■『アレクサンドル・ネフスキー』 (1938年/ソ連) セルゲイ・M・エイゼンシュテイン&ドミトリー・ワシーリエフ共同監督
■『無防備都市』 (1945年/伊) ロベルト・ロッセリーニ監督
■『浜辺の女』 (1946年/米) ジャン・ルノワール監督
■『情婦マノン』 (1948年/仏) アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督
■『ドイツ零年』 (1948年/伊) ロベルト・ロッセリーニ監督
■『イタリア旅行』 (1953年/伊) ロベルト・ロッセリーニ監督
■『裏窓』 (1954年/米) アルフレッド・ヒッチコック監督
■『二十四時間の情事』 (1959年/仏=日) アラン・レネ監督
■『いとこ同志』 (1959年/仏) クロード・シャブロル監督
■『アメリカン・グラフィティ』 (1973年/米) ジョージ・ルーカス監督
■『カッコーの巣の上で』 (1975年/米) ミロス・フォアマン監督
■『ゴッドファーザーPARTⅢ』 (1990年/米) フランシス・フォード・コッポラ監督
■『ドンファン』 (1995年/米) ジェレミー・レヴィン監督
■『イングリッシュ・ペイシェント』 (1996年/米) アンソニー・ミングラ監督
■『リプリー』 (1999年/米) アンソニー・ミングラ監督
■『ジーナ』 (2002年/米) ロバート・G・タパート監督
■『ウルフマン リターンズ』 (2004年/米) ブレッド・サリヴァン監督
■『DOA/デッド・アオ・アライブ』 (2006年/米=独=英) コリー・ユン監督
■『ガマの油』 (2008年/ファントム・フィルム=ピラミッドフィルム=テレビ東京=ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメント=衛生劇場=電通) 役所広司監督
■『愛のむきだし』 (2008年/アン・エンタテイメント) 園子温監督
■『クロエ』 (2009年/米=加=仏) アトム・エゴヤン監督
まだハリウッドが健全であった頃、『カッコーの巣の上で』という小さな作品は誕生した。そして、多く映画人の支持を得て、主要5部門でオスカーを受賞している。中でも特筆すべきは、ルイーズ・フレッチャーへ主演女優賞が贈られた事だ。精神病院の婦長役であったが、職務に忠実であろうとする婦長の様子に、敬虔なキリスト教徒である事がそれとなく窺われる。神に忠実であろうとする強い婦長と、その内面に隠された一人の弱い女との相克が見事であった。単なる冷酷非道な紋切型の婦長像ではなく、飽く迄も、善なる信仰による揺ぎ無い姿勢が造形されていたが故に、最後までリアリティを失う事が無い…。
俳優の役所広司さんが監督した『ガマの油』は拾い物であった。人生とは死生観を獲得する旅である事に深く共感させられる。決して奇を衒った荒唐無稽な筋立ではなく、アンニ・モレッティの『息子の部屋』(2001)を思わせる魂の快復が主題だ。是非とも第二回監督作品も見てみたい!
拾い物と言えば、『ジーナ』は秀逸であった。特に、日本文化の造形が見事で、こういう日本の描き方を日本人自身で出来るようになれれば、少しは盛り上がって来るように思える。外国人が描く無茶苦茶な日本文化には、確実にオリジナリティーがある。リアリティーの本質は、事実に忠実である事よりも、感情のラインを繋げて行くところにあるように思えてならない…。
ベニチオ・デル・トロが主演の『ウルフマン』(2010)を借りて来るつもりが、間違えて『ウルフマン リターンズ』を借りて来てしまった。全く関係のない続編モノではあったが、思いの外、真面目に制作されている事に驚く。これがハリウッドの底力だ。手を抜かずに、一所懸命、映画へ奉仕する姿勢が伝わって来て、それだけでも感動的。いや、それだけが感動的…。
主演のジュリアン・ムーアとリーアム・ニーソンは、どちらかと言えば苦手な俳優さん達であったが、この『クロエ』でのお二人は、素晴らしい実力を見せ付けてくれた。話の筋立は、昔からある三角関係の典型だが、男と女のポジションを入替えて、レズビアンの話に組み替えている。『危険な情事』(1987)のような下品な変貌も遂げず、最後まで緊張の糸を切らさないサスペンスフルな演出は巧みであった。やはり、感情のラインがしっかりしている…。
ジョニー・デップとマーロン・ブランドが同じ画面に納まっている事だけでも感動的な『ドンファン』も、『ウルフマン リターンズ』のスタッフに負けず劣らずの生真面目振りを発揮していた。若干、M・ブランドが演じたカウンセラーの人物像に、厚みが足らないのは残念だったが…。『カッコーの巣の上で』のような設定で、一見、滑稽な話のようにも思えたが、虚実入り混じっての現実を考えてもみれば、何ら不思議な話ではない。『嫌われ松子の一生』(2006)のように、たとえ主観的であろうとも、幸福の物語を生きられるのであれば、頭がおかしい等と赤の他人から言われたところで、気に病む事など無いのだから…。
■『無防備都市』 (1945年/伊) ロベルト・ロッセリーニ監督
■『浜辺の女』 (1946年/米) ジャン・ルノワール監督
■『情婦マノン』 (1948年/仏) アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督
■『ドイツ零年』 (1948年/伊) ロベルト・ロッセリーニ監督
■『イタリア旅行』 (1953年/伊) ロベルト・ロッセリーニ監督
■『裏窓』 (1954年/米) アルフレッド・ヒッチコック監督
■『二十四時間の情事』 (1959年/仏=日) アラン・レネ監督
■『いとこ同志』 (1959年/仏) クロード・シャブロル監督
■『アメリカン・グラフィティ』 (1973年/米) ジョージ・ルーカス監督
■『カッコーの巣の上で』 (1975年/米) ミロス・フォアマン監督
■『ゴッドファーザーPARTⅢ』 (1990年/米) フランシス・フォード・コッポラ監督
■『ドンファン』 (1995年/米) ジェレミー・レヴィン監督
■『イングリッシュ・ペイシェント』 (1996年/米) アンソニー・ミングラ監督
■『リプリー』 (1999年/米) アンソニー・ミングラ監督
■『ジーナ』 (2002年/米) ロバート・G・タパート監督
■『ウルフマン リターンズ』 (2004年/米) ブレッド・サリヴァン監督
■『DOA/デッド・アオ・アライブ』 (2006年/米=独=英) コリー・ユン監督
■『ガマの油』 (2008年/ファントム・フィルム=ピラミッドフィルム=テレビ東京=ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメント=衛生劇場=電通) 役所広司監督
■『愛のむきだし』 (2008年/アン・エンタテイメント) 園子温監督
■『クロエ』 (2009年/米=加=仏) アトム・エゴヤン監督
まだハリウッドが健全であった頃、『カッコーの巣の上で』という小さな作品は誕生した。そして、多く映画人の支持を得て、主要5部門でオスカーを受賞している。中でも特筆すべきは、ルイーズ・フレッチャーへ主演女優賞が贈られた事だ。精神病院の婦長役であったが、職務に忠実であろうとする婦長の様子に、敬虔なキリスト教徒である事がそれとなく窺われる。神に忠実であろうとする強い婦長と、その内面に隠された一人の弱い女との相克が見事であった。単なる冷酷非道な紋切型の婦長像ではなく、飽く迄も、善なる信仰による揺ぎ無い姿勢が造形されていたが故に、最後までリアリティを失う事が無い…。
俳優の役所広司さんが監督した『ガマの油』は拾い物であった。人生とは死生観を獲得する旅である事に深く共感させられる。決して奇を衒った荒唐無稽な筋立ではなく、アンニ・モレッティの『息子の部屋』(2001)を思わせる魂の快復が主題だ。是非とも第二回監督作品も見てみたい!
拾い物と言えば、『ジーナ』は秀逸であった。特に、日本文化の造形が見事で、こういう日本の描き方を日本人自身で出来るようになれれば、少しは盛り上がって来るように思える。外国人が描く無茶苦茶な日本文化には、確実にオリジナリティーがある。リアリティーの本質は、事実に忠実である事よりも、感情のラインを繋げて行くところにあるように思えてならない…。
ベニチオ・デル・トロが主演の『ウルフマン』(2010)を借りて来るつもりが、間違えて『ウルフマン リターンズ』を借りて来てしまった。全く関係のない続編モノではあったが、思いの外、真面目に制作されている事に驚く。これがハリウッドの底力だ。手を抜かずに、一所懸命、映画へ奉仕する姿勢が伝わって来て、それだけでも感動的。いや、それだけが感動的…。
主演のジュリアン・ムーアとリーアム・ニーソンは、どちらかと言えば苦手な俳優さん達であったが、この『クロエ』でのお二人は、素晴らしい実力を見せ付けてくれた。話の筋立は、昔からある三角関係の典型だが、男と女のポジションを入替えて、レズビアンの話に組み替えている。『危険な情事』(1987)のような下品な変貌も遂げず、最後まで緊張の糸を切らさないサスペンスフルな演出は巧みであった。やはり、感情のラインがしっかりしている…。
ジョニー・デップとマーロン・ブランドが同じ画面に納まっている事だけでも感動的な『ドンファン』も、『ウルフマン リターンズ』のスタッフに負けず劣らずの生真面目振りを発揮していた。若干、M・ブランドが演じたカウンセラーの人物像に、厚みが足らないのは残念だったが…。『カッコーの巣の上で』のような設定で、一見、滑稽な話のようにも思えたが、虚実入り混じっての現実を考えてもみれば、何ら不思議な話ではない。『嫌われ松子の一生』(2006)のように、たとえ主観的であろうとも、幸福の物語を生きられるのであれば、頭がおかしい等と赤の他人から言われたところで、気に病む事など無いのだから…。
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