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古墳時代の先輩とつながる・・・天津神社境内遺跡出土の三種の神器

2021年12月20日 07時42分09秒 | ぬなかわヒスイ工房

11月に都内で開催された個展で、目玉として三種の神器を出品して評判がよかったのですが・・・。

昨夜読んだ「糸魚川市史」に古墳時代の「天津神社境内遺跡」から、滑石製ではあるものの三種の神器が出土したとあり、フハ~ッとなった。フハ~ッとは水木しげる漫画で多用される感嘆詞だ。

大正時代の発掘とのことで残念ながら出土品は行方不明らしいが、剣は孔をあけた細長い逆三角形とあるからまったく同じ。
ただ他は勾玉と扁平な鏡の形ではなく、臼玉とやや扁平なソロバン玉であり、恐らくは壁から下げて祭祀をした後に境内に埋納したのであろう、とある。このことが根拠になって天津神社は古墳時代から祭祀の場であったと推測されているのですネ。
 
天津神社(奴奈川神社)から最も近い古墳時代の玉作り遺跡が、ぬなかわヒスイ工房の真下にある笛吹田遺跡だから、ことによると1,500年の時を経て、同じ場所で同じ発想のモノを作ったのだとしたら面白い。
天皇家の三種の神器の初出典はずっと後年の古事記からだし、古事記研究家の三浦祐之先生によると、記紀には八咫鏡と八尺瓊勾玉の由来が書かれておらず、草薙の剣の由来しか書かれていないので、当初は二種の神器であたものが、古事記編纂期に草薙の剣を加えて三種の神器となったのであろうとしている。
そんな訳で天津神社から出土した三種の神器は、天皇家の三種の神器とは直接的には無関係デス・・・残念ながら( ´艸`)
 
誰にも本当のことはわからんが、歴史を学校で教える上から下に流れる年表方式ではなく、下から上に積み上げる地層方式で基層文化として捉えている私は、同じ場所で同じ仕事をしているのだから、同じモノを作ってなんの不思議もないと理解している。
 
そう思えばこそ、過去の人の営みが身近に感じるのだ。