ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

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ハワイ行:慟哭のラウパホエホエ岬

2018年01月14日 | 海外:ハワイ

ホノムを出てハワイ・ベルトロードをさらに北上すると




「あれじゃない

海に突き出た地形で、すぐにわかった場所


近くに色褪せた白黒の写真

事情を知る誰もが足を止める場所なのでしょう。


写真に記された赤い番号を目にしただけで

動悸がするようでした。


下りて行くと花で埋め尽くされた記念碑が。



狂おしく咲く鮮やかな南国の花々

おびただしい数の生花


最近亡くなった身近な誰かを悼むようでありながら、

70年以上も前のいにしえの人たちを弔っていることに
強い衝撃を覚えました。


ここはラウパホエホエ岬といい



流れ出た溶岩が固まって海に突き出し岬となり

今では広い公園になっています。


ここにはかつて大きな学校があり



教職員の宿舎もありました。

周囲のプランテーションで働く労働者の子どもたちのために開校し


60年超のその歴史は1946年4月1日に唐突に終わりました。

あの日のエイプリルフールデー津波で学校施設は全壊
生徒と教職員合わせて24名が帰らぬ人となりました。


犠牲者の先生と生徒たち



どちらにもたくさんの日系人がいます。



フローレンス・ナカノ先生

お子さんのステラちゃん(4)とノーマンくん(3ヵ月)と犠牲に。


三方を水に囲まれたような場所

逃げ場はなかったのでしょう。


ハワイ全土で159人、ヒロだけで96人が亡くなったので、
ラウパホエホエの24人の被害がいかに大きかったことか。

ヒロの太平洋津波博物館でも大きく取り上げられていました。


学校は2度と再建されることはありませんでした。

当時の残がいが今でも野ざらしになっています。


今は公園として住民の憩いの場となり

家族連れがバーベキューを楽しんでいました。


海岸で遊ぶ子どもたち。



しかし、長閑な光景と隣り合わせで



岩場には荒波が打ち寄せ



行き場を求めて悶え苦しむように



荒れ狂っていました。



身悶えしながら失われた命を嘆き悲しむように



何者をも寄せ付けない

魂の慟哭のように見えました。


もう2度とこんな悲劇が繰り返されないように

と祈りつつ、次の目的地へ向かいました。


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