平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

主の道を平らにする働き(2018.4.11 祈り会)

2018-04-12 09:39:50 | 祈り会メッセージ
2018年4月11日祈り会メッセージ
『主の道を平らにする働き』
【イザヤ40:1~5】

40:1 「慰めよ、慰めよ、わたしの民を。──あなたがたの神は仰せられる──
40:2 エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その苦役は終わり、その咎は償われている、と。そのすべての罪に代えて、二倍のものを【主】の手から受けている、と。」
40:3 荒野で叫ぶ者の声がする。「【主】の道を用意せよ。荒れ地で私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ。
40:4 すべての谷は引き上げられ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい地は平らになる。
40:5 このようにして【主】の栄光が現されると、すべての肉なる者がともにこれを見る。まことに【主】の御口が語られる。」

はじめに
 少し前にも祈り会で、このイザヤ書40章を開きました。その時には1節の「慰めよ、慰めよ、わたしの民を」に注目しました。苦難に遭うと私たちは気落ちして前に進む気力が萎えてしまうことがあります。そのような時に主は私たちを慰め、励まして下さいます。
 この一年間の出来事の中で、私自身も気落ちしていた時期がありました。しかし、このイザヤ書40章1節の「慰めよ、慰めよ、わたしの民を」のみことばに私は大きな慰めと励ましを受けて、再び前に進んで行く気力をいただくことができました。このイザヤ書40章から私が大きな慰めと励ましをいただいたのは初めての経験でしたから、そのことを話させていただきました。

主の道を平らにする働き
 さて、きょう注目したいのは3節と4節です。

40:3 荒野で叫ぶ者の声がする。「【主】の道を用意せよ。荒れ地で私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ。
40:4 すべての谷は引き上げられ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい地は平らになる。

 8日の合同礼拝の時まで私は、合流への道は、まだ先が見通せない中にあると思っていました。しかし、合流先の教会の皆さんが私たちを快く迎えて下さったことで、だいぶ見通しが良くなったと感じました。この何ヶ月かの間、合流先の教会の皆さんが曲がった道をまっすぐにして、山や谷のでこぼこを平らにすることをなさって下さっていたのだなと感じました。本当に感謝なことです。そうして8日の合同礼拝では5節にあるように、主の栄光が現されたと感じています。これから先、まだ多少の山や谷があるかもしれませんが、私たちの側でも、合流への道を平らにする努力をして行きたいと思います。
 以上で、きょうのメッセージで言いたいことは言い尽くしてしまいましたが、ここで終わったら短すぎますから、残りの時間では、今見たイザヤ書40章が新約聖書の福音書で引用されている箇所をご一緒に見ることにしたいと思います。

マタイとマルコの福音書のバプテスマのヨハネ
 皆さんがご承知の通り、このイザヤ書40章は福音書においてはバプテスマのヨハネが登場する箇所で引用されています。先ずマタイの福音書から見て行きましょう。マタイ3章の1節から6節までを交代で読みましょう。

3:1 そのころバプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教えを宣べ伝えて、
3:2 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言った。
3:3 この人は、預言者イザヤによって「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ』」と言われた人である。
3:4 このヨハネはらくだの毛の衣をまとい、腰には革の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。
3:5 そのころ、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川周辺のすべての地域から、人々がヨハネのもとにやって来て、
3:6 自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。

 イザヤ書40章は今読んだ箇所の3節に引用されています。3節、

3:3 この人は、預言者イザヤによって「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ』」と言われた人である。

 「主の道を用意せよ」とは、イエス・キリストが来る道を用意せよということですね。この後で、イエスさまが宣教を始めました。バプテスマのヨハネはその道を備える大切な役目を負っていました。このことは四つの福音書のすべてに書かれています。次にマルコの福音書を見ましょう。マルコは冒頭でイザヤ書を引用しています。マルコ1章の1節から4節までを交代で読みましょう。

1:1 神の子、イエス・キリストの福音のはじめ。
1:2 預言者イザヤの書にこのように書かれている。「見よ。わたしは、わたしの使いをあなたの前に遣わす。彼はあなたの道を備える。
1:3 荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。』」そのとおりに、
1:4 バプテスマのヨハネが荒野に現れ、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。

 マルコが冒頭でイザヤ書を引用してバプテスマのヨハネを登場させていることは、バプテスマのヨハネの役割がいかに重要であったかを良く示していると思います。

ルカの福音書のバプテスマのヨハネ
 そしてルカの福音書では、皆さんご存知のようにルカはこのバプテスマのヨハネが誕生した経緯から物語を始めています。ルカ1章を開いて下さい。1節から4節まではテオフィロへのことばですので、5節と6節を交代で読みます。

1:5 ユダヤの王ヘロデの時代に、アビヤの組の者でザカリヤという名の祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。
1:6 二人とも神の前に正しい人で、主のすべての命令と掟を落度なく行っていた。

 このザカリヤとエリサベツがバプテスマのヨハネの両親です。ルカがバプテスマのヨハネの両親の話から福音書を書き始めていることは、やはりバプテスマのヨハネの役割が重要であったことを良く物語っていると思います。そして、ルカは3章でイザヤ書40章を引用しています。ルカ3章の3節から6節までを交代で読みます。

3:3 ヨハネはヨルダン川周辺のすべての地域に行って、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。
3:4 これは、預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。
3:5 すべての谷は埋められ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい道は平らになる。
3:6 こうして、すべての者が神の救いを見る。』」

 ルカは6節で、「すべての者が神の救いを見る」と書いています。これはルカの福音書の非常に重要なメッセージです。病人でも貧しい者でも罪人でも異邦人でも、すべての者が神の救いを見るというのがルカの福音書の重要なメッセージです。

ヨハネの福音書のバプテスマのヨハネ
 最後にヨハネの福音書を見ましょう。ヨハネ1章の19節から23節までを交代で読みましょう。

1:19 さて、ヨハネの証しはこうである。ユダヤ人たちが、祭司たちとレビ人たちをエルサレムから遣わして、「あなたはどなたですか」と尋ねたとき、
1:20 ヨハネはためらうことなく告白し、「私はキリストではありません」と明言した。
1:21 彼らはヨハネに尋ねた。「それでは、何者なのですか。あなたはエリヤですか。」ヨハネは「違います」と言った。「では、あの預言者ですか。」ヨハネは「違います」と答えた。
1:22 それで、彼らはヨハネに言った。「あなたはだれですか。私たちを遣わした人たちに返事を伝えたいのですが、あなたは自分を何だと言われるのですか。」
1:23 ヨハネは言った。「私は、預言者イザヤが言った、『主の道をまっすぐにせよ、と荒野で叫ぶ者の声』です。」

 23節でイザヤ書が引用されていますね。そうしてバプテスマのヨハネは二人の弟子をイエスさまのもとに連れて行って引き合わせました。35節から37節を交代で読みましょう。

1:35 その翌日、ヨハネは再び二人の弟子とともに立っていた。
1:36 そしてイエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の子羊」と言った。
1:37 二人の弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。

 このようにバプテスマのヨハネは、まだイエスさまのことを知らなかった二人の弟子がイエスさまと出会うことができるようにしました。

おわりに
 私たちもまた、そのような者でありたいと思います。私たちの周囲には、まだイエスさまを知らない方々がたくさんいます。そのような方々がイエスさまと出会えるようにして差し上げたいと思います。
 しかし周囲の方々をどのようにイエスさまの所にお連れするかは、様々な方法があり、教会によっても方法は異なります。その点についてはシオン教会の先生方、教会員の皆さんに教えていただきながら、進んで行きたいと思います。そこは十分に気を付けながら、この道を歩んで行きましょう。
 お祈りいたしましょう。

40:3 荒野で叫ぶ者の声がする。「【主】の道を用意せよ。荒れ地で私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ。
40:4 すべての谷は引き上げられ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい地は平らになる。
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