平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

賛美を捧げる喜び(2015.12.23 祈り会)

2015-12-24 12:49:39 | 祈り会メッセージ
2015年12月23日祈り会メッセージ
『賛美を捧げる喜び』
【マタイ2:1~11】

はじめに
 二千年前のクリスマスの日に神様は私たちにイエス・キリストをこの世に送って下さるという素晴らしい恵みを私たちに下さいました。イエス・キリストは救い主であり、様々なことで苦しんでいる私たちを救い出して下さいます。この素晴らしい恵みに私たちは心から感謝したいと思います。
 感謝の気持ちを表すために、何か物を持って行ったり、送り届けたりすることは、クリスチャンでなくても普通に行われることです。日本人の間でもお中元やお歳暮を贈る習慣があります。そして、いつからか日本人はクリスチャンでなくてもクリスマスプレゼントを贈り合ったりするようになりました。クリスチャンではない日本人同士がクリスマスプレゼントを家族や知人に贈るのは、日頃お世話になっていることへの感謝の思いを込めてのことでしょう。感謝の気持ちを贈りものをすることによって伝えることは素敵なことだなと思います。

高価な贈り物を持って遠い国から来た博士たち
 いま読んだ聖書の箇所のマタイ2章に登場する東方の博士たちにも、神様への感謝の気持ちがあったのでしょうね。博士たちが住んでいた場所は東の方にありましたから、博士たちはユダヤ人ではありませんでした。ユダヤ人ではないのに東の国からはるばる旅をしてユダヤまで来たのは、イエスさまという王の誕生を本当に心から祝い、神様に感謝の気持ちを表したいと思ったからでしょう。博士たちは聖書を引用していますから、博士たちも聖書の神様を崇めていたのでした。博士たちが引用した箇所が6節です。

「ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。」

 これは旧約聖書のミカ書からの引用です。ユダヤ人ではない東方の博士たちも、このように聖書を読んでいたことがわかります。
 さて、この博士たちが持って来た贈り物は、大変に高価なものでした。その贈り物は宝の箱に入っていたということですから、宝の箱に入れたということだけで高価な物だということがわかりますね。
 まず黄金。これは別に解説したくても高価なものであるとわかりますね。黄金は昔も今も高価なものの代表です。私は以前は金属材料の研究をしていたことがありますから、金の性質も調べていたことがあります。金属は種類によって皆それぞれ性質が違います。私がまだ大学院生の頃でしたが、いろいろな金属の性質を調べました。私が扱ったのだけでも、金、銀、銅、ニッケル、鉄、アルミニウム、それからステンレスなどのいろいろな合金も扱いました。金属の性質を調べる試験の中に引っ張り試験というのがあります。引っ張り試験では、金属の棒を引っ張ってちぎります。その、ちぎれるまでの金属の延び方と力の掛かり方を測定しますが、金の棒もちぎりましたから、もったいないな~と思いながら実験をしました。引っ張り試験用の金の棒だけでも結構お金が掛かります。
 当時、私は大学院生でしたから、その実験に必要な研究資金は研究室の教授が獲得して来ました。先生はどうしたら研究資金を獲得できるか、いつも苦労していました。それが大変な苦労であることが、のちに私も大学の教員になってからわかりました。研究資金が無いと研究ができませんから、本当に大変でした。教会も、お金が無いと会堂が建ちませんから、ちょっと似た面がありますね。
 研究の場合は、自分はこういう研究をしたいのだという熱意が資金の獲得につながると思うのですが、教会の会堂の場合も、私たちはこういう会堂で地域の方々にイエスさまの福音をお伝えしたいのだという熱意が、どれだけ神様に伝わるかということなんだろうなと思います。神様は私たちの心を見ておられますから、私たちがどれだけ神様のお役に立ちたいと思っているかという熱意がとても大事なんだろうと思います。
 そういう熱意という観点から見ると、東の国からはるばるユダヤまで幼子を拝みに来た博士たちの熱意も相当なものだなと思います。しかも贈り物がとても高価なものでした。
 贈り物は黄金の他に、乳香と没薬がありました。乳香については聖書辞典に次のように書いてあります。

「古代エジプトにおいては神にささげる薫香として使われ、王しか使うことを許されなかった聖なるものだった。このエジプトの習慣が出エジプトと共にユダヤ人に伝わり、神にささげる薫香として用いられた(出30:34-35)。乳香がその当時いかに貴重なものだったかは、ヨセフが売られたイシュマエル人の隊商は乳香と没薬をエジプトに売りに行く途中だったこと(創37:25)、ヨセフがエジプトで宰相の時、食糧を買いにいくためにヤコブが持たせた名産品に乳香が入っていたこと(創43:11)、また雅歌の記述(雅4:6、14)を見てもわかる。乳香の煙は神を拝する人々と神を結ぶもので、神のもの、神に通じるものと考えられ、古代から薫香として用いられてきた。イエス・キリストが誕生した時、東方の博士たちが乳香と没薬と黄金をささげた(マタ2:11)。これは王となるべき方へのささげ物であった。」(『エッセンシャル聖書辞典』p.718)

 このように乳香は王に関連するもので高価なものであったことがわかります。没薬は、没薬の木がパレスチナ地方では育たなかったので輸入するしかないということで、ユダヤでは非常に高価なものであったということです。
 このように東方の博士たちはイエス・キリストの誕生を祝い、そのことを神さまに感謝して高価な贈り物を捧げました。

私たちの捧げものは神への賛美
 私たちもイエス・キリストの誕生を祝い、そのことを神さまに感謝して捧げものをします。私たちの捧げものは賛美です。イエス・キリストのご降誕を心の底から喜び、その喜びをもって賛美を捧げるなら、それは博士たちの高価な贈り物に優るとも劣らない贈りものです。賛美歌は私たちの間で楽しむものではなく、神様に捧げるものです。私たちが喜びをもって賛美をささげる時、神さまも喜んで下さいます。こうして私たちは賛美の中で神さまと交わることができます。私たちはお祈りすることで神さまと交わることができます。聖書を読んで思いを巡らす時にも神さまと交わることができます。そして喜びをもって賛美を神さまに捧げる時にも神さまと交わることができます。
 この素晴らしい恵みをいただけることを心一杯感謝したいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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