■『飢餓海峡』 (1964年/東映東京) 内田吐夢 監督
爪のエピソードは別としても、物語は作家水上勉が身を削るように紡ぎ出した渾身の長編小説。これを映像化しようとする試み自体が、壮大な実験と言えよう。果たして成功したのかは判断し兼ねるが、当時、出来得る限りの映画的アプローチを試みたのではないかと推測する。それにしても、いかんともし難い長さだった!183分という単に上映時間だけを指すものではない。台詞の長さであったり、1カットの長さであったり、野暮ったい説明があったり…。無声映画から出発した内田吐夢監督のキャリアを以ってしても、活字によるエモーションを映画で再現する事が、如何に困難であったかが窺われる。これを小説と映画の幸福な出会いと捉えるのか(?)、それとも妥当な妥協点と捉えるのか(?)。映画が小説の軍門に降る一歩手前のところで、辛うじて踏み止まっている印象が拭えず、ただただ遣る瀬無い…。
ともあれ、男(三国連太郎)が“樽見京一郎”としてではなく、“犬飼多吉”として杉戸八重(左幸子)と成就する終わり方に、つくづく水上勉の才能を思い、永遠と映し出される海峡の描写に賭けた内田吐夢の意地を感じた。水上勉が作り上げた小説世界へ、映画界の内田吐夢が真っ向から勝負に挑んだ爪痕と言えよう。
爪のエピソードは別としても、物語は作家水上勉が身を削るように紡ぎ出した渾身の長編小説。これを映像化しようとする試み自体が、壮大な実験と言えよう。果たして成功したのかは判断し兼ねるが、当時、出来得る限りの映画的アプローチを試みたのではないかと推測する。それにしても、いかんともし難い長さだった!183分という単に上映時間だけを指すものではない。台詞の長さであったり、1カットの長さであったり、野暮ったい説明があったり…。無声映画から出発した内田吐夢監督のキャリアを以ってしても、活字によるエモーションを映画で再現する事が、如何に困難であったかが窺われる。これを小説と映画の幸福な出会いと捉えるのか(?)、それとも妥当な妥協点と捉えるのか(?)。映画が小説の軍門に降る一歩手前のところで、辛うじて踏み止まっている印象が拭えず、ただただ遣る瀬無い…。
ともあれ、男(三国連太郎)が“樽見京一郎”としてではなく、“犬飼多吉”として杉戸八重(左幸子)と成就する終わり方に、つくづく水上勉の才能を思い、永遠と映し出される海峡の描写に賭けた内田吐夢の意地を感じた。水上勉が作り上げた小説世界へ、映画界の内田吐夢が真っ向から勝負に挑んだ爪痕と言えよう。
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