Blank Diary

ブランクひとつも1バイト。統合失調症で療養中です。今まで年に数回の更新でしたが、これからは増えるかもしれません。

Blank Diary Annex ができました

2013-11-24 08:58:50 | 雑記
いつも、このブログをごらんいただき、ありがとうございます。

管理人が、別のウェブサイトもつくりましたので、ご案内いたします。

Blank Diary Annex

すでに、いくつか投稿いたしております。

どうぞ、ごらんくださいませ。


Air reply

2013-05-13 20:21:30 | 雑記
ちょっとしたきっかけで思い出して、そして少し笑ってしまうことがある。

私の手元に、1997年に発行された『NHKスペシャル 新・電子立国 第5巻 驚異の巨大システム』という本がある。コンピュータシステム開発の歴史を、ソフトウェアの観点からたどった番組の内容を書籍化したものだ。ここには番組で紹介された内容だけでなく、取材時のエピソードも交えて書かれている。まず、その中の一節を引用したい。ここで出ている「冨浦」とは、取材当時、新日本製鐵の常務取締役で技術開発本部副本部長であった冨浦梓氏だ。


 白髪に紺のブレザーが似合う冨浦さんは…江戸弁の使い手で、寄席の落語家さながらに、口上にはしばしばセリフが入り、話の終わりには必ず爆笑を誘うオチが用意されていた。…

冨浦 あのね、巨大システムを描くのに製鉄所を取り上げるのは正解ですね。これはものすごいシステムなんだから。製鉄に比べたら、新幹線のシステムなんて楽なもんですわ。

-一時は新幹線を取り上げようかと迷ったこともあるんですが……。

冨浦 あれはつまらんと思うよ。だって、新幹線なんぞと威張ったって、東京駅を出るときも列車なら、大阪に着いたって列車。姿形が変わらないんだから、あははは……。それに比べりゃあなた、鉄は姿形がどんどん変わっていくんですから。
 最初、製鉄所に運ばれてくるときは鉄鉱石で、出て行くときは厚板だったり、鋼管だったり、薄板だったり、線材だったり、二七万種類もある。その途中だって、固体、液体、固体と千変万化だ。これをコンピューターで自動的に製造するのが現代の製鉄所ですからね。その難しさは、新幹線なんかの比じゃない。あなた、製鉄の巨大システムをやるのは正解ですよ。


この本の発行直後の1997年に、このくだりをはじめて読んだとき、ニヤリとしてしまった。今なら「フラグが立った」とでも表現するのだろうか。

確かに製鉄所は、変化に富んだ動きでテレビ向きの映像にはなるだろうが、システム構築の難しさはどうだろう。

私は大学に入って「鉄道マニア」と呼ばれる人に出会った。ご存じの方はご存じと思うが、鉄道マニアは、本当に鉄道が好きなのだ。そして、私は大学に入って「コンピュータマニア」と呼ばれる人々にも出会った。ご存じの方はご存じと思うが、コンピュータマニアは、本当にコンピュータが好きなのだ。この両者の特質を兼ね備えたような人物が、引用したくだりを読んだら、一矢報いるとか、張り合いたいとか思うのではないだろうか。スティーブン・レビーの書いた、コンピュータマニアたちの伝記『ハッカーズ』の最初には、MITのテック鉄道模型クラブが取り上げられている。ある種の鉄道マニアとある種のコンピュータマニアは、結構相性がいいようだ。

それから十年ほど過ぎたある日、市立図書館をぶらついていたときにこのことを思い出した。「新・電子立国」シリーズと同じ本棚に『鉄道のスケジューリングアルゴリズム』という本がなかったら、思い出しもしなかったろう。

「ああ、鉄道に関わるシステムの話か、そういえば昔少し笑ったな。」

そう思いながら手にとって、目次や前書きを眺めた。目次には、P,NPといった計算量に関する内容なども踏まえて、丁寧に書かれていることがうかがえたが、前書きとなっている「はじめに」の部分を読んだとき、声は出さなかったが、私の顔面は大笑いになった。「はじめに」の部分から引用したい。


「段取り」という言葉がある。「事の順序・方法を決めること」という意味である(『広辞苑第五版』岩波書店)。身の回りにおいても、事の順序や方法を決めなければならないことは多い。…車の製造工場では、どの部品をどういう順序で取り付けるのかを決めることは基本であるし、製鉄所などでも、入念に作業の段取りをしておくことが必要である。…
鉄道に限ったことではないが、現実の問題は非常に複雑である。教科書に載っている手法そのままで解けることはめったにない。…本書では、鉄道の運行計画という非常に具体的な問題を題材にして、モデル化に当たっての考え方とアルゴリズム設計の考え方を述べている。また、それだけでなく、鉄道の運行にかかわる業務の仕組みについても、あえて詳しく述べている。それらの理解は、モデル化、アルゴリズムの設計に欠かせないと筆者らは信じるからである。…


この体験をして以来、鉄道関連のシステムの話に触れるたびに、思い出し笑いをしまうようになった。たとえば


『異種統合型情報サービスシステムにおける自律分散アシュアランス技術の研究』(Suicaの話)

『自動改札機ソフトウェアの品質向上の取り組み 厳密な仕様、もらさないテストを目指して』(自動改札機の料金計算の話)

などである。

冨浦氏の言葉へのエアリプに思えるのは、スケジューリングアルゴリズムの本だけだ。この本のあとがきからも引用したい。


 今、鉄道の輸送計画に対するコンピュータの応用は、第二の波を迎えていると感じている。第一の波は、今から十数年前、この分野に初めてコンピュータが適用され始めたときにやってきた。しかし、本書で繰り返し述べているように、このときのシステムは、インタラクティブ・システム、すなわち、人間主導のシステムであった。それに対して、第二の波では、よりインテリジェントなシステム、具体的には、輸送計画や運転整理案を、ある程度自動的に作成する機能を有するシステムが実現されようとしている。そのような時代に向けての研究開発に携われたことを幸運に思うとともに、本書がその息吹を伝えるものとなっていれば幸いである。


冨浦氏が登場した「新・電子立国」も、コンピュータが登場したばかりの時代のシステム開発の息吹を伝えるものだった。『鉄道のスケジューリング…』は冨浦氏への張り合おうという意図もあるのかもしれないが、それ以上に先人への敬意から書かれたものと思えてならない。

Casual thoughts about Den-Ou-Sen 2nd (第2回電王戦についての雑感)

2013-04-22 18:32:48 | 将棋
第2回電王戦への雑感をメモします。

・ツツカナと駒落ちで指してみたいな。

・第4局は、対局者、ニコファーレでの解説者、聞き手、開発者、ソフト、観戦記者、すべてに役者がそろっていて、楽しかった。対局の内容も興味深く、面白かった。ただ、あの終局図は人間の世界にたとえてみると「極めて厳しい状況に追い込まれた国同士が戦争をして、お互いに絶対に降伏をせずに戦いを続けてしまったため、それぞれの国がめちゃくちゃになってしまった」という感じに見えた。あまり気持ちのいいものではないという思いも3割くらいはある。あのようなものもたまにはいいけど、いつもはちょっとイヤだな。

・第5局終了後の記者会見で、CSAの瀧澤会長が「プロの先生方が真剣に指してくださったので…申し訳ないですけどいいデータがとれた」と、棋士の皆さんに配慮した発言をしていました。ちゃんとした研究者は、研究に協力する方や実験の被験者へ敬意をもち、相応の配慮をしていると思います。学会などは倫理規定や指針なども設けている場合があります。たとえば日本心理学会倫理規定疫学研究に関する倫理指針などがあります。

My anxiety about education system(教育システムに関わる私の懸念)

2013-02-14 09:09:07 | 雑記
私は学校教育に関わる生徒・保護者の決定権が大きくなりすぎることに懸念をもっています。

保護者の子どもへの影響力は、非常に大きいです。仮に、保護者の教育方針があやまったものであった場合、非常によくない結果となってしまうでしょう。そして保護者の教育方針があやまったものであっても、それが明らかになるのは、子どもが成長してからということになります。場合によっては、直しても手遅れというケースもありえるでしょう。

こう考えてみると、学校教育は、一種のリスクヘッジの機能を持っています。学校の一番の役割は、極端な言い方をすれば「保護者とは違った教育方針で教育をすること」です。保護者とは違った教育方針を取ることによって、子どもが触れる環境や考え方に多様性を持たせるのは、学校の役割の一つだと思います。

これも極端な言い方になってしまいますが「いい教育をおこなうこと」が学校の役割ではありません。「悪い教育をおこなわない」ことが、それよりも優先されるでしょう。「いい教育」を誰かが決めて、どの学校でもそれに従おうとすると、自然と学校内で子どもたちが触れる教育の多様性は失われ、リスクヘッジの機能は弱まります。「悪い教育を行わない」だと、ずっと幅広い多様性を担保できます(ホワイトリストとブラックリストの違いを思い浮かべて欲しいです。ホワイトリストが前者、ブラックリストが後者にあたります)。また、学校教育に関わって生徒の決定権が大きくなりすぎるのも良くないと言えます。生徒自身が自らの考え方が偏っているのかもしれないことに気づく機会を奪いかねないからです。

大阪の桜宮高校のケースでは保護者・生徒やOBは、自殺発覚当時、どんな態度をとっていたか、思い出してください。

また、私立学校の存在は公立より保護者や生徒の意向を反映させられることが利点なのではないと私は思います。公立の学校でない学校の存在を認めることで、社会全体で行われる教育の多様性を確保するのが最大の意義だと思います。

Two kinds of errors in connection with social welfare(社会福祉にかかわる2種類のエラー)

2012-10-13 09:41:41 | 精神保健・福祉
社会福祉とは関係ない、別の話がほとんどです。

工場などで、できたもの中から不良品を探し出してよりわける作業(検品)では、2種類のミスが発生するといわれています。「不良品ではないもの(良品)を不良品と判断してしまうミス」と「不良品を良品と判断してしまうミス」の2種類です。前者は「あわて者のミス」とよばれ、後者は「うっかり者のミス」と呼ばれるようです。

最初から不良品ができる確率を充分に小さくして、わざわざ検品をしなくてもよいようにするというアプローチもありえるでしょうが、検品を行うというなら「どちらのミスも起こりにくいように判断する基準をどうやってつくるか」という問題が出てきます。

仮に「できあがってきたモノすべてを不良品と判断する」という基準を作ったとすると、あわて者のミスは野放しなり、うっかり者のミスは撲滅できます。逆に「できあがってきたモノすべてを良品と判断する」という基準だと、あわて者のミスは撲滅で、うっかり者のミスは野放しです。

実際の工場では、もっと合理的な基準を設定します。しかし、それでも、新人として検品に携わる人に「もし良品か不良品か迷ってしまうモノが出てきたら、とりあえず不良品と判断しなさい」という指導がされるケースもあるようです。「新人が良・不良をきちんと見分けられるような基準づくりは無理。しかし、極力不良品を出荷しないことに重点をおいて、工場の信頼を保とう」という方針なのでしょう。

あわて者でもなくうっかり者でもないというのは、むずかしいことだと私は思います。ここまでの話から「あわて者のミスを防ごうとするとうっかり者のミス発生の可能性が高まり、うっかり者のミスを防ごうとするとあわて者のミス発生の可能性が高まるという関係がありそうだ」と、読んでいらっしゃる方に思っていただけると、私としては非常にうれしいです。

さて、社会福祉全般…漠然としていてわかりにくいなら、生活保護を例にとります。ここでもよく似た問題がでてきます。「生活保護を求めてきた人が、その制度で保護すべき人なのか、そうでないのかを判定する方法」です。「生活保護を適用するべき人に制度を適用することへ重点をおこうとすると、適用すべきでない人に適用してしまうミスが発生する確率は上がり、適用すべきでない人に適用しないことに重点をおこうとすると、適用すべき人に適用しないというミスの発生の確率が上がる」という関係が生じてきそうです。

貧困問題などで「できるだけ生活保護を多くの人に適用すべき」という意見を見た時「この意見を出した人は、適用するべき人に適用しないミスを減らしたいのかな」と、思うことがあります。

Society

2012-08-12 01:38:41 | 雑記
以前から、表題にした内容は、きちんと言及して起きたテーマだったし、twitterではつぶやいたこともあったのだけど、ちょうどいい頃合のような気がするので、書くことにする。ただ、一度に書く時間はないから、このページの更新を繰り返すような形で書いていくことになると思う。

メモ追加:発端になるのは、この話。私が気になるのは、この話が、どこまで信用していい話なのかということ(普通に気になります)、この職場の人々が、職場以外の場所でどうしているのかということ。(職場でだけ活動できていればいいというなら、話は別ですが)

発達障害者ONLYの職場で能力全開で働く人たちのこと

メモ追加:この職場がうまくいっている理由の一つに、スタッフに本来の仕事以外のことを求めていないことがあげられる。彼らは、記事をつくるという本来の仕事のみをしている。

現在の社会は、いろいろなサービス業者に、本来の仕事以外のものを求めすぎ。様々な職業人に本来の仕事以外のものを求めることも、職業人が本来の仕事以外のものを求められることも当たり前みたいに考えている。しかしながら、障害当事者は、障害のタイプによっては、どうがんばっても健常者と同じような汎用性をもつことができない。結果として、雇用主はそのような当事者を雇いにくいし、障害者は職種を選んで能力を伸ばしても、就職はできにくい場合が出てくる。

Our song, Our flag. Your song, Your flag.

2012-03-15 19:53:50 | 精神保健・福祉
愛国心なしで君が代を歌うこともできるし、愛国心なしで日の丸に礼をすることもできる。これがよいことか悪いことかはわからない。ただ、これが事実であることは確かだと思う。

愛国心なしで国歌を歌い、愛国心なしで国旗を扱うような習慣を身につけた人は、他国民を含む他者の国旗国歌への思いを、一般論としてはどのように理解するのだろうか?答えはわからないけどこのような問は思いついた。別に誰かに無理に答えて欲しいとは思っていない。

似たような内容を、ツイッターでつぶやきました。アカウントはnvsnvaです。

Once a upon a time

2012-03-03 03:20:15 | 精神保健・福祉
私は障害者向けの作業所と呼ばれるところを利用しているのですが、そこでのみなさんに私の自己紹介として読んでもらうために書いた文章を、改変して載せます。

大人になれない障害と呼ばれる発達障害の悲哀を描いてみたいと思いました。もう20年以上前のことなので、記憶も曖昧です。記憶ちがいもあるでしょう。

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Bという喫茶店であった話をしたいと思う。

私が大学に通っていた時、よく使っていた喫茶店だ。サークルの仲間と利用したことをきっかけに行くようになった。落ち着いた雰囲気の特徴と言えるようなものはない店だったが、普通の白いカップにコーヒーの色が映えていたのを覚えている。私には、その店にいくつもの思い出がある。

数学の宿題で、たった一問のために3,4日間ほど考えこんでいた。大学の数学科でおちこぼれだとそんなこともあるのだ。アパートで手がかりがつかめて、気分転換と思いBに入り、ほっとしながら答えを書き上げた。クラスメートの前で回答を説明した時には「よくやった」と、担当の教授にほめてもらえた。私の回答は彼が想定していたより良い答えだったらしい。しかしそのあとになってから、答えは正しいが計算のほうに間違いがあったことを、私は自力で見つけた。プロの目でもこういうことがあるのだなと思った。

カウンターでBのマスターといろいろ話すようになり、お互いの名前を知るようになった。その後サークルで登った山の湧き水をペットボトルで持ち込んだことがある。これでコーヒーを淹れられないかと彼に尋ねたのだ。彼はコーヒーを淹れてくれた。コーヒーの味の違いは私にはわからなかったが、一緒に飲んだマスターは「ああ、ちがうね」と言っていた。その後も彼とはコーヒーについて話したことがあって、缶コーヒーについて「コーヒーだと思うとそれほどでもないけど、缶コーヒーという別の飲み物だと思うとおいしい」という言葉を聞いてなるほどと感じた。

その他、このようないい思い出も他にあるし、もう同じ間違いはしないと決めた悪い思い出もあるけど、最大の思い出は、ウエイトレスのアルバイトをしていた短大生と、映画を見に行くところまでこぎつけたことである。

もしかしたら、私はその店にとっては迷惑な客だったのかもしれない。でも、その店で学んだことがひとつある。少なくとも自分の場合には、学校でのクラスのような枠組みらしいもののない集団の中で人間関係をつくっていくより、たとえば客とマスターといったある程度の安定した枠組みの上で人に接していたほうが、はるかにほっとできるということだった。そして、そのような安定した枠組みを出発点にして、新たな関係をそれなりに作っていけるという、自信も得られた。この自信は間違った自信かもしれないが、それがなかったら人との関わり方を見失い、今ごろどうなっていたかわからない。その背景には、私のアスペルガー症候群がある。

The truth will set you free.

2012-02-01 19:03:18 | 雑記
ここ10日ほど、まことに悲惨な致命的な失敗をしてきた。広汎性発達障害の知識のおかげで、少なくとも今までよりは、少しはまともな反省をできている(といいな)。

今までは、反省をすることもできなかったし、今ひとつする気にもなれなかった。真面目な態度ではなかったろう。

タイトルの英文は、ネットであっという間に調べられた。いい時代だ。「真理がわれらを自由にする」。調べてみたら、国立国会図書館のスローガンでもあるのですね。

Text mining

2012-01-07 07:11:28 | 雑記
ちょっと思うところがあって、テキストマイニングについて調べています。今ではフリーの統計ソフト(と言ったら、ちょっと限定しすぎかな)のRとかでもテキストマイニングができるのですね。いい時代になりました。

あと、英語の勉強もぼちぼちしています。とりあえず、日本語を使っているときに「これって英語でなんていうのかな」と思ったらすぐ調べて、英語を使っているとき(そんなに機会があるわけではないですが…たとえば外来語にであった時)「これは日本語でなんていうのかな」と調べたりしています。

和英辞典で英語を調べて、そこで出てきた英語を英和辞典で調べるとかは興味深いです。クラシカルですが。