入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

      ’24年「夏」(47)

2024年07月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 2頭のホルスが囲いの上段、フェンス沿いを歩いていると思ったら、中でなく囲いの外だった。いつも群れと行動を一緒にしていたのにあの牛たちだけとは、もしかして何かあったのだろうか。
 新しい環境に慣れるまで牛たちは、不安だから群れから離れないようにしている。それが、牧での暮らしも1か月以上が過ぎて、まだまだ活動域は限られてはいるものの独自の行動をするようにもなったのだろう。
 
 呼べば牛たちは、餌が貰えると知って三々五々やってくるまでになった。昨日もそうしたら、ホルスの17番とジャージーがまずやってきた。ところが17番は徐角されておらず、それを使っていつものように他の牛を威嚇して餌を独占しようとする。
 この牛は来月8日に予定されている中間検査で下牧することになっているから、いつまでも好き勝手な行動をさせておくことはないと追い立て、他の牛たちにも塩と配合飼料にありつけるようにしてやった。
 どこかの国の独裁者のように専横をほしいままにするあの牛も、人間だけには勝てないと逃げていく。そして恨めし気に牧守のいなくなるのを待っている。

 電気牧柵の点検と補修のため、小入笠にも登った。この体力のいる面倒な日課を2,3日でも休んでしまうと、今度は急登することが面倒で辛くなる。
 それでも、毎日1万歩前後を歩いていればこの年齢でもさして苦にはならないから、そのためには歩くのを止めるわけにはいかず、歩き続けるしかない。「シジホスの神話」などと言え大袈裟になるが、くるくる回転する籠に入れられたネズミのようなものだとぐらいは言えるだろう。昨日の歩数、9千161歩。
 75歳が峠で、それを過ぎると体力は一挙に落ちると聞いていたが、今のところはそうとも思わない。

 有難いことに、アルミ線はどこも切られたところがなく、補修の必要はまったくなかった。まだここまでは牛は来ていないから、鹿の行儀が大分良くなったということだろう。気を許すと痛い目に合うから用心を怠るわけにはいかない。

 激しく雨が降ってきた。下界は相変わらず酷しい暑さが続くようだが、今朝のここは気温16度、半袖シャツでは寒い。電気こそ入れていないが、炬燵に足を入れているなどと呟けば、サウナにセーターでも着て入るような話で、猛暑に耐えている人は気持ちが悪くなるかも知れない。
 1日延ばして、きょう富士見まで沢入を経由して歩いて帰ると言っていたOさんは、この雨の中を出発しただろうか。

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 本日はこの辺で。

 
 
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      ’24年「夏」(46)

2024年07月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 クマの出没騒動の陰で、鹿やイノシシの被害について報じられることはすっかり減ってしまった。世間からはほぼ忘れられたような気がする。
 昨日は第3牧区でイノシシの被害を目の当たりにし、その後50頭ほどの鹿の群れを見た。夕方、第1牧区へ行ったら、やはり第3牧区で見たと同じくらいの鹿の群れが、和牛と一緒になって草を食んでいた。


 この2枚目の写真は、人の接近を感じた鹿の群れが一度牛の群れから離れ、さらに逃げるべきか否かを判断するため、一瞬立ち止まったところである。
 恐らく小入笠を頂点にした第4牧区の放牧地も、行けば同じような状況を目にするだろう。

 聞いている鹿の繁殖力からすれば、もっと頭数が増えてもおかしくないような気がするが、そうとも思えない。だからと言って、減っているとは全く思わないから微妙なところだ。
 鹿の被害が問題視されるようになってからすでに20年は過ぎている。行政を中心にいろいろな取り組みがここでも行われたが、有効な対策は打てないまま時が過ぎた。クマについても言えるが、行政が頼りにした専門家と言われる人たちは、残念ながらあまり期待に応えてはくれなかったと思っている。
 ライチョウを北アルプスから中央アルプスに移し、繁殖させる計画は成功したと聞いている。それと比べてもっと切実な鹿の課題は、あまり進展を見ていない。難しい。
 
 牧草を食べられ、牧柵を切られ、そうした被害を目にしても、情けないが牧場の隅でただ憤慨しているだけだ。以前のような鹿対策への意欲は湧いてこなくなった。
 とは言え、いまだに避妊薬への期待はある。もしもそれが開発できれば、事業としてオオカミの尿を売るよりかも余程良さそうに思うが、法の問題や世論の反応などといった障害があるのだろうか。

 昨夜、例の一粒800円の殺鼠剤を台所と作業場に1個づつ置いてみた。そしたら、きれいに食べられていた。しばらくは静かになるだろう。

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       ’24年「夏」(45)

2024年07月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 朝から夏の鋭い日射しが入ってくる。きょうは9時前に外の気温は20度を超えた。真っ青な夏空に白い雲が浮かんでいるが、それが少しずつ小さくなっていく。この分だとまだ気温上昇は続くだろう。

 各地の「危険な暑さ」に加えて、またぞろcovid-19の変異株による感染の拡大が案じられるようになってきた。感染者の増減に一喜一憂したあの憂鬱な日々がまた戻ってくるというのだろうか。
 つい「ガイア仮説」とか、それに関連する「ホメオスタシス(自己調整機能)」とか、あるいはわれわれ人類こそを、地球に巣くう癌になぞらえる見方まで、詳しいことは知らないが頭の隅をかすめていく、こんな爽やかな空、牛の寝そべる緑の草原、鳥の鳴き声、「楽園」と言ってもいい場所にいてすらも。

 ある人から「ブログ毎日見ているけれど、以前の方が面白かった」と言われた。以前であれ何であれ「面白かった」という評価を頂戴できただけでも有難いことだと思うが、それも分かる気がする。明けても暮れても、空が青い、風が吹いた、鳥の声がする、のような代り映えのしない内容ばかりでは独り言を聞かされる方も退屈するだろう。
 かといって、それほど面白いことなどあるわけでなし、雑駁な知識で吠えまくるのも気が引ける。それに、そういうことを意図していたら、ここまで続けることはできなかったと思う。

 とにかく、万語を尽くせば、少しはここの魅力、良さが伝わるだろうとの思いで始めたことながら、いまだその成果らしきものについては覚束ない。IT時代を象徴するように、ここにもどこで知ったのか異国の人もたまには来たり、問い合わせもあったりはする。
 しかし、この呟きを聞いてほしいのは2千メートル前後の中級山岳に広がるその美しい自然が好きなあなたであり、それに尽きる。「暮れゆくは白馬か、穂高は茜ど・・・」などといった名曲はもう生まれないかもしれないが、その歌のような景色がここにはある。
 もしかすれば、「混雑させないキャンプ場」などといういい方は尊大で、逆効果かも分からないが、そういう気持ちで対応する努力は止めないでいこうと思う。

 この独り言を聞いてくれてる人の数は増えている。にもかかわらず、面白いことはたまにしか呟けそうもないし、「言いたいことを大分抑えている」とこちらの本性を知る人は言うこともある。「入笠牧場」が外れて、「ある老人の寝言」などという副題を付ける日が来れば、もっと面白いことや毒も言えるかも知れない。

 梅雨も明け、きょう只今(PM3時)の気温は20度ちょうど。ぜひ「高原にいらっしゃい」。予約はお早めに。
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 本日はこの辺で。

 

 

 

 

 

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       ’24年「夏」(44)

2024年07月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 朝方、雨の降る音を聞いた。きょうはいい天気のはずだと思いながら、また眠りに落ち、それからどれほどの時が過ぎたのか、目を覚まし外に出てみたら道路や草原がすっかり濡れていた。どうやらにわか雨だったらしく、今は日が部屋の中まで差し込み、鳥の声もしている。しかし、雲の様子から判断すると、まだ降り足りなさそうだ。もう一雨来るかもしれない。

 日常の暮らしには格別苦も無く過ごしているが、なぜか夢の中では苦労が多い。目が覚め、平和な現実に帰ってきて安堵することがよくある。昨夜もそうだった。
 今も豊かとは言えないがもっと貧しい時代があって、どうもその記憶が脳の底に淀んでいるらしい。金繰りに苦労している夢をいまだによく見る。
 また、いろいろと世話になり、精神的に負い目を感ずる人ならいないわけではなく、感謝もしているが、そのことが消化しきれない食物のように夢の中で心をさいなむのだろうか。

 一昨日で終わったはずの梅雨のような天気が戻ってきた。霧が降りてきて、風の音もする。何時雨が振り出してもおかしくないような天気になってきた。
 あっ、ついに激しく降り出した。
 
 台所に立って、よく何をしに来たかを忘れる。いや、台所だけではなく、仕事中にもそんなことがよくある。探し物にも手を焼く。昨夜も、何時も手元にあるはずの作業日誌を探して、大分無駄な時間を過ごした。
 こんがらかった紐をほどくようなややこしいことはできるだけ避け、人の名前も無理して覚えようとはしない。まして、スマホやPCのことになれば全くお手上げで、自分で解決することはほぼ諦めている。

 年齢から来る心身の衰えは致し方ないとして、それでも、何歳になっても頭脳の衰えを感じさせない人も中にはいて感心する。80歳を過ぎても、性的な冒険に出かけようとする勇気ある人だっていると聞く。
 しかし、あの人は違うような気がする。頭も、肉体も大分劣化してきていて、それが随所に見て取れる。転んでみたり、言い間違えたりするだけならまだしも、世界の重要な問題においても、充分な対応ができているのかはなはだ疑わしい。
 一国のみならず世界の指導者でい続けようとするのは、本人には世界が嗤いこける喜劇の主人公のようで哀れだし、何よりか全人類にとってはもっと悲劇だろう。
 どの分野にも優秀な、相応しい人はいっぱいいるが、政治の世界だけは首をかしげたくなる人が少なくない、多い。

 天気待ちの間に、つい場違いなことを呟いた。
 
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 本日はこの辺で。明日は沈黙します。




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       ’24年「夏」(43)

2024年07月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 梅雨明けに相応しい昨日の澄んだ青空も良かったが、その夜の満月に近い月には思わず目を見張ってしまった。
 久しく月齢にこだわったり、月を見ることもなかった。それが昨夜は何時ごろだったろう、外に出てみたら中天の棚引く雲を薄紫色に染めながら、光の主がその上に浮かぶようにして見えていた。秋の夜空でも、春の夜空でもない。もちろん冬のそれではなく、間違いなく夏の色をした闇の中に、だった。

 太陽の光が地球に届くまでには8分ほどかかる。それに比べ、月ならたったの1秒である。両者とも、幼いころから慣れ親しんだ存在であったのに、その大きさ、距離だけでなく、恐ろしいほどの違いを知って以来、「お日様」に抱く思いは一変した。
 太陽のわずかな機嫌の変化で、地球は火星のような生命の存在しない星になってしまうかも知れないし、最悪の場合には、遠い未来に起きるとされていることがもっと早まって、消滅してしまう可能性だってある。しかし、有難いことに46億年、そのご機嫌は安定していた。

 それでも、夏はますます禍々しい季節になって、それへの思いが変わりかけている。特に都会では段々と憂鬱な季節となり、報道はそれに拍車をかけるように、人々の明るい活動的な様子よりか、しょぼくれ打ちひしがれた人の姿の方を紹介する回数が増えてきた。
 東京の炎暑を覚えているが、それがさらにひどくなり、人々はあのころよりも暑さに手ばかりか全身を焼いているとなれば、洗面器に入れた水に足を漬けて、酷暑に耐えていたあの頃の方が、まだましだったということになるのだろうか。

 こんな暑さ知らずの高原にいて、気象庁の予報や、気象予報士の使う過激とも思える言葉に影響されたようだ。昨夜の月のことから話が大分遠くにそれて、この呟きを終える時が来てしまった。
 
 先ほど、朝一番の見回りをしたら、電気牧柵の電圧は通常通り7千ボルトを維持していた。また牛たちは揃って、古い給水タンクのそばで腹ばいになって満足そうに反芻していた。きょうは曇天、こんな天気が一日続くだろう。

 まだまだ余裕はありますが、予約はお早めに。
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 本日はこの辺で。


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