平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

ナアマンは何を脱ぎ捨てたのか(2015.6.7 礼拝)

2015-06-09 06:51:37 | 礼拝メッセージ
2015年6月7日礼拝メッセージ
『ナアマンは何を脱ぎ捨てたのか』
【Ⅱ列王5:8~14】

はじめに
 6月に入りました。早いもので今年もあと少しで折り返し地点という所まで来ました。6月は私たちの教会では「会堂月間」になっていますから、新会堂建設に向けて私たちが、霊的に一致を保つことができるように願いつつ、今月の礼拝メッセージでは皆さんと共に会堂問題について考えて行きたいと思います。

2年前から1年前までの動き
 はじめに、私がこの沼津教会に着任して以降の、この2年あまりでの会堂問題に関する動きの流れについて、少し振り返っておきたいと思います。
 おととしの2013年の4月に私がこの沼津教会に着任した時に私は前任の先生から引継ぎに関する説明を受けました。その時に、この教会では2017年の創立50周年の年に新会堂を献堂することを目標に掲げていることを伺いました。この教会が随分前から新会堂の建設を目指していることを私も知っていましたから、引継ぎを受けた私も新会堂建設を何とか実現できるように励んで行かなければならないという思いを持ちました。そして着任して2ヶ月後の6月の会堂月間では前任の先生ご夫妻をお招きしてメッセージの御用をしていただき、この今沢の会堂を取得した経緯についても詳しく知ることができましたから感謝でした。
 いま振り返ってみると1年目の2013年は、会堂問題に関しては表面上は特に大きな動きは無かったと思います。1年目は私も沼津教会の行事日程に慣れるのが精一杯で、いつも目前の1ヶ月間のことしか目に入っておらず、数ヶ月先や1年や2年、3年先のことはまだ全然見えない状態でした。しかし、そういう状態であっても、年間行事をこなしながら、改めるべき点などが段々と見えて来ました。その第一が会議の持ち方でした。1年目は役員会と伝道委員会を別々に持っていましたが、この方式だと教会が一つになって動いているという感じがしませんでしたから、皆さんと相談して幹事会を新たに発足させました。もし幹事会の方式に移行していなかったなら、今のように会堂問題に関して皆さんと広く意見交換をすることはできなかったと思いますから、幹事会の方式にして、とても良かったと思います。また去年の2月からは会堂祈祷会も月1回持つことにして、様々な方に司会に立っていただいてお祈りすることができるようになったことも良かったと思います。1年目に特に大きな動きがなかったのは、会堂祈祷会も幹事会もまだ始めていなかったからと言えるでしょう。その意味で、1年目は、まだまだ準備期間だったのだと思います。
 そして、準備期間の1年を経て、私にとってもう一つ大きな出来事でありました。それは昨年の4月の末にK兄のご葬儀があったことです。昨年の4月の時点で私はまだ神学校を卒業してから2年しか経っていない経験の浅い牧師でしたから、葬儀の司式もまだ務めたことがありませんでした。経験の浅い牧師にとって葬儀の司式を務めることは大きなプレッシャーです。限られた短い時間の中でご遺族と相談しながら前夜式と告別式のプログラムを作成し、メッセージの準備をしなければならないのは大変なことです。しかし、この大変な務めも聖霊の力と、皆さんのご協力とによって無事に果たすことができましたから、私は経験の浅い牧師から脱皮して成長することができたと感じています。そうして、いよいよ会堂問題においてモーセやヨシュアの役割を担う準備が整ったのだと思います。
 そうして、そのご葬儀から1ヶ月も経たない5月に、会堂の屋根の鋼板の腐食が深刻であることがわかって新会堂の建設に向けて大きな一歩を踏み出すことになったのですから、神様は水面下で着々と準備を進めていて下さったのだなと、いま改めて感じています。

昨年の5月から今年の2月までの動き
 ここで、プロジェクターを使ってしばらく説明します。
(プロジェクターによる説明)
 ①2014年5月25日幹事会資料
 ②2015年6月2日の屋根補修時の写真

 さて次に、屋根の鋼板の腐食が進行していることに気付いた昨年の5月以降のことについて振り返ってみたいと思います。私は、屋根の状態がこのようであることを、BA、主事、そして教区の先生方にも報告しました。
 また6月の第3回幹事会で私たちは上半期感謝献金の目標金額を従来より増額して、その半分を会堂積立金に回すことにしました。この決定を多くの皆さんが支持して下さり、上半期感謝献金は目標額を上回ることができて、勢いがついたと思います。
 そして第1回の会堂建設委員会を7月13日に開いて、今の会堂の屋根の葺き替えもリフォームも行わないで、新しい会堂の取得を目指すことを決めました。そして、このことを教団の会堂委員会の委員長に報告し、代表にも報告しました。
 さらに8月からは会堂問題勉強会を始めました。そして、この8月のもう一つの大きな出来事として、高額の会堂献金が捧げられということがありました。7月までの積立金額を振り返るとよくそれで新会堂に向けて第一歩を踏み出したなと思いますが、8月の献金が与えられて新会堂の取得が現実味を帯びて来ました。しかし、このことで新たなことも学ぶことができました。それは、やっぱり私たちのほうから、まず第一歩を踏み出さないと神様の御業は始まらないのだということです。私たちがわずかなものしか持っていなくても神様が御業を行って下さることを信じて信仰を持って第一歩を踏み出すのを神様は待っているのだということを学ぶことができて感謝でした。
 その後、10月には台風18号が通過した時には雨漏りがあって、やはり会堂問題はゆっくりしていられないという思いを新たにしました。そして、12月のキャンドルサービスには合同チラシを見た親子が来て下さいました。この時に私は、やはり新しい会堂で新しい方をお迎えしたいという気持ちを強く持ちました。そして、1月の教会総会で次の一歩を踏み出すことにしたいと思いました。
 これらのことから、今年の1月11日に第2回の会堂建設委員会を招集して話し合い、予約献金の予備調査を無記名で実施する案を教会総会で提案することにしました。そしてこの提案が1月25日の教会総会で承認されましたから、2月に予備調査を実施して、3月8日に第3回の会堂建設委員会を招集して予備調査の結果について意見交換をして、なお主の御心がさやかに示されるように願い求めて行くことにしました。
 この3月8日の時点で、私はかなりモヤモヤした気分でいました。というのは、2月に2回も雨漏りがあって屋根に上がっていたからです。2月18日の水曜日の昼には直径5mmぐらいの雹が降り、その時は本当に「これは大変だ」と思い、皆さんに一斉メールを出してお祈りしていただきました。この会堂の屋根は脆くなっていますから、大きな雹が降れば、大きなダメージを受けます。
 そして2月25日の祈祷会のメッセージは、週報p.3に示したように、出エジプト14:9,10から『追い詰められたイスラエル』としました。
 この箇所は、エジプトを脱出したイスラエルの民が前方にある海に前進を阻まれている時に、後ろから追い掛けて来たパロの軍勢に追い付かれそうになり、前にも後ろにも進めずに追い詰められた場面です。私は会堂問題でも追い詰められた気持ちになっていました。この時点で、私たちは力強く前進するには今ひとつ資金が不足していましたから、前進が阻まれていました。そして後ろからも、屋根の鋼板の腐食の問題によって追い詰められていました。ですから、この時は私はかなり必死に祈りましたし、皆さんにもお祈りいただきました。2月の一番寒い時期に雹が降るというのは、大変に珍しいことです。しかも、沼津の駅のほうでは雹は降らなかったということですから、この雹が降ったことも、神様が私たちに会堂問題についてもっと必死に祈るように仕向けて下さったことなのかもしれません。

現在に至る流れ
 このような中で私には、一つ突破口になるかもしれないと期待を抱いていることがありました。それは、隣の駐車場になっている土地を切り売りしてもらって、そこに通路を設けて、看板やゲートを設置して、今のこの土地に新しい会堂を建てるという案です。このアイデアを得たのは去年の秋です。その後、幼児用の防犯ポスターの話も来たりして、この件で幼稚園の園長先生とも話をすることができました。園長先生は前任の先生のご一家のことも良くご存知でしたから、この教会が前任の先生のご尽力によって地域に受け入れられた教会になっていることを実感することができました。また、キャンドルサービスの折には、先ほども言いましたように、合同チラシを見た親子が来て下さいました。これらのことがあって、今のこの土地に新しい会堂を建て替えるのが御心かもしれないと思うようになりました。今年の1月の教会総会で、一つの案として、南隣の駐車場の一部を切り売りしてもらって、ここに新しい会堂を建てる案を提示したのも、これらの経緯があってのことです。
 そして2月に雹が降って強くお祈りした後から3月になって、地主さんのほうから私の思惑を上回る話がありました。3月に話し合いを持ち、4月にも5月にも話し合いを持ちました。
 皆さんはこの展開について、どのようにお感じになるでしょうか。私が思い描いていたこととは違います。しかし、それ以外は、随分と良い流れで来ているように私は感じています。最初の1年目は準備期間でした。そして会堂祈祷会が始まって幹事会も整えられて、そしてK兄のご葬儀を経験して私もモーセやヨシュアの役割を担う準備が整えられました。そしてすぐに屋根の鋼板の腐食の進行が深刻であることがわかり、積立金は少額でしたが、新会堂建設へ向けて第一歩を踏み出したら高額の献金が与えられ、そして、この地域とのつながりを大事にして行く気持ちも与えられ、さらに隣の土地を切り売りしてもらって、ここに新会堂を建てるアイデアが与えられました。そして雹が降っていよいよ前も後ろも追い詰められたと感じていた時に、隣の地主さんが私の思惑を上回る話を持って来ました。これは、私たちが祈って来たことに対する神様の応答なのではないかという気がするのですが、皆さんはどう考えるでしょうか。
 先週の6月2日の火曜日に屋根に上がった時、私はこれらのことを思い出しながら、私たちはこれまで随分と祈って来たのだなと思いました。私たちは各家庭で一人一人がお祈りしています。そして、礼拝と祈祷会でも祈っていますし、会堂祈祷会でもお祈りしています。
 そのように私たちはこれまで多くの祈りを積んで来ましたし、他の教会の方々からも祈られて来ました。教区の先生方も祈って下さっていますし、全国のインマヌエルの信徒の方々と先生方によっても祈られています。
 ここに、2010年から2015年までの「祈りのネットワーク」があります。そして、沼津教会の祈りの課題にはいつも新会堂のことが掲げられています。
 2010年:教会堂建設ができるように
 2011年:会堂の老朽化に伴い、新しい「新会堂への主の御業」が始まるように
 2012年:新会堂の取得
 2013年:会堂の老朽化に伴い、新会堂建設への聖業が進むように
 2014年:新会堂建設に向けて霊的・人的・財的な備えができるように
 2015年:新会堂の建設に向けて教会員の霊の一致が保てるように
 このように、私たちの教会は毎年のように「祈りのネットワーク」に新会堂の建設のことを祈りの課題として挙げていますから、全国のインマヌエルの信徒の方々、そして先生方からずっと祈られて来ました。
 私たちも随分と祈って来ましたが、それ以上に私たちは祈られて来ました。このようにしてこれまで積まれて来た多くの祈りに主は、応答して下さっていると私は感じていますが、皆さんは、いかがでしょうか。
 当初考えていたこととの違いはありますが、それ以外は、素晴らしいタイミングで様々なことが起きています。

神様の尽きない恵み
 そして、私がもう一つ素晴らしいタイミングと感じているのが、年会で私が留守中にDVDで皆さんに視聴していただいた代表による礼拝メッセージです。列王記第一17章で預言者エリヤがやもめに水を所望した場面ですね。ご一緒に見てみましょう(旧約聖書p.614)。
 ここでエリヤはやもめに水だけでなく、11節でさらに「一口のパンも持って来てください」と言いました。すると12節で、やもめは、あとほんの少しの粉と油があるだけで、それを調理して食べたら死のうと思っていると答えました。次の13節から16節までは、交代で読みましょう。

17:13 エリヤは彼女に言った。「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。それから後に、あなたとあなたの子どものために作りなさい。
17:14 イスラエルの神、【主】が、こう仰せられるからです。『【主】が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。』」
17:15 彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。
17:16 エリヤを通して言われた【主】のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった。

 エリヤはやもめに残りわずかの粉と油を全部使ってパンを作って自分に食べさせるように言いました。そうすれば、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならないと言いました。
 これを私たちの会堂問題に当てはめるなら、神様の尽きない恵みによって建物が建つということになります。ちょうど隣の地主さんから話があった時に、この御言葉が与えられたのも、私はそれが御心であるからと思うのですが、皆さんはどう思われるでしょうか。

自分の力に頼ることを脱ぎ捨てたナアマン
 きょうはもう一箇所、ナアマンの箇所を示されていますので、残りの時間でそこを開くことにしたいと思います。列王記第二の5章です。
 この箇所は、去年も一度開いた箇所ですし、皆さんの多くはよくご存知の箇所だと思いますので、背景などの詳しい説明は省きます。きょう、まず目を留めたいのは、9節です。

5:9 こうして、ナアマンは馬と戦車をもって来て、エリシャの家の入口に立った。

 ナアマンはツァラアトに冒されていて、すっかり弱っていた病人です。どうして預言者エリシャの家に馬と戦車で乗り付ける必要があるでしょうか。当時はアラムとイスラエルの仲があまり良くなかったようですから、身を守る必要があったのかもしれません。それにしても、軍人ではない預言者のエリシャの家に戦車で乗り付けるとはどういうことでしょうか。私は、その時ナアマンは武具を付けて、軍人の姿をしていたのではないかと考えています。ナアマンは非常にプライドの高い将軍であったため、相手に自分の弱い姿を見せたくなかったのだろうと思います。もし自分が病気ではなくて気力が充実していれば、気迫だけで十分に強く見えて、軍人の格好をする必要もなかったかもしれません。しかし、その時のナアマンは弱々しい病人でした。ですから、軍人の格好をして強く見せたかったのではないかなと思います。ナアマンはそれほど高いプライドの持ち主だったのだろうと思います。
 或いはまたナアマンは自分が身分の高い、病気を治される価値のある人物であるとエリシャに思わせたかったのかもしれません。それゆえナアマンは、11節にあるように、エリシャが主の名を呼んで、患部の上で手を動かしてツァラアトを治してくれることを期待していました。それなのにエリシャが自分では出て来ないで使いをやって、「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい」と言ったので、誇り高いナアマンは非常に怒りました。
 それでもナアマンは部下の忠告に従ってヨルダン川に入ることにしました。隣の国のアラムから、王様にも手紙を書いてもらって病気を治すためにやって来たのですから、何の治療も受けずに帰るわけにもいかなかったからでしょうか。
 しかし、裸になって川に入ることは相当に勇気の要ることです。ナアマンは部下たちの前で武具と服を脱いで、ツァラアトに冒された身をさらさなければなりませんでした。ここで、ナアマンには裸になることに、相当に葛藤があっただろうと思います。武具を着けていれば、それが心の拠り所になります。しかし、それを脱ぎ捨ててしまうと、まったく自分は頼りない存在になってしまいます。プライドの高いナアマンにとっては、それは耐え難いことであったと思います。
 そして私はここで、ナアマンには祈る心が与えられたのではないかと思います。誇り高いナアマンはそれまでは自分の軍人としての力を誇り、自分の力に頼っていました。しかし、ここでナアマンは自分の力に頼ることができなくなりました。それで神に祈る思いで水に浸ったのだと思います。そうして水に浸ったとき、ナアマンは何か心地の良いものを感じたのではないかと思います。何かわからないけど、何となく心地が良い。
 私が14年前、初めて高津教会を訪れた時も、そんな感じでした。父が死んで、韓国人の教会に私は連れて行ってもらいました。そして、何回か通った時に日本人の教会へ行くように勧められました。それで私は非常に反発を感じました。それで私は二度と教会に行くものかと思いましたが、1回だけ言うことを聞いて日本人の教会に行ってやろうと思いました。そうして1回行ってつまらなかったら、二度と教会いは行くまいと思って近所にあった高津教会を訪れました。そして、思いがけないことでしたが、私は教会に身を置いた時に心地良いものを感じました。それが、私が神様に心を開き始めた最初の時でした。そうして毎週のように高津教会に通うようになりました。
 ナアマンも、もしかしたら部下の言うことを聞いて1回だけは川に入ってやろうと思ったのかもしれません。7回も入るつもりはなかったかもしれません。しかし、自分に頼ることをやめたことで、何かわからないけれども何となく心地良いものを感じて、2回、3回と続けて入り、そうして段々と神様に対して心が開かれて行きました。そして7回目に川に入った時にナアマンの体は元どおりになって幼子のからだのようになり、きよくなりました。
 きょうの説教のタイトルは、『ナアマンは何を脱ぎ捨てたのか』です。ナアマンはプライドを投げ捨て、自分の力に頼ろうとする思いを脱ぎ捨てました。そうしてナアマンは神様にゆだねることの心地良さを感じることができるようになったのだと思いました。このようにして神様に自分を委ねることができるようになったナアマンの病気を神様は癒して下さいました。

おわりに
 いま私たちの教会の会堂問題は、選択の岐路にあります。今の時点のことだけを考えるなら無理をすべきでないのかもしれません。しかし、ここ1年ほどの流れを考えるなら、神様が私たちの祈りと私たち以外の他の教会の信徒の方々と先生方の祈りに応えて下さり、この流れに乗って行くように整えて下さっているように私は感じますが、皆さんはどのように考えるでしょうか。
 神様が整えて下さったこの流れに身を任せるなら、エリヤに会ったやもめのかめの粉が尽きなかったように、またエリシャに会ったナアマンの病気が治ったように、神様は私たちに豊かな恵みを注いで下さるのだと私は思っていますが、皆さんはどのように思われるでしょうか。
 キリスト教会は、こうして神様にお委ねすることで建て挙げられ、信仰が継承されて来ました。私たちがどの方向に進んで行くべきか、それは、これまでの流れで判断すべきだと思います。そして、その流れに身を任せて行くべきだと思いますが、皆さんは、この沼津教会のこれまでの流れについて、どのようにお感じになっているでしょうか。
 私たちの一人一人が今の流れを感じることができる霊的な力を神様が与えて下さるよう、お祈りしたいと思います。
 お祈りしましょう。
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