インマヌエル沼津キリスト教会

Immanuel Numazu Christ Church
沼津市今沢34番地

それまでの流れでこれからを見る(2015.6.10 祈り会)

2015-06-12 06:55:56 | 祈り会メッセージ
2015年6月10日祈り会メッセージ
『それまでの流れでこれからを見る』
【民数記13~14章】

はじめに
 今月は会堂月間です。祈祷会では、その時々で示された箇所を開くことにしたいと思っています。礼拝のほうでは、我々のインマヌエルの群れの信仰の上流にあるジョン・ウェスレーの信仰をご一緒に学んでみようかなと思っています。ウェスレーは牧師の息子として生まれて、幼い頃からキリスト教に関する厳格な教育を受けましたが、回心を経験したのは35歳の時でした。いわゆる「アルダスゲートの回心」と呼ばれる経験ですね。大学を卒業したウェスレーは伝道者として熱心にキリストの教えを説きましたが、どうやら自分はキリストの救いを本当にはわかっていないようだということに気付き、大変に苦悩します。そうして苦悩の果てに遂に35歳の時に、救いの確信を得ることができました。そのウェスレーの信仰の遍歴と神学について、私も少し学び直してみて、礼拝説教の時にはご一緒に考えてみることができたら良いなと思っています。
 さて、祈祷会ですが、先週は『さばき合うことのないように』というタイトルでローマ人への手紙の14章を開きました。きょうは民数記の13章から14章までをご一緒に見たいと思います。少し長いので、飛び飛びに読んで行きたいと思います。きょう、ご一緒に学びたいと思っていることは、流れの中で主の御業を見たいということです。目前に越えられそうもない壁があるように見えても、それまでの流れから見るなら、その壁は越えられると考えるべきだということを民数記の出来事から学びたいと思います。

約束の地カナンの偵察
 民数記の始めのほうには、主がモーセに人口調査を命じたことが記されています。それで最初のほうには、どの部族には、軍務につくことができる男子が何万人いたという記述が続きますので、退屈な書なのかなと思ってしまうと、後のほうの大切な記事を見逃してしまうことになります。その大切な記事の一つが、きょうご一緒に見る13章と14章の記事です(旧約聖書p.252)。
 13章の1節と2節をお読みします。

13:1 はモーセに告げて仰せられた。
13:2 「人々を遣わして、わたしがイスラエル人に与えようとしているカナンの地を探らせよ。父祖の部族ごとにひとりずつ、みな、その族長を遣わさなければならない。」

 主はイスラエルの民を約束の地のカナンに導き入れようとしていました。これが、エジプトを出てから、どのくらいの時期であったのかというと、少し前の民数記10章11節に、

10:11 第二年目の第二月の二十日(はつか)に、雲があかしの幕屋の上から離れて上った。

とあります。イスラエルの民がエジプトを出たのが第一年目の第一の月ですから、この民数記10章の段階で、エジプトを出てから1年と1ヶ月ぐらいが経っていました。ですから、13章は、もう少し後ということになりますが、いずれにしてもエジプトを出てからまだ1年と1~2ヶ月ぐらいの頃でしょう。この時に、主はモーセにカナンの地を偵察するように命じました。
 この時にカナンに遣わされた族長たちの名前が、4節から15節までに書かれていますが、私たちは、この記事の結末を知っていますから、ここで注目しておくべきは6節のカレブと、8節のホセアですね。この8節のホセアについては、16節を見るとホセアをヨシュアと名付けたとあります。

主の力を信じなかったイスラエルの民
 さてカナンの偵察に行った12人の族長たちは、25節にあるように四十日後に戻って来ました。27節と28節、

13:27 彼らはモーセに告げて言った。「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこにはまことに乳と蜜が流れています。そしてこれがそこのくだものです。
13:28 しかし、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、そのうえ、私たちはそこでアナクの子孫を見ました。

 27節には、カナンの地はとても良い地であったという報告です。しかし、28節には、その地に住む民は力強いという報告でした。つまり、そこを占領するのは難しいということです。しかしカレブの考えは違いました。30節、

13:30 そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」

カレブは占領しようと言いました。しかし、他の者たちは恐れていました。31節、

13:31 しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。」

 このようにカナンに攻め入るのは無理だという意見が支配的になってしまいましたから、イスラエルの民は絶望しました。続いて14章1節、

14:1 全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。

そして4節、

14:4 そして互いに言った。「さあ、私たちは、ひとりのかしらを立ててエジプトに帰ろう。」

 このように、イスラエルの民は「エジプトに帰ろう」とまで言い出し始めました。

カナン占領を主張したヨシュアとカレブ
 続く、6節から9節までは、交代で読みましょう。

14:6 すると、その地を探って来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブとは自分たちの着物を引き裂いて、
14:7 イスラエル人の全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。
14:8 もし、私たちがの御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜とが流れている。
14:9 ただ、【主】にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかしが私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」

 ヨシュアとカレブは、8節にあるように、「私たちがの御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。」と言いました。そして9節で、「が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」と言いました。
 これに対して全回衆は10節にあるように、ヨシュアとカレブを石打ちにしようとしましたから、は大変に怒りました。11節、

14:11 はモーセに仰せられた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないのか。
14:12 わたしは疫病で彼らを打って滅ぼしてしまい、あなたを彼らよりも大いなる強い国民にしよう。」

 これに対してモーセがとりなして、結局どうなったかと言うと、皆さんご存知のように、イスラエルの民は荒野を40年間も放浪することになってしまったんですね。このカナンの偵察の出来事があったのが、エジプトを出て1年とちょっとのことでしたから、あと39年間も荒野を放浪することになってしまいました。この時に主を信じなかった二十歳以上の男子が死に絶えるまで荒野を放浪しなければならなくなりました。29節と30節をお読みします。29節、

14:29 この荒野であなたがたは死体となって倒れる。わたしにつぶやいた者で、二十歳以上の登録され数えられた者たちはみな倒れて死ぬ。

 そして30節、

14:30 ただエフネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアのほかは、あなたがたを住まわせるとわたしが誓った地に、だれも決して入ることはできない。

 こうしてヨシュアとカレブ以外は、カナンの地に入れないことになってしまいました。

それまでの流れで進む方向を判断する
 ヨシュアとカレブは、カナンの地の住民たちがどんなに強くても、主が助けて下さるから、きっと占領できると主張しましたが、他の者たちは、カナンの住民の強さを恐れてエジプトに帰ろうと言いました。
 カナンの住民が強いことはヨシュアとカレブも十分に承知していました。しかし、どんなに強くても主が共にいて下さるのだから恐れることはないと考えました。それは、エジプトで奴隷になっていた時から、この時までに至る流れを見るなら、当然、そう考えるべきでした。主はイスラエルの民をエジプトから救い出して下さり、パロの軍勢が追って来て追い詰められた時も海を二つに割って通して下さり、喉がかわいたと言えば岩から水を出して下さり、腹がへったと言えば天からマナを降らせて下さいました。そのように、それまでに主がなさって下さった御業の流れから言えば、カナンの地も当然、占領できることになります。
 イスラエルの民が恐れたのも当然ですが、イスラエルの民は、それまでに主がして下さったことをすっかり忘れてしまっていました。そうではなくて、ヨシュアとカレブのように、これまでに主がして下さったことを思い返し、その流れの中で目前のことに立ち向かって行かなければなりません。

おわりに
 私たちの教会がどこに新しい会堂を建てるかについての問題も、流れの中で考えるべきだと思います。私自身は、これまでの流れから見るなら隣の土地を購入すべきだと考えます。ただし、それは私のこれまでの何十年かの私の人生の流れも含めてのことです。皆さんのお一人お一人の人生の流れもあると思います。ぜひ、お一人お一人で、ご自身のこれまでの流れを思い返してみていただきたいと思います。
 私たちの人生は、はじめは皆それぞれ違う場所を流れていました。しかし、その流れが次々と合流して来て、今はこの教会で一つの流れになっています。そういう中で、主が私たちをどこに導き入れようとして下さっているのかを、考えていただきたいと思います。
 最後に14章の8節をご一緒に読んで、メッセージを閉じたいと思います。これはヨシュアとカレブのことばです。

14:8 もし、私たちがの御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜とが流れている。
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