が辛いかというと、人と接する機会、人と話をする機会が随分と減ったことです。
 
 人は一人では生きていけません。生きていけないので人は集まって、家族となり、社会を造り、コミュニティとなって生きているのです。つまり会話というより、言葉を発して自分の気持ちを伝えながら生きているのです。
 人と接する機会が減り、会話する時間が無く気持ちを伝えられない状況は人を不健康にします。コロナにならなくても体の調子を崩している方も多いかもしれません。
 
 ザアカイも人との会話不足、関係作り不足による不満や不安を生きていたでしょう。そこにイエス様が通りかかりました。

 皆さん、こんな時代に会話が足りないと思っている方気を付けましょう。まずは神様との会話祈ることです。元気になります。元気になったところで、家族との会話、夫婦で会話、仲間との会話、近所の方々とのおしゃべり、そうやって自分を解放していきましょう。閉塞感の強いこの時代に、マスクはしっかり付けて、でもどんどん会話していきましょう。とても元気になるはずです。。元気になってこの時代しっかり生きていきましょう。

 会話、足りないなぁと思う方、ぜひ、教会においでください。いつでも沢山出来ます。(笑)

 皆さん、人生これからです。

 ※このメッセージはスマホのラジオトークで聞くことが出来ます。牧師が直接語りかけています。興味のある方は「ラジオトーク 人生これからメッセージ」を聞いてみてください。大塚平安教会のHPからスキャンで入りますと楽です。

元気が出る言葉 第9回

2021-08-21 15:29:38 | コラム
 みなさん、こんにちは、大塚平安教会牧師の菊池丈博です。今日の人生これからメッセージは、旧約聖書 詩編104編19節の御言葉です。

 「主は月を造って季節を定められた。太陽は沈む時を知っている。あなたが闇を置かれると夜になり 森の獣は皆、忍び出てくる。」

 最近、コロナ禍の中で家に引きこもりがちになって過ごしていますが、先日は家内に、座間の知り合いの花屋に行きたいと言われて車を出しました。到着して、ご主人から真っ赤な袋を付けた「ホオズキ」の枝をいただきました。
 私はその時、改めて、今は夏の終わりに向かう季節だったと感じました。この8月、夏を過ごしてきましたが、コロナ禍の影響で夏の花火大会やお祭りといった声も聞かず、長雨の被害が各地で起こり、季節を感じるどころではなかったなぁって思わされました。

 その夜の夕食で、なぜか家族で河童の話になりました。河童は妖怪なのか神様に近いのか。息子が妖怪ではないか、だから捕まえようと主張したので、それはダメだよ河童は大切にしなきゃと私は返事しました。多分子どもの頃からの感性とか、思いからそう言ったのでしょう。

 河童の季節を考えると、やはり夏だと思います。きゅうりの季節ですから(笑)

 私達は、夏は夏、秋は秋と言った季節を感じながら過ごします。服装にも季節感が出ます。そんな私たちが感じている季節感と、聖書の御言葉が一致してくると、聖書はより身近に感じるのではないかって思いました。
 
 随分前ですが、スイスの教会の礼拝に出席しました。10月頃だったと思います。礼拝ではスイスの民謡でもあるヨーデルの聖歌隊が美しい歌声を響かせていたことを思います。ヨーデルはアルプス地方の民謡ですから、本来キリスト教と重なっているわけではないでしょう。でも、礼拝とヨーデルは良く似合うと思います。似合うように構築されてきたのでしょう。

 私は、日本の民謡と礼拝もきっとよく似合うと思います。聖歌隊が主なる神に向かって民謡でもって賛美する。そんな日が来た時、きっと、ずっと多くの方々が教会に集っているのではないかって思ったりしています。

 河童と聖書はなじむかどうか、分かりません。でも私達が感じる季節の中で、聖書を読み信仰が養えるとしたら、私たちはより一層の喜びを得られそうだと思うのです。色々なことを考えながら、将来は夢で一杯です。皆さん人生は、これからですよ~。

 ※ このメッセージはラジオトークで聞くことが出来ます。牧師が直接語りかけています。興味のある方は「ラジオトーク 人生これからメッセージ」で聞いてみてください。教会のHPからスキャンで入ると楽です。

元気が出る言葉 第8回

2021-08-06 17:16:33 | コラム
 みなさん、こんにちは、大塚平安教会牧師の菊池丈博です。今日の人生これからメッセージは、新約聖書マルコによる福音書8章34節の御言葉です。

「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」

「ミニマニスト」という言葉があります。出来るだけ物を持たないで生活をしている人という意味です。わたしはいつも憧れています。部屋に何も無いのは良いなぁと思います。

わたしの趣味は、庭のバラ、玄関の熱帯魚、居間にはギター、パソコンでは英会話、ニンテンドーの「あつ森」もやっています。でもどれも上手くいきません。あれもこれもと手を出すのですが、常に挫折しています。更に、どれも思っている以上に出費がかさみます。

 ですから、ミニマニストのように思い切って、何も無い生活って良いなぁって思うのです。自由だなぁって思いますし、どこか修道士のようでもあります。憧れます。

 でも、無理そうです。牧師なのに自分を捨てられません。やっぱり、あれもこれもと思うのです。

 でも、イエス様が話している「自分を捨て」という言葉は、ミニマニストのようになりなさいという意味なのでしょうか。

 多分、半分はそうだと思います。でも、残りの半分は物ではなく、「心」の問題だと思います。物は捨てられても、心は滅多な事では捨てられません。

 人は自分が思っている以上に頑固ですし、他人の意見を聞こうとしませんし、自分こそは正しいと思うのです。人から意見されたり、批判されたりには耐えられず、腹が立つのです。大人でも子どもでも、たいした違いはありません。人は、自分の思いに「そうだねぇ~」と言ってくれる人をこそ探し、求めているようなものです。
 
 でも、そのような人は人間社会にはいません。最愛の妻も、夫も、子どもも、親さえも、この人の為ならと思っているとしても、誰もが自分を捨てきれないからです。

 主イエス・キリストだけが私達のために、自分を捨てて十字架で死に、神様の愛の形を見せてくださいました。だから、この方にこそ、私たちは従っていきましょう。自分を捨てきれない私達でも赦して、愛してくださるのはこの方だけなのです。

 なぜなら、この方だけが自分を捨てて、私達を救い、愛して下さったかからです。この方の愛に生きていきましょう。

 皆さん人生これからです。

 ※ このメッセージはラジオトークでも聞くことが出来ます。牧師が直接語りかけています。興味のある方は、「ラジオトーク 人生これからメッセージ」で聞いてください。教会のHPでスキャンするとすぐ聞けます。

元気が出る言葉 第7回

2021-07-23 14:27:08 | コラム
みなさん、こんにちは、大塚平安教会牧師の菊池丈博です。今日の人生これからメッセージは、新約聖書エフェソの信徒への手紙5章8節です。

「あなたがたは、以前に暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。」

 今週は幼稚園の1学期が終わり、海の日の木曜日には、今年3月に幼稚園を卒業して、小学校に入った皆さんが、久しぶりに集まって同窓会を行いました。

 殆ど全員が集まって来てくださり賑やかな同窓会でした。最初に礼拝堂で神様に礼拝を献げました。礼拝の中では「光の子として歩みなさい。」という話をしました。
 
 光の特徴は三つ、暖かい、早い、明るいです。今は夏で暑すぎますが、冬の寒い日の太陽の光の暖かさは格別だと思います。「ひかり」という新幹線もありますが、光はなによりも早い、そして、明るい。だから、皆さんよ、光の子として、明るい人生を歩んで欲しいと願っていますとお話しました。

 明るい人生とは、隠し事が無いという事です。既に50年以上も前になるので自分でもびっくりする位ですが、私が小学校1年生位の時だったと思います。6年生になる兄がおりました。
 母親が珍しくドーナツを作ってくれた。もう楽しみで楽しみで、母親は一人5個だよって言うのです。だから嬉しくてあっという間に五個食べてしまいました。
 その時、兄は遊びに出ていて、家にいませんでした。兄の五個のドーナツが兄の机の上にあるのを知っている訳です。もう、食べたくて食べたくて、そっと兄の机に近づいて、五個を確認して、もう食べたくて、ついに一個持ち上げて、パクッて食べたのです。
 
 でも、誰も見ていないし、兄も帰ってきて4個のドーナツをペロリと食べてしまって、私の罪は、誰にも知られず完全犯罪となりました。50年経っても兄には言っていません。怒られそうですから。

 でもね、神様は見ておられたでしょう。だから、ずっと私の心の中では忘れられない出来事なのです。食べちゃったな~、という罪悪感が心の奥深くにあって、忘れられないのです。隠していることは、ずっと忘れないのです。だから、皆さん、隠さないことですよ。

 光の子として歩みなさい、それは隠し事なく、なんでも話し、なんでも相談しながら、神様の光の中を生きる事です。それが人生、楽に生きていける秘訣だと思います。これからも、神様に守られて、光の子として生きていきましょう。皆さん、人生これからです。

  元気の出る言葉は「ラジオトーク」で配信しています。スマホかPCで「人生これからメッセージ」を検索して聞いてみて下さい。