映画なんて大嫌い!

 ~映画に憑依された狂人による、只々、空虚な拙文です…。 ストーリーなんて糞っ喰らえ!

晩春 ~映画の読解 (2)

2010年11月01日 |  晩春
     ■『晩春』 (1949年/松竹) 小津安二郎 監督


 今以って『晩春』が高く評価されている一方で、クライマックスの一つとも思える能楽堂の場面に於ける、あの能の演目について語られる事はあまり無いように思います。そこで、少し調べてみました。

                         (※写真:1) 

●『伊勢物語』~「第九段:東下り」
 能舞台の演目は『杜若』。『伊勢物語』の「第九段:東下り」を題材に創作された夢幻能。『伊勢物語』は、在原業平を主人公とする物語で、彼が詠んだと云われている和歌を基に創作された作者未詳の歌物語。「第九段:東下り」は、三河の国の八橋の沢の辺に咲く杜若(かきつばた)が美しかったので、それを眺めながら食事をしていると、ある者が「かきつばた」の五文字を各句の上に置いて旅の歌を詠めと云う。そこで……

   からころも
   着つつなれにし
   つましあれば
   はるばる来ぬる
   旅をしぞ思ふ

 ……と詠んだ。都には長年馴れ親しんだ妻がいるので、はるばると遠くここまでやって来た旅を、悲しく思うことだ…(訳:石田穣二)。「なれ」は「馴れ」と「萎れ」、「つま」は「妻」と「褄」、「はるばる」は「遥か遠く」の意と「布を張る」の意を掛けている。一つの言葉に二重の意味を持たせている《掛詞》や、関連する語で情景に広がりを持たせる《縁語》の類は、『晩春』に於ける小津演出にも通じる感じがします。

                         (※写真:2) 

●『杜若』
 能舞台『杜若』は、ある僧が三河の国の八橋で杜若(かきつばた)を眺めていると、そこへ一人の女が現れ、在原業平の上記の歌について語る。一夜の宿の為に庵へと案内すると、女は自分が杜若の精であると明かし、高子の后の唐衣を着て、在原業平の透額の冠を戴いた雅な姿で現れる。杜若の精は、「在原業平が歌舞の菩薩の化身として現れ、衆生済度の光を振り撒く存在であり、その和歌の言葉は非情の草木をも救いに導く力を持つ」と語る(謡曲「すはや今こそ草木国土悉皆成仏の御法を得てこそ失せにけり」杜若)。そして、『伊勢物語』に記された在原業平の恋や歌を引きながら、幻想的で艶やかな舞を舞う。やがて杜若の精は、草木を含めて全てを仏に導く法を授かり、悟りの境地を得たとして、夜明けと共に姿を消すのであった…。『晩春』では、杜若の精が舞を舞う場面が使われています。具体的には、「昔の人の思い出を誘う花橘の匂いの移った菖蒲(あやめ)の鬘の色はどちらだろうか、似た濃紫の杜若と花菖蒲…」という意味の謡の箇所です。能楽堂の場面で印象的に語られるのは、決まって原節子さん演じる紀子の表情ばかりですが、一人だけ幸せそうな微笑を湛えている父・周吉(笠智衆)の表情も見逃せません。

                         (※写真:3) 

 …と言いますのも、京都の宿で紀子が着ていた浴衣の絵柄は、菖蒲(あやめ)でした。部屋の明かりを消す際、立ち上がる動作で浴衣の絵柄がはっきりと現れます。能の謡にあった「昔の人の思い出を誘う花橘の匂いの移った菖蒲(あやめ)…」です。あたかも《亡き妻》を想うようでもありました。また、菖蒲(あやめ)は《蛇》の異名でもあります。 (※小学館『日本古典文学全集―謡曲集一』&小学館『完訳日本の古典46―謡曲集一/三道』より~『杜若』「備考:シテは杜若の精であるが、里の女でもあり、高子の后/三条の后でもあり、在原業平でもある。そして、また、歌舞の菩薩でもある。このように多くの人物を一身に重ねて表現するところに、この作品の面白さがある。」)

                         (※写真:4) 

 能楽堂での場面以外にも、冒頭の無人の北鎌倉駅のカットを始め、山や海や樹木、京都の宿の障子に揺れる草木(業平竹?)の影など、全編に亘って自然界の霊気が漂っているかのような雰囲気が表現されていたように感じました。

 (※写真:5)       (※写真:8) 
 (※写真:6)       (※写真:9) 
 (※写真:7)      (※写真:10) 


●『隅田川』
 『伊勢物語』の「第九段:東下り」を題材とする能には、もう一つ『隅田川』という演目があります。シテ(※主役)は梅若丸の母(狂女)。人買に誘拐された愛児・梅若丸を尋ねて都から隅田川まで下った女が、隅田川でわが子の死を知り、その塚の前で梅若丸の幻を見ながら弔い悲しむという筋立て。母子再会の狂女物としては哀傷深く、悲劇的結末は異例との事。『杜若』の夢幻能に対して、こちらは現在能で、つまり生きた現実の人間の世界を描いた演目。
 作者は、観世流太夫三世・観世元雅。同二世・世阿弥の長男です。この『隅田川』の演出を巡っては、親子(師弟)で別々の立場を取っています。観世元雅の演出では、梅若丸の幻を子方(※子役)に演じさせています。一方の世阿弥は、梅若丸の子方は不要と考え、狂女の舞だけで充分に母の悲しみを表現出来るという演出を取っています。要するに《見せる》演出と、《見せずに表現する》演出です。これに関連する小津さんの発言が残っています。『晩春』に於ける社会性の乏しさを批難された事への反論です(『アサヒ芸能新聞』1949年11月8日号 “泥中の蓮を描きたい”)。

 《泥中の蓮……この泥も現実だ。そして蓮もやはり現実なんです、そして泥は汚いけれど蓮は美しい、だけどこの蓮もやはり根は泥中にある……私はこの場合、泥土と蓮の根を描いて蓮を表す方法もあると思います、しかし逆にいって蓮を描いて泥土と根をしらせる方法もあると思うんです。戦後の世相はそりゃ不浄だ、ゴタゴタしている、汚い、こんなものは私は嫌いです、だけどそれも現実だ、それと共につつましく、美しく、そして潔らかに咲いている生命もあるんです。これだって現実だ、この両方ともを眺めて行かねば作家とはいえないでしょう、だがその描き方に二通りあると思う、さき程いった泥中の蓮の例えで……》

 ここで発言している二通りの描き方は、後年、『秋刀魚の味』によって顕著に示されます。『晩春』の世阿弥流の演出に対し、『秋刀魚の味』は観世元雅流の演出が施されています。トリスバー泉のマダム(岸田今日子)の存在へは、子方に演じさせた梅若丸の幻と同様の役割を与えています。小津作品の余白の遊戯がどこまで意図的であったのかは分かりませんが、色々と芋蔓式に繋がって出て来るから面白いです。ある場面では、滝廉太郎作曲の『花』(♪春の~うららの~隅田川…)が使われていたりします。

 能の『隅田川』の余談として…。芥川龍之介が『金春会の「隅田川」』と題する文章を残しています。その最後の一行は、なかなか痛烈です。まるで蓮實重彦さんに感化されて、すっかり思考停止に陥ってしまった小津フリークの面々を嘲笑うかのような一文です……つづく


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