Pieces of My Life♪ ニューヨーク近郊の暮らし

子育て専業主婦から脱出!ニューヨークで医療従事者しながらコロンビア大学大学院在籍。ニューヨークのお弁当も頻繁に更新中。

人見知り克服、実践編

2016-08-31 | 女を磨きたい・・・

もともとは、人見知り克服のためにしたことではないのですけどね。

「挨拶」
子供たちに「挨拶」の大切さを教えるためにしたことでした。
わたくしの住んでいるところはジューイッシュ(ユダヤ系)の人が多くってですね、
ユダヤ教徒の中に時々いる、こんこんちきというのは、
強い選民思想から、他の人種を蔑み、
挨拶をしないのですね。

たとえ我が子が「おはようございます」と面と向かって挨拶をしても、
しないのです。

息子がドアを開けて待ってあげていたとしても、
「ありがとう」とも言わないのです。

自分たちは選ばれた民だから、他の人種はそれくらいして当たり前!
という、そういう考えですから。
(そりゃ、そんな態度じゃイスラム教に恨まれるって!)

そんなことが何度かあって、
息子が悲しそうに、
「どうしてあの人達は、挨拶をしてくれないの?」と聞いてくるようになりました。

なので、
「相手が挨拶をするとか、し返してくれるとか、そういうことはどうでもいいの。
挨拶はしたもん勝ち。最初に言った方が勝ちだから、
言われてするのではなくて、自分が先に言うの。
あの人たちは、挨拶をしてくれなかったとしても、
一日ずっと、後悔の念で悶々とした日を過ごすことになるから、
勝ち負けで言うなら、明らかに負け。
だって、子供の挨拶を無視するんだよ。
なんて大人げない人間なんだろうと、悩むのが普通の人間。
ユダヤ教の律法を学ぶ前に、常識を身に付けろという話。
悶々とさせてやればいいんです。」

と指導。

「挨拶は、先にしたもんが勝ち!」「されるのを待つな!」

こう我が子に教えたからには、
私自身が実践しなくてはいけないわけで、
「母さんがするのを、見てらっしゃいっ!!」と、
相手が誰であれ、挨拶はし捲る!
ということを貫いて6年。
挨拶をしてくれなかったユダヤ人のこんこんちき達、
今じゃ全員挨拶し返してくれますし、
普通に会話もしてますから(苦笑)。
あっ、でも彼らは、ユダヤ以外の人種で話てくれるのは、
私と我が家の子供たちにだけ限定だと思います。

「挨拶は頑なな人の心をも動かす!」



「会話」

これは自分の会話力やスピードを試すための挑戦でした。

「会話の流れは、私で始まって私で終わらせる。」という挑戦を、
実践していました。

たとえば、
私:「おはようございます。」(歩き続けながら)
人:「おはよう。」(歩き続けながら)
私:「今日はいいお天気になりそうですね。」
人:「昨日、雨降ったからね。」
私:「大雨で、木々の緑が鮮やかになりましたね。」
人:「そういえば、そうね。」
私:「じゃあ、良い日をお過ごしくださいね。」
人:「あなたもね。」
私:「ありがとう。」

と、私で始まって、私で終わらすのです。
そんなに難しいことではありませんが、
構えておかないと、相手が何を言ってくるか分かりません。

これがですね、
ニューヨーカーというのは、
無意識に、自分の言葉で会話を終わらせようとする人が多いのです(苦笑)。
何か言われたら、必ず言い返すという文化なんでしょうね、
下手すると永遠に続きます(汗)。

人:「で、お子さんどうしてる?元気?」
とか、続いてくる、、、。
忙しい時に。。。(涙)

が、これが会話のキャッチボールの訓練には持って来い。
ターゲットはどこにでもいるんですもの!

わたくしが心がけていることは、
ポジティブなことを言うようにするってことです。
あとは、相手を褒めたり。
「暑い~」とか「凄い疲れてるの~」とかは、言わない。。。

この、会話力をつけるための挑戦が、
どういうわけか人見知り克服に繋がっていったのでした。



「世代」

同年代に固執せず、
話しやすそうな年配の人ばかりをターゲットにせず、
ちょっと勇気を出して若い世代と話すのは、
とてもいい訓練になります。

同年代は会話の内容がほぼ同じ、
子供のことや習い事、学校のこと、旦那のこと。
年配の人がいうことも、まあ、似たり寄ったり。。。

なんてことないけど、楽しい会話が出来るのが若い世代で、
しかもNYの若者は、中年女性相手にも非常に優しいです。

わたくしは、同じ建物に住む、次期「不動産屋の社長」になる、
20代の男性がよく相手をしてくれまして、
Hey!Say!JUMPの山田涼介みたいな顔した、ガチでイケメンなのですが、
彼はロビーで、私のファッションチェックもしてくれます(苦笑)。

わたくし、あちこちにお気に入りの男の子がいるのです(苦笑)。
だって、気に入らない男子と話す必要もないしね。。。

こういう他愛のない話が一番盛り上がり、
会話が途切れず、楽しく、
BBAがバレないような、若向けテンションで話すので、
凄くいい「会話練習」と「人見知り克服」、序に「女度UPの向上心」に役立ちます。
恐らく白人の彼らは、私の年齢なんて全く予想がついていないのだと思いますけど。。。

「10代で子供産んだの?」って以前言われましたから(苦笑)。

まあ、そういうことでいいんでないの?

20代や30代女子と、メイクやファッションの話、
ダイエットの話をするのも、
とても楽しいです♪

今、もしかしたらこの子と生涯のベストフレンドになるのかな~?と、
思っている女の子は、
30代前半の子です。

まっ、年齢の上下関係なく話せるのがアメリカのいいところなんですけどね。


「一日一人、新人さん」
会話のスピードや内容が楽しくなってきてから始めた挑戦です。
毎日一人、今まで話したことの無かった人と、
ガッツリ話すというチャレンジ。

スーパーのレジの人でもいいし、
宅配の人でも、郵便配達の人でも、
たまたま通りですれ違った子連れの人でも、
コインランドリーに居合わせた人でも、
誰でもいいので10分以上話します。

で、同じ人で2~3回話し込めると、
もうとっても仲良しになっていたりします。



「声掛けてくれたら、感謝の言葉」

これね、なんというか、ナンパされたらってことです。

決して、わたくしがまだイケてるとかではないのです。
NYという街は、既婚者だと知っていようが、
子供と一緒だろうが、
南米系と、アジアでは韓国系を中心に、
積極的に声を掛けてくれる男性が多いのです。
たぶん、好みの服装、好みのメイクだろうな。。。
以前は、「うるせ~!!馴れ馴れしく声掛けんなぁ!」とか思って、
無視しておりましたが、
40を迎えて考えがガラリと変わりました。

こんな私のために、わざわざ立ち止まって、
お声を掛けてくださるなんて、
本当に有り難う。。。と。

ああ、なんて謙虚。。。(苦笑)

旦那でさえ言ってくれない甘い言葉を、
わざわざ仕事の手を休めて言ってくれるんですよ。
40過ぎに!
どうせ言うなら20代のピチピチした子に言いたいでしょうけど、
「うるせ~」って悪態付かれるのがオチなので、
こうして40代に言ってくれるのです。

そして、わたくしは言うのです。
「Thank you. You made my day!」
(ありがとう、お陰でいい一日になったわ!)
と。

すると、私を見かけるたびに毎回言ってくれます(苦笑)。

なんと気分の良いことよ!!(爆)
もっともっと言って!!

これらのことをやっていたら、
いつの間にか人と会って話すのが大好きになっていました。

興味のある方は、お試しあれ~。

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人見知り、完全克服!

2016-08-31 | 女を磨きたい・・・

数日前に気づいてしまったのですが、
わたくし、プロフィールにも書いてありました「人見知り」、
いつの間にやら完全克服しているようなのです。

とに角今は、「知らない人に話しかけたい!話してみたい!」
という気持ちの方が強くてですね、
近所の人でも、同じ建物の住人でも、
若いのも年寄りも、男も女も、
人種も何も関係なく、
わたくしからジャンジャン話し掛ける!
そして話すのが楽しくってしょうがないのです。

今日は誰と話そうか、何話そうか、と、
そんなことを考えるだけでワクワクしちゃって、
人生って楽しいな~と思うのです。

もうこの辺りじゃ、よく喋る日本人と言えば、
全員知ってんじゃないか?と思えるほどです(苦笑)。

なので、家族旅行でも、
大自然の絶景もさることながら、
初めて会った人たちと一緒に過ごした日々が、
もう、楽しくって楽しくって、
思い出すと泣きそうです。。。

あれ?何故こんなことになった?と、
遡って考えていたのですけど、
いくつかの要因があって、自ら殻に篭り、究極の「人見知り」になり、
いくつかの挑戦と状況が重なって、
突き破っちゃったんだな~。
ということが分かりました。

ちょっと長くなりますが、「人見知り」を克服したい方の参考になればと思うので、
書いておきますね。

先ず、わたくしの「人見知り」度合が激しくなっていったのは、
NY永住を決意したころからです。
当時は何故「人見知り」になったのか気づきもしませんでしたが、
結局、「自分は異国人なんだ」というコンプレックス。
差別もしっかり体験しましたから、
「自分はマイノリティーなんだ」
「自分は日本人と見られるのではなく、アジア人と見られるんだ」
ということから、
「マイノリティーは大人しく、この街の片隅に住まわせてもらっとけばいいんだ。」
と、なんとも卑屈な考え方になっていきました。

プラス「英語」の問題。
「会話が続かない」、「何を言っていいのか分からない」、「言葉に詰まる」
「勇気を出して言ったのに聞き返された」
「会話の流れを私が止めてる、、、」
などの経験を繰り返すと、
「お喋りユウコ」と言われ、通知表にも毎度私語を注意されていたこの私が、
もうね、喋るの面倒くさい、喋るの止めよう、、、と、
口数の少ない女に変わってしまったのです。
ほんとにね、「言語」は大事。
子供の教育と同じで、「言語は人格形成の基礎」だと思っています。
なので、ここに自信がないと、
自分の存在価値が見えなくなってくるのです。

そして「人種」の問題。
悪口を言うつもりはありませんが、
わたくし、亡くなった義理母と、まあ口煩い義理姉とに、
散々いろいろ言われ、され、とあったので、
そのうち、
中国系、韓国系の人たちは(何故か韓国系も、、、、)
在米歴が浅かろうが、長かろうが、
日本人を利用しようとか、落とし入れようとか、
不幸を望もうとか、そういう人たちしかいないんだ!
と、自分がこれ以上傷つかないために壁を作ってしまってですね、
全米の全アジア系には近づかないというか、距離を置くというか、
まあ、差別ですね。
ええ、自分が差別されたから、私は避ける、、、という、
そういうスタンスを取っていたんだと思いました(当然、無意識にです)。

ですが、特定の人種に対して壁を作っている人間に対して、
他の人種の人たち(白人や黒人や)が心から歩み寄って来ることはないんですね。
だって、態度や表情に出てますから。

なので、「心を開いて話せるような友人がなかなか出来ない」、
「友達が出来ない」「日本人の友達しかいない」と思っている人は、
もしかしたら自分の心に壁を作っているからかもしれません。
私はそうでしたから。

15年のNY生活で英語は何とか問題なく話せるようになったし、
(実際、ネイティブに褒めてもらえたのが大きな自信に繋がりました。)
自分が日本人というマイノリティーなのはしょうがない。

人種差別の件は、義理母との和解や死、自分の気持ちの整理の中で、
「もう止めよう」と、そういう考えになりました。
一人や二人に何か言われたり、されたからといって、
その人種全体を一括りにして拒絶するのは止めよう。

中国系や、韓国系の中にも、
頭が下がるほど素晴らしい人は沢山いて、
そういう人たちの出会いや繋がりを失うようなことは勿体ない。
たとえ信頼していた人に裏切られたとしても、
いいじゃないか!
それはそれ、と割り切ろう。

傷つくことを怖がらない。恐れない。
折角アメリカに住んでいるんだもの、
いろんな人種、いろんな人たちと友達になるべきなんだ。

そういう考えに切り替わった途端です、
15年ぶりの友達たちと続々再開したり、
全く新しい世代と親しくなったり、
初めて会った世界中の人たちと、
今までもずっと友達だったかのように親しくなったりして、
人生が大きく変わって行っています。

私が長い間、殻を作っていたんだな~と、
ちょっと時間も人間関係も勿体ないことしちゃったと反省しております。

今日も、新しい出会いがあり、
とってもいい会話が出来ました。
今後、どういう展開になるかとっても楽しみです。

では、引き続き、
私が実践した会話編、書きますね。

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