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吉井本家の火打ち金は、こんな所で作っている

2015年08月25日 19時47分47秒 | 民俗学ごっこ

整体協会本部での夏季特別稽古会で上京がてら、火打ち金を作る「吉井本家」にお邪魔した。

浅草の観音さまの東に掛かる「吾妻橋」を渡ると墨田区だ。江戸の昔なら、この橋から下流の隅田川を「大川」と呼ぶ。江戸時代は身投げの名所だったそうで、落語に出てくる身投げは大抵は吾妻橋。「文七元結」の文七が死に損ねたのもこの橋ですな。

 

火打ち金とは火打石に打ち付けて火花を出す発火具で、本来は東日本では火打ち鎌、西日本では火打ち金と呼ばれていたそうだ。

吉井本家は江戸時代から続く火打ち金の老舗ブランドで、当初は上州吉井宿の名産品であったものの、明治以降は墨田区向島の「伊勢公一商店」にその技術とブランドが継承されて現在に至っている。

当代は四代目である牧内社長で、後継者はいないそう。

素晴らしく発火性能の良い火打ち金はどうなってしまうのだろう?・・・ちょっと心配。

これまで様々な火打ち金を試したなかで、最も発火性能が良かったのが、「吉井本家」の火打ち金なのだ。

 スカイツリーからほんの2キロ位しか離れていない住宅街に「吉井本家」の工場(コウジョウではなくコウバね)がある。左が焼き入れをする焼成炉。作っているのが火打ち金限定なので、鍛冶屋の火床(ほど)とは趣が大分違う。

かっては観音様の縁日などでも火打ち金を売っていた時代があるとかで、その時の看板。下町には銭形平次のお上さんのように、仕事に出かける亭主に切り火をして送り出したり、祭礼で使ったりする人もいるので、昭和になってからも縁日で売れていたらしい。「おまいさん、気を付けていっといで!カチカチ」という風景は時代劇でも見なくなりましたなあ。

 

 墨田区は小さな町工場が軒を並べる「モノ作り」の街・・・近年はスカイツリーで名を馳せてはいるが、スカイツリーから1キロも離れれば昔ながらの下町の風景が広がり、そして町工場が今でも健在だ。

特に吉井本家の工場のある東向島は、明治の頃は文人墨客が多く住んでいたエリアであり、永井荷風の「墨東奇譚」の舞台でもあるので、何時かは訪れてみたかった街。

戦災で焼け野原となり区画整理がされたはずの現在も、迷宮のように細い路地が入り組んでいる。

遊興の街であった往時を偲ばる「しもた屋」風の小粋な家が残っていたり、路地を曲がれば「カタカタカタ」「トントントン」という家内制手工業のモノ作りの音が聞こえてくる。

手作業の音は心地よいが、かっては路地を歩けば三味線の音(ね)や長唄なんかも聴こえたんですよ、と牧内社長。

粋な街なのだ。

「火打ち石の使い方はね、こう!」牧内社長の滑舌は軽妙で歯切れが良くって、いかにも下町の町工場の親方という感じ。ザックバランと人情味が下町らしさで、貴重な話を沢山聞けた上にお土産まで頂いた。

 

南に下がって吾妻橋の方に戻れば、落語や時代劇に良く出てくる本所だ。

本所は鬼平犯科帳でお馴染みですな・・・「本所のテツ」というのが、鬼平こと長谷川平蔵の若い頃の綽名だった。

ブラブラ歩くだけで愉しい街が墨田区。

スカイツリーばかりが墨田区の魅力じゃないぜ!

 

 



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