インマヌエル沼津キリスト教会

Immanuel Numazu Christ Church
沼津市今沢34番地

旧約聖書の魅力(2018.11.4 礼拝)

2018-11-06 08:03:28 | 礼拝メッセージ
2018年11月4日礼拝メッセージ
『旧約聖書の魅力』
【エズラ1:1~4】

はじめに
 きょうの説教のタイトルは『旧約聖書の魅力』です。説教箇所はエズラ記にしましたが、旧約聖書の全体を眺める予定にしています。
 11月に入って今年も残すところ、あと2ヶ月になりました。年が明ければ年会まで2ヶ月となります。つまり年会まで、あと4ヶ月しかありません。
 私がこの教会に着任してからの5年半の礼拝メッセージでは、最初の3年はヨハネの福音書をよく開いていたと思います。そして使徒の働きの学びを約2年間続けて、その後はルカの福音書とヨブ記を短く取り上げました。また、その合間合間には単発的なメッセージも随時取り入れていました。
 さて、あと残り4ヶ月、3月を入れても5ヶ月、どのようなメッセージを取り次ぐべきかを考えた時、何か一つの書を何週間も開くよりは、一回あたり一つの書を取り上げて、私が一つ一つの書にどのような魅力を感じているかを皆さんと分かち合ってみたいなという気持ちになりました。しかし聖書は66の書がありますから、週に一つの書のペースではすべて話すことができません。それで、どうしようかと考えたのですが、とりあえず12月は私の説教の担当が4回ありますから、四つの福音書を一つずつ取り上げたいと思います。アドベント第一礼拝の12月2日は『マタイの福音書の魅力』を、アドベント第二礼拝の9日は『マルコの福音書の魅力』、16日はシオン教会での合同礼拝、そして23日のクリスマス礼拝は『ルカの福音書の魅力』にしたいと思います。クリスマスにルカの福音書はふさわしいでしょう。そして30日の年末感謝礼拝には『ヨハネの福音書の魅力』としたいと思います。年が明けてからどうするかは、もう少し考えたいと思います。

二つの転換点
 そして今日は『旧約聖書の魅力』です。11月は来週の11日は召天者記念礼拝ですから、このシリーズのメッセージはできません。18日はまり子先生のメッセージ、25日は合同礼拝ですから、12月に『福音書の魅力』を語る前にこのシリーズの話をできるのは今日だけです。それで、きょうは『旧約聖書の魅力』としました。
 では、本題に入ります。きょうの短い時間内で「旧約聖書の魅力」を語るとしたら、何を語ったら良いでしょうか。私が感じている魅力は、新約聖書へとつながって行く旧約聖書全体の壮大な物語です。どうしてイエス・キリストの十字架と復活、そして聖霊の注ぎが必要だったのか、旧約聖書全体の流れを知るなら、そのことが分かって来ます。きょうは、そのような旧約聖書の壮大な物語を皆さんと分かち合いたいと思います。
 エズラ記の1章を選んだのは、ここが旧約聖書の最も重要な転換点の一つだと考えるからです。転換点というのは、それ以前とそれ以後で話が大きく変わる場所で、演劇の舞台で言えば、いったん幕が下りて、再び幕が上がる所だと言えるでしょうか。旧約聖書をいくつの区間に分けるか、人によって考え方は違うでしょう。細かく分けるなら、いくらでも分けることができます。しかし、できるだけ大きく分けるとしたら、私は二つの転換点を挙げたいと思います。一つは今日の聖書箇所のエズラ記1章であり、もう一つとして私は創世記12章を挙げたいと思います。
 まず、創世記12章をご一緒に開きましょう(旧約聖書p.17)。創世記12章の1節から4節までを交代で読みましょう。

12:1 【主】はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。
12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。
12:3 わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」
12:4 アブラムは、【主】が告げられたとおりに出て行った。ロトも彼と一緒であった。ハランを出たとき、アブラムは七十五歳であった。

 神である主はアブラハムを選んで語り掛け、カナンの地へと導きました。ここからイスラエルの歴史が始まりました。アブラハムの息子がイサク、イサクの息子がヤコブで、ヤコブの12人の息子たちがイスラエル12部族の祖先になりました。
 イスラエルの人々の人数はエジプトで大いに増えて、十分に増えた時に主はモーセをリーダーにして彼らをエジプトから脱出させてシナイ山のふもとで律法を授けました。そしてヨシュアの時代に彼らをカナンの地に戻しました。律法を授けたのは彼らが神である主から離れないようにするためです。律法を守るなら、彼らは主から離れないでいることができます。創世記12章で主がアブラハムを召し出したのは、まずアブラハムの子孫のイスラエルの民に律法を与えて主から離れないようにし、やがて終わりの日が来る時にはイスラエルの民以外の異邦人も皆が主のもとに集うようにするご計画でした。その終わりの日のことはイザヤ書やミカ書などに書かれています。

主から離れる人々
 では、なぜ主は先ずは一つの民族を選んで律法を授け、主と共に歩めるようにしたのか、それは創世記11章までを見れば分かるように、人間たちが主と共に歩むことができずに、すぐに主から離れてしまったからですね。創世記1章と2章で主は人間を造りましたが、3章でアダムとエバが蛇に誘惑されて主が食べてはならないと命じていた善悪の知識の木の実を食べてしまいました。そうしてエデンの園を追放されたアダムとエバはカインとアベルを生みますが、カインは弟のアベルを殺してしまいました。そしてカインの子孫たちも悪に傾きました。それで主は地上に人間を造ったことを悔やみ、ノアとノアの家族たち以外の人間を洪水で滅ぼしてしまいました。そのことが創世記の6章から9章までに書かれています。
 ノアは主の心にかなった正しい人でしたから、ノアの洪水以降のノアの子孫たちは主と共に歩むことが期待されていました。しかし、ノアの子孫たちは天に届くバベルの塔を築き始めました。これを放っておくと人間は増長しておごり高ぶってしまいますから、主は人間のことばを混乱させてバベルの塔を築くことを阻止しました。このことが創世記11章に書かれています。結局、ノアの洪水ではうまく行かなかったのですね。人間たちはすぐに主から離れてしまいます。それゆえ主は創世記12章でアブラハムを召し出して、先ずはイスラエルの民に律法を授けることにしました。これがイスラエルの物語の始まりです。
 このイスラエルの物語の中で、アブラハムの次はどこに区切りを入れるか。例えばマタイの福音書の系図では、ダビデの所で一旦区切りを入れていますね。それは人としてのイエス・キリストがダビデの家系の子孫だからです。しかし、きょう私はアブラハム以降の次の区切りをエズラ記1章にしました。それは、律法が与えられたイスラエルの民も結局のところは、主から離れてしまったということを、皆さんと共に分かち合いたいからです。
 ではアブラハムからエズラ記に至る旧約聖書の流れを、今度は「目次」を見ながら、ご一緒に確認したいと思います。

創世記~サムエル記
 創世記12章までを今、お話ししました。12章からアブラハムとイサクの物語があり、創世記の後半にはヤコブとヤコブの息子たちの物語が描かれています。ヤコブの息子のヨセフは、兄たちに恨まれたことでイシュマエル人の隊商に売られてしまい、エジプトに連れて行かれました。しかしヨセフはエジプトでファラオ(パロ)に国の政治を任される重要な地位に就きました。そうして豊作の時期に食糧を備蓄して、凶作になった時期に食糧に困ったヤコブの一家をエジプトに呼び寄せたので、エジプトでイスラエルの民族が増えることになりました。
 次の出エジプト記では、増えたヤコブの子孫たちがモーセに率いられてエジプトを脱出し、シナイ山のふもとで律法を授けられたことが記されています。次のレビ記では律法のことばが続いていて、主(おも)に祭儀的な律法が授けられました。そして次の民数記での重要な出来事と言えば、やはりカナン入りを目前にして偵察に行った族長たちがヨシュアとカレブを除いてはカナン人たちが強そうなことにおじけづいてしまったことでしょう。主が共にいて下されば恐れることはないのですが、イスラエルの民は「エジプトに帰ろう」と言い出して主を怒らせ、このことで荒野を40年間も放浪することになり、モーセもカナンの地に入れないことになってしまいました。この民数記を読むと、イスラエルの民の心は律法を授けられた後も、何かあるとすぐに主から離れてしまったことが分かります。人の心がいかに神から離れやすいものかが、よく分かります。そうして40年間荒野を放浪していよいよカナンの地に入る直前にモーセがイスラエルの民にもう一度言い聞かせたことばが申命記に記されています。モーセはこの申命記の最後に死にました。
 続くヨシュア記ではヨシュアに率いられてイスラエルの民がカナンの地に入って先住民たちと戦い、定住するようになりました。そして士師記とルツ記、サムエル記第一の始めの頃まではさばきつかさの時代が続きました。しかし、イスラエルの民はなぜか突然、王様を欲しがるようになりました。彼らは主の直下で生きるよりも間に王を入れて欲しがり、王の下で生きることを望みました。このことが主をまた怒らせましたが、主はイスラエル人の要望を聞き入れてサウルに油を注ぎ、サウルがイスラエルの初代の王になりました。このサウル王の時代がサムエル記第一に記されています。さてサウル王は主の期待に応えられませんでしたから、ダビデ王が立てられることになりました。このダビデ王の時代のことがサムエル記第二に記されています。ダビデは立派な信仰を持っていましたが、バテ・シェバの夫だった忠臣ウリヤを殺してしまったことで、以降のダビデの家庭はドロドロになってダビデは苦しむことになります。このドロドロの泥沼の中でもがくダビデと家族たちの物語を読むと、人間の罪の性質がよく分かると思います。

列王記~エズラ記
 そして列王記第一はダビデの最晩年と息子のソロモンがイスラエルの王を引き継いだことから話が始まりますが、ソロモンの不信仰のゆえに主が怒り、イスラエルの国が北王国と南王国の二つの国に引き裂かれたことが書かれています。そして北王国の王たちは初代のヤロブアムに始まって一貫して不信仰な王たちであり、従って北王国の人々も不信仰にならざるを得ませんでした。このことで、またまた主を怒らせて北王国のイスラエルはアッシリアに滅ぼされてしまいました。そして北王国のイスラエルの人々はアッシリアに捕囚として引かれて行きました。
 列王記第二のその箇所をご一緒に読みましょう。列王記第二17章の22節と23節を交代で読みましょう(旧約聖書p.684)。

17:22 イスラエルの人々は、ヤロブアムが行ったすべての罪に歩み、それから離れなかったので、
17:23 【主】は、そのしもべであるすべての預言者を通して告げられたとおり、ついにイスラエルを御前から除かれた。こうして、イスラエルは自分の土地からアッシリアに引いて行かれた。今日もそのままである。

 こうして北王国は滅んでしまいましたが、その後で南王国もやはり不信仰の罪で滅んでしまいました。これは歴代誌の方でご一緒に見ることにしたいと思います。歴代誌にはイスラエルの民族の系図と、後はサムエル記と列王記とだいたい同じことが書かれていますが、歴代誌はダビデの系譜の南王国のことが書かれていて、北王国のことは書かれていません。
 では、南王国が滅ぼされたことが書かれている歴代誌第二の箇所をご一緒に読みましょう(旧約聖書p.814)。歴代誌第二36章のまず11節と12節を交代で読みましょう。

36:11 ゼデキヤは二十一歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。
36:12 彼はその神、【主】の目に悪であることを行い、【主】のことばを告げた預言者エレミヤの前にへりくだらなかった。

 ゼデキヤ王は、南王国の最後の王です。ゼデキヤ王はそれまでの大半の王と同じく、主の目に悪であることを行いました。それゆえ主を怒らせて、南王国は滅びました。少し飛ばして、17節から21節までを交代で読みましょう

36:17 主は、彼らのもとにカルデア人の王を攻め上らせた。彼は、聖所の中で若い男たちを剣で殺し、若い男も若い女も、年寄りも弱い者も容赦しなかった。主は、すべてのものを彼の手に渡された。
36:18 彼は、神の宮の大小すべての器、【主】の宮の財宝と、王とその高官たちの財宝、これらすべてをバビロンへ持ち去った。
36:19 神の宮は焼かれ、エルサレムの城壁は打ち壊され、その高殿はすべて火で焼かれ、その中の宝としていた器も一つ残らず破壊された。
36:20 彼は、剣を逃れた残りの者たちをバビロンへ捕らえ移した。こうして彼らは、ペルシア王国が支配権を握るまで、彼とその子たちの奴隷となった。
36:21 これは、エレミヤによって告げられた【主】のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。その荒廃の全期間が七十年を満たすまで、この地は安息を得た。

 この地は安息を得たということばに、この地がいかにそれまでひどい状態にあったかが伺えると思います(この「安息を得た」には諸説あるようです)。
 続いて22節と23節を交代で読みます。

36:22 ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた【主】のことばが成就するために、【主】はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。王は王国中に通達を出し、また文書にもした。
36:23 「ペルシアの王キュロスは言う。『天の神、【主】は、地のすべての王国を私にお与えくださった。この方が、ユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てるよう私を任命された。あなたがた、だれでも主の民に属する者には、その神、【主】がともにいてくださるように。その者は上って行くようにせよ。』」

 ここには、ページをめくっていただくとある、きょうの聖書箇所のエズラ記1章と同じことが書かれています。こうしてバビロンで捕囚になっていた民はエルサレムに帰還して神殿の再建を始めました。帰還後、人々は律法を守るようになりました。エルサレムの滅亡とバビロン捕囚に懲りていたからです。

ハガイ書~マラキ書
 ただし、神殿の再建はなかなか進みませんでした。それゆえ主がハガイを通して彼らを励まさなければなりませんでした。ハガイ書1章(旧約聖書p.1608)の2節から5節までを交代で読みましょう。

1:2 万軍の【主】はこう言われる。「この民は『時はまだ来ていない。【主】の宮を建てる時は』と言っている。」
1:3 すると預言者ハガイを通して、次のような【主】のことばがあった。
1:4 「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住む時だろうか。」
1:5 今、万軍の【主】はこう言われる。「あなたがたの歩みをよく考えよ。」

 この励ましによって、ようやく神殿の再建がなされました。しかし、旧約聖書の最後にあるマラキ書を読むと、エルサレムの人々は表面上は律法を守っていても彼らの心はやはり主から離れていたようです。マラキ書の1章を開きましょう(p.1629)。1章の1節と2節を、私のほうでお読みします。

1:1 宣告。マラキを通してイスラエルに臨んだ【主】のことば。
1:2 「わたしはあなたがたを愛している。──【主】は言われる──しかし、あなたがたは言う。『どのように、あなたは私たちを愛してくださったのですか』と。

 人々は主の愛を感じていませんでした。続いて、6節から8節を交代で読みましょう。

1:6 「子は父を、しもべはその主人を敬う。しかし、もし、わたしが父であるなら、どこに、わたしへの尊敬があるのか。もし、わたしが主人であるなら、どこに、わたしへの恐れがあるのか。──万軍の【主】は言われる──あなたがたのことだ。わたしの名を蔑む祭司たち。しかし、あなたがたは言う。『どのようにして、あなたの名を蔑みましたか』と。
1:7 あなたがたは、わたしの祭壇に汚れたパンを献げていながら、『どのようにして、私たちがあなたを汚しましたか』と言う。『【主】の食卓は蔑まれてもよい』とあなたがたは思っている。
1:8 あなたがたは盲目の動物を献げるが、それは悪いことではないのか。足の萎えたものや病気のものを献げるのは、悪いことではないのか。さあ、あなたの総督のところにそれを差し出してみよ。彼はあなたを受け入れるだろうか。あなたに好意を示すだろうか。──万軍の【主】は言われる──

 祭司たちは形式的にしか主を敬っていませんでした。北王国の滅亡と南王国の滅亡、そしてバビロン捕囚で懲りたはずなのに、結局イスラエルの民の心はすぐに主から離れてしまうのでした。

聖霊を受けなければ主から離れる人々
 結局のところ、三位一体の神の聖霊が人の心の内に入らない限り、人の心はどうしても主から離れてしまいます。ですから主はイエスは神の子キリストと信じる者には誰でも聖霊を注いで下さるようにして下さいました。
 どうして主は無条件で全員に聖霊を注いで下さらないのでしょうか。それは聖霊は神だからでしょう。聖霊を受けた者は神の子とされます。無条件で神の子とされるなど、そんな虫の良い話はないでしょう。最低限、イエスは神の子キリストと信じる必要があります。たったそれだけのことで神である聖霊を受けて神の子としていただけるとは、神様は随分と気前が良いお方だと思います。それほどの気前の良さなのに、イエスは神の子キリストと信じることができない人がたくさんいます。それほど人間の罪は根深いのだと思います。旧約聖書を読むと、それが良く分かります。旧約聖書の魅力は、壮大な物語を通して、このような人間の根深い罪の性質を学ぶことができる点にあると思います。
 きょうは、このことを分かち合いたいと願い、『旧約聖書の魅力』と題して話をさせていただきました。

おわりに

 最後に、エレミヤ書31章の31節から34節までを交代で読みましょう。ここには新しい契約を主が結んで下さり、聖霊を授けて下さることが預言されています。

31:31 見よ、その時代が来る──【主】のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。
31:32 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破った──【主】のことば──。
31:33 これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである──【主】のことば──。わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
31:34 彼らはもはや、それぞれ隣人に、あるいはそれぞれ兄弟に、『【主】を知れ』と言って教えることはない。彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るようになるからだ──【主】のことば──。わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。」

 お祈りいたしましょう。
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