灯明台(明治後期) 愛媛県今治市波方港
「和式灯台」と呼ばれ、明治になって洋式灯台が築かれるまでは灯台の役目を果たしました。
建てた目的は、波方の船主が金刀比羅社の常夜灯として捧げたようです。 (海事都市・今治「今治歴史探訪」より抜粋)
道路拡張のため、波方港より10メートルほど移動し、現在は玉生八幡神社境内に移築されています。
灯明台(明治後期) 愛媛県今治市波方港
「和式灯台」と呼ばれ、明治になって洋式灯台が築かれるまでは灯台の役目を果たしました。
建てた目的は、波方の船主が金刀比羅社の常夜灯として捧げたようです。 (海事都市・今治「今治歴史探訪」より抜粋)
道路拡張のため、波方港より10メートルほど移動し、現在は玉生八幡神社境内に移築されています。
旧室菊堂家住宅(明治39 空家) 福井県敦賀市蓬莱町14-23
外壁はイギリス積み。室菊堂は当時「天屋」という屋号で回船問屋を経営していたらしいです。
回船問屋だったから波模様?
浅井邸(明治初年) 奈良県大和郡山市新中町
隣接する和風家屋の軒下の壁には、アルファベットらしき文字が装飾として黒漆喰で描かれていたらしいのですが、
漆喰が剥落していて確認できませんでした。資料の写真を見るとアルファベットの羅列でしかなく、
まったく意味もわからないまま、文明開化の証として装飾に使ったのかもしれません。
杉山小児科(大正) 大和郡山市本町52
福住旅館(明治12) 神奈川県箱根町湯元
日本では現存が数少ない木骨石造。この物件のほかには、龍谷大学講堂と沼田貯蓄銀行駅前支店、
小樽の石造倉庫群と少ない。
明治初期には木骨石造は、横浜駅、横浜税関、イギリス領事館など横浜では主流を占めた。