ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

モンゴヌイ・ワイタンギ行:モンゴヌイ・ヘリテージトレイル前半

2016-08-09 | 旅行
リトルキッチンでの朝食後は、旅行前から楽しみにしていた

モンゴヌイの歴史的建造物を巡るモンゴヌイ・ヘリテージトレイル
(※ダウトレスベイ・オンラインより)


この地図を見ながら自分の写真と見比べていたら、通りかかった夫が









「それってポケモンが取れる地図かなにか







「・・・・・・・







ヤツは私より遥かに長生きするだろう


古い物、特に古い建物を見るのが好きな私にはピッタリ
今はこんなに小さな町でも19世紀に花開いただけあって、
古い建物には事欠きません

これなんか傾いて見えますが
ホントに傾いてますから(笑)



標識もたくさんあって親切設計



まずは海岸通りのウォーターフロント・ロード沿いに①から開始

この道、地図ではウォーターフロント・ドライブですが
NZでは細かいことは気にしないのがお約束(笑)
(※でも1本しかない道なのになんで違うの?←やっぱり気になる)


1:コートハウス(裁判所)(1892年)

1892年に建て替えられ1948年まで裁判所として機能していたそう
76年までは警察署、現在は保護団体の支援のもとアートギャラリーに

2:ワーフストアー(1890年頃) 

最初は中心部分だけだったカウリ建築(贅沢~
両側部分は1990年代の増築


100年以上前の建物を改築してそのまま使っちゃうのがスゴい



一番左のリトルキッチンまでの眺めはこんな感じ。

歴史的建造物らしい褪めた色合いがなかなかステキ
こういうところの統一感はさすがです。


3:モンゴヌイホール(1894年)

民間ホールを1950年に自治体が買い上げ戦没者慰霊ホールに
とっても助かる公衆トイレ付き(笑)


美しい海岸線を離れてやや高台へ。



4:初期入植者の家(1860年頃)
3軒とも目と鼻の先でまるで映画村かなにかのよう。

ラサール・コテージ

1830年頃この地にやってきた初代ラサールは最も初期の入植者
コテージは現在も一族が所有

ペニー・コテージ

初代ペニーは警察署長だったそうで、一族が80年間所有。現在は民家


バレット・コテージ

後から増築されたようで、大きな建物になっていました。


工事中でしたが宿泊施設だそうで、完成したら泊まってみたい



5:水兵の墓(1864年)

1864年にモンゴヌイ湾で水難事故に遭った3人の外国人水兵の墓
アレキサンダー・レート(享年22歳、イギリス人水兵)
エドモンド・ムーディー(享年24歳、アメリカの黒人奴隷)
ジョン・ローズ(享年24歳、アメリカ人水兵)


この辺りは周辺でも最も高台で、遠い異国の地で客死した若い3人を
一等地に手厚く葬っていることにキウイたちの優しさを感じ、
トレイルの中で一番印象に残りました。
白人も黒人も水兵も奴隷も一緒に日当たりのいい丘で眠っていました。


6:モンゴヌイ湾の入り口に位置する3ヶ所のパ(マオリ集落跡)

湾の向こうの2ヶ所がランギトト・パとモエフリ・パ


手前の一段と大きなのがランギカピティ・パ

360度が見渡せる最高の立地です。


7:ファカアンギ山

かつてはマオリの大きな集落があった場所。
現在はブラウンキウイの一大生息地



8:セントアンドリュース教会

1860年に建設され、1870年までは学校と併用されていました。


敷地内の墓地には初期入植者が眠っています。

モンゴヌイ湾を見下ろす絶景の地


9:モンゴヌイ小学校

隣のセントアンドリュース教会から分かれてできた学校
現在は小学校の図書館として使われていました。


そのまま使われているところがスゴい

歴史的建造物の標識もあります。


拡張されモンゴヌイ小学校は海が見渡せる素晴らしい場所で

広ーい青々としたグランドに子どもたちの声が響いていました。
これが最初に通う学校だなんて、ある意味羨ましい


トレイルもここからは後半へ


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