写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

キッズケータイ

2011年11月15日 | 生活・ニュース

 息子一家が、広島からやってきた。孫息子が、首にぶら下げているものを自慢そうに見せてくれた。キッズケータイという子ども向けの携帯電話である。通常の通話のほかは、ごく限られた機能に絞られており、写真撮影やインターネットなどは出来ない。あらかじめ設定した連絡先4件にワンタッチで電話発信が出来たり、子どもの居場所を親が地図で確認できるGPS機能や、大音量のブザーが鳴る防犯ブザーも備えている。

 3年生になってから、週に1度ひとりでJRの電車に乗って習い事に行っている。幼い子供のことだから、途中何があるか分からない。親は帰ってくるまでそんなことを気にしながら待っているより、ケータイをもたせた方が安心できるから買ったようだ。

 家にいながら、自分の携帯電話を見れば子どもの現在地が把握できる。「おっ、今電車に乗ったな」「今家に向かっているな」など、刻々と子供の様子が分かるという優れものである。万が一、大変なことが起きたときには、ひもを引っ張れば100デシベルという大音響でブザーが鳴って助けを求めることもできる。暗証番号を入れない限り音は止まない。

 4件のワンタッチの緊急連絡先のひとつに、「おじいちゃん」と書いていて、すでに私の携帯電話の番号が登録してある。抜かりはない。これで子供をひとりで外出させても大丈夫ということに、まずはなった。確かに文明の利器。活用しない手はない。その一方で、これでいいのかという疑問も少し残る。

 子どもが外出時、遭遇する色々な局面に対し利器に頼り過ぎて、自らが判断を下す能力が培われないのではないか。高度に発達した文明の利器に囲まれて生きていても、物事の判断をすべて器械任せというわけにはいかない。身の回りに起きることをしっかりと見て、何かを感じ取り、それに的確に対応していくという訓練は常日頃からやっておかなければ身の安全は保てない。感性とは、その繰り返しから身につくように思うがどうだろう。

 そんなことはともかく、私はこれまで携帯電話を持って外出する習慣はなかったが、これからは孫の万一のために持って歩くことになった。いやいや、私の万が一のために、これからは孫に頼ることができることになったということか。