統合失調をはじめとする精神障害に関心のある方ならご存知だと思いますが、この障害になると体調や気力が不安定になりやすく、調子の良いときと悪いときの差も大きくなるケースがしばしば見られます。多少なりとも社会人として働いたことのある方なら、このような精神障害者が就労する際、かなりな困難がともなうことは予想できるのではないでしょうか。
私もまだ不安定な傾向があります。その結果、このブログの更新も不定期です。
障害者自立支援法にともなう制度改革や、生活保護制度の改革も議論されています。多少なりとも考えていけば、制度の良し悪しはともかく、当事者や福祉の関係者は意識改革をしないと難しいというのが私の印象です。
意識改革のポイントは「この国や、あるいはこれから先の社会では、障害者を含めたすべての人間を活用するようにしていかないと、経済自体が回らなくなっていく可能性が高い」ということを、当事者や福祉関係者が認識することなのではないかと思います。
将棋では「全部の駒を活用して遊び駒をつくらない。自分が採用している戦法の弱点をつくのに有用な駒は、たとえ歩兵や香車や桂馬といった駒でも相手に渡すべきではない」と言われます。
「どのようにすれば、障害者であっても活用できるようになるのか?あるいは障害のない状態にある人であっても、激しい経済活動に参加させず、もっと別の活動に専念してもらえた方がよいケースもあるのではないか?」
そのような問題を考えていくための指針を作ることが、障害者や福祉関係者に求められているのでしょうし、将来、障害をもつかもしれない、現在の健常者にも考えていただきたいことです。
考えがいもあるし、決してつまらないテーマでもないと、私は思います。
私もまだ不安定な傾向があります。その結果、このブログの更新も不定期です。
障害者自立支援法にともなう制度改革や、生活保護制度の改革も議論されています。多少なりとも考えていけば、制度の良し悪しはともかく、当事者や福祉の関係者は意識改革をしないと難しいというのが私の印象です。
意識改革のポイントは「この国や、あるいはこれから先の社会では、障害者を含めたすべての人間を活用するようにしていかないと、経済自体が回らなくなっていく可能性が高い」ということを、当事者や福祉関係者が認識することなのではないかと思います。
将棋では「全部の駒を活用して遊び駒をつくらない。自分が採用している戦法の弱点をつくのに有用な駒は、たとえ歩兵や香車や桂馬といった駒でも相手に渡すべきではない」と言われます。
「どのようにすれば、障害者であっても活用できるようになるのか?あるいは障害のない状態にある人であっても、激しい経済活動に参加させず、もっと別の活動に専念してもらえた方がよいケースもあるのではないか?」
そのような問題を考えていくための指針を作ることが、障害者や福祉関係者に求められているのでしょうし、将来、障害をもつかもしれない、現在の健常者にも考えていただきたいことです。
考えがいもあるし、決してつまらないテーマでもないと、私は思います。
健常者でなければ生きてはいけない世の中
偏った健常という認識で、この社会はまわり続ける・・・・・
初めまして。
私は脳脊髄液減少症、という交通事故後遺症から発症する病気になり二年です。
体調によってもちろん気分のムラは生じますし、将来への不安、痛みの継続に恐怖を覚えてきました。
けれど、私がこのような経験をしなければ「健常者」としての視点でしか世の中を見ることはできなかったでしょうし、私は機会を得る役目を担ったと思い、この国、社会システムなどの現実を直視する姿勢に意識を切り替えました。
学生時代、心理学を専攻していたこともあり、さまざまな立場の方(私の立場・状況を含め)のご意見を参考にし、なにかできないか(力になること含め)と考えるようになりました。
もっと優しく、柔らかな社会へ・・・
希望を捨てることが私にはできないようです。
どうぞ宜しくお願いします。