先日の朝のことだった。
今ではクー(我が家猫)のベッドになっているカウチの下に、
なにやら見かけぬ紐のようなものが見えた。
うん?なんだ?
と近くに寄って覗き込むと、小動物のような…。
いよいよジ~ッと凝視すると、なんと野鼠だ!
小さい…まだ仔鼠のようだ。
既に成仏しているらしく、小さな両足は揃えられ、
もっと小さな前足は祈るように胸の前で組まれていて、
動かない。
紐のように見えたものはしっぽだった。
最寄の小田急線の成城学園前駅の工事が始まったころ
から、駅周辺に棲んでいた鼠が住宅街へと散っているとは
聞いていたが、我が家の中で見るとは思ってもみなかった。
気候がよくなって窓を開け放していたので、入ってきたの
だろう。そして、クーのおもちゃになって
しまったのだろう。
しかし!しかし、だ。
猫は仔猫の時に母猫から鼠の捕り方を
教えられないかぎり、鼠を捕ることはでき
ないと聞いていた。
クーはその親からして家猫。しかも3ヶ月のころには我が家
へ来て、連れ合いを母と思い込んで育ったのに…。
連れ合いが鼠の捕り方を仕込んだとは、いくらなんでも
考えられないからして…。
彼が自らの野生を呼び覚まして狩猟行動に出たのだろうか。
周りを見ると、床面に血が飛び散っている。
誰もいない部屋に、私とクーと鼠の死骸。
朝の光が妙にまぶしかった。
しみじみとクーを見ると、彼も鼠に目を落としているが、
動かない鼠にはもう興味がないのだろう。無表情だ。
いつも呑気にダラダラとしていても、やっぱり
猫だったんだな。
彼にしたら、とてつもなく楽しいひとときだったのかも
しれない。
シンとしている私の足に、クーが擦り寄ってきたので
「でかしたな…」と褒めてやった。
ミヤコワスレの根方近くに
鼠を深く埋めた。
さて、それからクーの
かかりつけの獣医さんに
電話で事の次第を連絡。
獣医さんの話によると、「このあたりの鼠ならまず、
病気は持っていないでしょう。」
ということは、どのあたりの鼠は病気持ちなんだろうと
思いつつも一安心。
しかし、あんなに小さな命でさえ、葬るという行為には
日常にはない思いが湧いてくるものだ。
静かで明るい朝だったなあ。
なんだかカフカの小説みたいです。
チャーマンさんがボーゼンとしてしまった気持ち、
なんとなくわかります。ある意味ショックだったのでは…?
家族の一員であるクーが鼠を殺していたというのは
やっぱり彼は動物であったんだという事実を
認識させられた訳ですものね…。
食べてもないし、獲物をちゃんと見せに来たわけでもないけれど
狩りを行ったクーをチャーマンさんは褒めてやっていますね。
やはり私もそうすると思います。
猫にとってはアタリマエのことをしただけのことで
私もその猫の野性(本能)を尊重します。
昔は鼠を捕るために米蔵や酒蔵などで働いていた猫は
たくさんいたのですものね。
庭のお花もしんみり咲いているように見えます。
上の「羽根つき」の羽根のような花、不思議な風情ですね。
仔鼠を埋葬したのがミヤコワスレの根元とは、
やはり花言葉をご存知だったのですか?「別れ」のほかに
「しばしのなぐさめ」って意味もあるようですよ。
ああ、そうです。ねこぼーしさんが察してくださっているような感慨を抱きました。
猫が鼠を捕るのはアタリマエ。
まったく、そのとおりです。
なにか私たちは、大きな意味での自然の循環、というか摂理を理解できないところへきてしまったのかな、とそんなこともショックでしたね。
便利で清潔で安全で…それはいい事には違いないけれども、そこには「死」の入り込む隙間がない。
だから、猫の殺した鼠の死骸が部屋にとても不釣合いでした。
逆説的に、私たちはまっとうな命を生きていないんじゃないだろうか、と思ったわけです。
ミヤコワスレの花言葉ですか?知りませんでしたよ。
ねこぼーしさんは花言葉をよくご存知ですね。
いや、ぴったりの花の下に埋めたわけか…。
教えてくださって、ありがとう!
追羽根のような花ですが、ナントカゆりです。
(これじゃ、答えになっていませんね、「鳴子ゆり」だったかな、忘れてしまいました。)
にゃーも、ほんの小さい時うちへ来ましたが、誰も教えませんが蝉は獲る、雀は獲るでした。
ネズミは別なのかな?
やはり飛び掛っていくでしょうね。
マガリは判りませんが、他の子は皆そうすると思いますよ。
ネズミ自体を最近は見かけませんが、ネズミといえば前の家でのこと、
物置(商売用のキャンディを仕舞っていた)にゴキブリホイホイをセットしておいたら、そこにはゴキブリとそれを狙った仔ネズミと、又それを半分飲み込んだ細い蛇が張り付いていました。
気づかぬ間の一連のドラマに驚きましたが、普段お目にかからない生き物と同居していたのでした。
たぶんクーさんはネズミに果敢に飛び掛り、たとえ制止しても止めるはずは無く、自分がネコであることを自覚したのではないでしょうか?
ネコは二重猫格でもって、獲物を見つけると猫格が変わるんですよ。
にゃーさんも果敢に狩猟をしていたのですね。
はあ、にゃーさんはいかにも!という精悍さがありますが、クーは
ノホホン顔なので、まったく意外でした。
たいへんな二重猫格です。
以前、やもりの赤ちゃんを追いかけているのを見かけたくらいで、あとはぬいぐるみ相手に戦うという生活だったので、この出来事で、確かにクー自身「おお!俺は猫族だったんだ!」と目覚めたかもしれません。
また、今はノホホンとした猫格に戻っていますが…。
バオバオさんの物置でのドラマも、なかなか想像しごたえがありますね。
私たちが知らないだけで、すぐそばでいろいろなドラマが展開されているのでしょう。
そんなことに思いを馳せるのも、この季節に合っているように思えます。
5月はそんな月です。
ブログを呼んでいて、『吾輩は猫である』の猫が、初めての鼠狩りをしたシーンが思い返されました。
鼠を埋めてやっているチャーマンさんの姿は優しいですね。
僕の住む田舎町でも最近は鼠を追う猫の姿は目にしなくなってきているようです。鼠って、今も昔のように生息しているのでしょうか。僕が昔住んでいた家は、鼠が天井を駆け回っていましたよ。猫以外にも蛇のアオダイショウは鼠を退治してくれるそうですね。実際小学校の頃布団を敷こうと押し入れを開けたらそこにアオダイショウが・・・僕は蛇が苦手なのでそれはもうビックリ。何事かと駆けつけた父が「アオダイショウは鼠退治に来てくれているだけだ」と庭に逃がしてやっていました。
夜寝ていると天井で「ドスン」って音がするときがあったのですが、それはその家を守る蛇が梁から落ちる音だと言い聞かされてきましたが、実際そうなのかも知れませんね。
ところで、前にチャーマンさんのブログで北斎の虎と龍が紹介されていましたが、今度の金曜日、NHKの迷宮美術館でも取り上げられるようですね。どんなドラマがあるのか、今から番組の放送が楽しみです。
やはりTorahikoさんは『吾輩は猫である』を思い出されましたか。
クーも鼠を捕らえた瞬間、「おお、吾輩も猫であった」と思ったかもしれません。
Torahikoさんがお住まいの町では鼠を見かけないとのことですが、東京ではけっこう見かけますよ。
地下鉄の線路の脇や、商店街の側溝などが多いです。
食べ物には事欠かない(残飯があふれています)、温度も具合がいい、で鼠にとっては棲みよい街なのかもしれません。
カラスも東京が好きなようですし、良くも悪くもいろいろと集まるのが都会ですね。
アオダイショウですが、近くの住宅街や川などで、ひと夏に一度は見かけます。
私も蛇は苦手です。
あの動きがどうも…気持ちがよくないですね。家を守ってくれるのはありがたいですが、姿は見せずに守っていただきたい!
さて、今週の迷宮美術館のテーマが北斎の虎と龍だとは知りませんでした。
それは是非、見たいです。
楽しみな情報をありがとうございます!