「絶えず祈りなさい。」(Ⅰテサロニケ5:17)
長崎に原爆が投下されて以降、戦争での核兵器使用はありません。これは不幸中の幸いです。世界中で平和の祈りが捧げられ続けていることが核兵器の使用を防いでいると私は考えています。この悪魔の兵器が二度と使われないように、これからも祈り続けなければなりません。
昨日の投稿で、祈りは過去にも届くことを書きました。ですから長崎以降に核兵器の戦争使用が過去にないことは、今日の平和の祈りが過去に届いているからだとも言えるかもしれません。そして今日の平和は、今日から未来へと続く不断の祈りによってもたらされるとも言えるのだと思います。
祈りの言葉は永遠の中にいる神様によって過去にも未来にも自在に届けられます。今日の祈りがどの時代に届くのか、私たちにはわかりません。ですから、祈りがどのように用いられるかはすべて神様にお委ねして、私たちは絶えず祈ることが大切なのだと思います。
長崎に原爆が投下されて以降、戦争での核兵器使用はありません。これは不幸中の幸いです。世界中で平和の祈りが捧げられ続けていることが核兵器の使用を防いでいると私は考えています。この悪魔の兵器が二度と使われないように、これからも祈り続けなければなりません。
昨日の投稿で、祈りは過去にも届くことを書きました。ですから長崎以降に核兵器の戦争使用が過去にないことは、今日の平和の祈りが過去に届いているからだとも言えるかもしれません。そして今日の平和は、今日から未来へと続く不断の祈りによってもたらされるとも言えるのだと思います。
祈りの言葉は永遠の中にいる神様によって過去にも未来にも自在に届けられます。今日の祈りがどの時代に届くのか、私たちにはわかりません。ですから、祈りがどのように用いられるかはすべて神様にお委ねして、私たちは絶えず祈ることが大切なのだと思います。