金剛寺山門の左手には「天神社・三峯神社」がある。
綺麗に整備されており、社の傍らには
の碑が立つ。
裏面には、この社を鎮る人々の芳名が記されている。
「宮代町史(民俗編)」(平成15年発行)を見ると
「宮代町域では村単位に鎮守を持つという基本的な形の事例は比較的少ない」「ムラの内部が『耕地』と呼ばれる小単位に地域区分され、この耕地ごとに鎮守のような神社を持つという特徴がある」「さらに、それらを包括する鎮守が存在するという、二重構造を呈することがうかがえる。宮代町域では、こうした形が多くみられる」と記されている。
この金剛寺付近も、須賀村に属し、鎮守を身代神社(宮代町の町名の基となっている神社の一つ)としている。「(須賀村は、)辰新田、須賀上、須賀下、須加島、金剛寺の五つの株と呼ばれるムラに分かれている。身代神社は、この五つの株の鎮守となっている」「金剛寺では、株の神社として天神社を祀る」(同上)と記されている。
屋敷神、株の神社、そして村の鎮守。これらの神事が、人々の生活に密接に結びつき、暮らしを彩りある豊かなものにしている様子がうかがえる。
埼玉都民、この村への移入者である私は、それらの生活にほとんどふれることなく暮らしてきた。文明という生活におぼれ、他の彩りある生活に触れないで来たことに、少し寂しさを感じる。
天神社をでて、次の妙本寺に向かう。
宗派は日蓮宗。経王山と称し、本尊は十界曼荼羅。
妙本寺を辞して、村の鎮守である鷲宮神社に向かう途中。
お盆にお神酒を乗せ、田を祀っているご婦人に出会った。その姿が、違和感なく溶け込む雰囲気がこの付近にはある。
(以下 次回)
綺麗に整備されており、社の傍らには
の碑が立つ。
裏面には、この社を鎮る人々の芳名が記されている。
「宮代町史(民俗編)」(平成15年発行)を見ると
「宮代町域では村単位に鎮守を持つという基本的な形の事例は比較的少ない」「ムラの内部が『耕地』と呼ばれる小単位に地域区分され、この耕地ごとに鎮守のような神社を持つという特徴がある」「さらに、それらを包括する鎮守が存在するという、二重構造を呈することがうかがえる。宮代町域では、こうした形が多くみられる」と記されている。
この金剛寺付近も、須賀村に属し、鎮守を身代神社(宮代町の町名の基となっている神社の一つ)としている。「(須賀村は、)辰新田、須賀上、須賀下、須加島、金剛寺の五つの株と呼ばれるムラに分かれている。身代神社は、この五つの株の鎮守となっている」「金剛寺では、株の神社として天神社を祀る」(同上)と記されている。
屋敷神、株の神社、そして村の鎮守。これらの神事が、人々の生活に密接に結びつき、暮らしを彩りある豊かなものにしている様子がうかがえる。
埼玉都民、この村への移入者である私は、それらの生活にほとんどふれることなく暮らしてきた。文明という生活におぼれ、他の彩りある生活に触れないで来たことに、少し寂しさを感じる。
天神社をでて、次の妙本寺に向かう。
宗派は日蓮宗。経王山と称し、本尊は十界曼荼羅。
妙本寺を辞して、村の鎮守である鷲宮神社に向かう途中。
お盆にお神酒を乗せ、田を祀っているご婦人に出会った。その姿が、違和感なく溶け込む雰囲気がこの付近にはある。
(以下 次回)