インマヌエル沼津キリスト教会

Immanuel Numazu Christ Church
沼津市今沢34番地

ルカの福音書の魅力(2018.12.23 礼拝)

2018-12-25 17:46:19 | 礼拝メッセージ
2018年12月23日クリスマス礼拝メッセージ
『ルカの福音書の魅力』
【ルカ3:21~22】

はじめに
 クリスマスおめでとうございます。
 クリスマス礼拝のきょう、イエス・キリストのご降誕を心一杯お祝いしたいと思います。全国の教会では、きょうのクリスマス礼拝で洗礼を受ける方も多くいらっしゃると思います。新しいクリスチャンの誕生をも私たちは心一杯お祝いして、その方々のこれからの信仰の歩みが豊かに祝されますようにも、お祈りしていたいと思います。
 すでに何度か話しましたが、2018年の今年のカレンダーの曜日の巡りは、広島と長崎に原爆が投下されて終戦となった1945年と同じです。そして、アメリカで同時多発テロがあった2001年とも同じです。つまり1945年も2001年も12月23日がクリスマス礼拝の日でした。そして実は、私が出身教会の高津教会で洗礼を受けたのが、2001年の12月23日でした。私は17年前のきょう、公式にクリスチャンになりました。

人はいつクリスチャンになるのか
 人がいつ、クリスチャンと呼ばれるキリスト教徒になるのか、公式的にはやはり洗礼を受けた時だと思います。しかし、実質的には聖霊を受けた時がクリスチャンになった時だと言えると思います。「イエスさまは神の子キリストである」と信じた者に神様は聖霊を授けて下さいます。ただし、洗礼は人間の牧師が授けるものですから、自分がいつ洗礼を受けたかは分かりますが、聖霊は目に見えない神様が授けて下さいますから、自分がいつ聖霊を受けたのかは、とても分かりにくいと思います。イエスさまの弟子たちがペンテコステの日に聖霊を受けた時のように、天から突然、激しい風が吹いて来たように響きが起こり、家全体に響き渡った(使徒2:2)というようなことが起これば、非常に分かりやすいですが、たいていは気付かないうちに聖霊を受けていることが多いのではないでしょうか。
 かつて私は、自分がいつ聖霊を受けたのかを考えたことがあります。そうして私が聖霊を受けたのは「パウロがダマスコ途上でイエス・キリストと出会ったことを信じた時」であろうと今は考えています。しかし、100%の確信があるわけではありません。そうではないかなと思っている程度です。
 ただ、自分が一歩一歩クリスチャンへと向かう階段を上って来た過程というのは思い返すことができますから、その中のどこかであることは確かだと思います。一歩一歩クリスチャンへと向かう階段というのは、もう少し具体的に言えば、例えば、明日は教会に行こうと思った日などのことです。そうして教会に導かれた私は、次には自分の聖書が欲しいと思いました。これも結構、重要な一歩だったと思いました。それから、まだ洗礼を受けることなど全く考えていなかった頃に聖餐式がありました。聖餐式の間、その恵みに与ることができなかった私は会堂の中でとても孤独に感じました。その時初めて、いつかは洗礼を受けることを考え始めるかもしれないと思いました。そして、その機会は思ったよりも早く訪れました。ただし、自分が洗礼を受けたいと思っていることを表明するまでには、それなりの葛藤がありました。私は神社で参拝することが好きでしたから、神社を参拝する生活から離れたくないとも思い、かなり悩みました。また、家族がどう思うかということも、とても気になりました。そういう思いを先ずは牧師の藤本先生ではなくて少し年上の信徒に打ち明けました。そして、それが藤本先生に伝わって祈っていただいたりしました。そういう数々のステップを少しずつ踏んだ末に洗礼を受けて、公式にクリスチャンになりました。ただし後になって考えると、洗礼を受けるよりも、もっと早くに「イエスさまは神の子キリストであると信じて」聖霊を受けて、実質的にはクリスチャンになっていたのだと思います。

ルカの福音書と使徒の働きを並べると聖霊のことがよく分かるという魅力
 さて、前置きが少し長くなりましたが、きょうのクリスマス礼拝のメッセージのタイトルは『ルカの福音書の魅力』です。前々回は『マルコの福音書の魅力』、前回は『マタイの福音書の魅力』というタイトルで話をしました。これは私が個人的にマタイとマルコの福音書のどんな所に魅力を感じているかという話でしたが、マタイの福音書もマルコの福音書も、共に聖霊を受けることの大切さを読み取ることができるという点に、私は大きな魅力を感じています。そして、クリスマスにイエスさまがこの世にお生まれになったのは、地上で弟子たちにこれらのことを教えて、後に聖霊を与えることに備えさせるためだ、ということをマタイとマルコの福音書が暗に伝えていることにも魅力を感じています。
 そして、今日これから話す『ルカの福音書の魅力』は、今年の前半の礼拝でも取り上げましたが、ルカが福音書の次に使徒の働きを書き、この二つの書を並べて考えると、ますます聖霊の重要性が分かるという点にあると思います。もしルカの福音書の後に使徒の働きが書かれていなければ、私たちは聖霊の大切さをほとんど知ることができなかったかもしれません。パウロの手紙には聖霊のことがたくさん書かれていますが、聖霊がどういう状況で弟子たちに授けられたのかは使徒の働きがなければ分かりませんから、2世紀以降の私たちは聖霊のことがよく分からないでいたでしょう。
 聖書を開いて具体的に見てみましょう。まず、きょうの聖書箇所のルカ3章21節と22節を交代で読みましょう。

3:21 さて、民がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマを受けられた。そして祈っておられると、天が開け、
3:22 聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って来られた。すると、天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」

 このことはマルコの福音書とマタイの福音書にも記されていますが、ある意味、これが救い主としてのイエス・キリストが誕生した時だと言っても良いと思います。ヨセフとマリアの子としてイエスさまが生まれた時は人としてのイエスさまの誕生であって、救い主としてのイエスさまの誕生は、この3章の21節と22節にあるような天から聖霊を受けた時であったと言えるのではないかと思います。
 イエスさまはヨハネ3章の5~7節でおっしゃいました(週報p.3)。

3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。
3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。

 このヨハネ3章7節でイエスさまは「あなたがたは新しく生まれなければならない」とおっしゃいました。人は聖霊を受けることで新しく生まれ変わります。イエスさまは、ご自身が聖霊を受けることで率先してそのことを示して下さったように思います。

聖霊を受けて新しく生まれ変わった弟子たち
 このように、人が聖霊を受けることで新しく生まれ変わることを私たちクリスチャンが理解できるのは、ルカが使徒の働きを書いてくれたからこそであると言えるでしょう。
 使徒の働きの2章をご一緒に読みましょう。この使徒の働きもまた、ルカが書いたものです。使徒2章の1節から4節を交代で読みましょう。

2:1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
2:2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
2:3 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
2:4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。

 この時に弟子たちは聖霊を受けて新しく生まれ変わりました。彼らがどんな風に新しくされたのか、それはペテロの説教を読めば分かるでしょう。同じ使徒2章の14節には、こうあります。

2:14 ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々に語りかけた。「ユダヤの皆さん、ならびにエルサレムに住むすべての皆さん、あなたがたにこのことを知っていただきたい。私のことばに耳を傾けていただきたい。

 そうしてペテロは堂々とした説教を行い、最後にこう締めくくりました。38節から41節までを交代で読みましょう。

2:38 そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
2:39 この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」
2:40 ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。
2:41 彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。

 ペテロの説教を聞いて、その日、三千人ほどが仲間に加えられました。皆さん良くご存知のように、ペテロは五十日ほど前のイエスさまが逮捕された時、イエスさまのことを知らないと三度も言いました。ペテロはそう言ってイエスさまを裏切った臆病者でした。そのペテロがこんな風に堂々と説教できる者に新しく生まれ変わりました。それは聖霊を受けたからです。そして聖霊を受けた者の中にはイエスさまがいます。ですから、この説教はペテロがしているというよりも、ペテロの中のイエスさまがしているとも言えるでしょう。
 もしルカが福音書と使徒の働きを書かなければ、聖霊を受けた者の中ではイエスさまが働いているということも、良くは分からなかったでしょう。
 ルカの福音書の魅力は、このように、この福音書が使徒の働きとセットになっていることで聖霊の働きがよく分かるようになっている点にあると思います。

神様の御心が分かるようになる
 ルカの福音書の魅力はまだまだあります。あともう一つ挙げておきたいと思います。それは、聖霊を受けることで神様の御心が分かるようになるということです。もちろん神様の御心のすべてが分かるわけではありませんが、聖霊を受けると人間の立場からではなく、神様の立場から人を見ることができるようになります。例えば神様はすべての人を愛しておられることが、使徒の働きのパウロの伝道旅行から見て取れるようになります。パウロたちが伝道旅行へと押し出されて行って異邦人に伝道したのは、神様がすべての人を愛しておられ、すべての人を救いたいと願っておられるからです。ユダヤ人だけではなく異邦人をも神様は救いたいと願ってらっしゃいます。そうして使徒の働きを読んでパウロの異邦人伝道のことを知るなら、ルカの福音書15章の「放蕩息子の帰郷」の物語も、これは異邦人の救いを描いたものであろうということも示されます。放蕩息子とはアブラハムの時代の頃に父の家を出た異邦人のことであり、使徒の時代になって父の家に帰って来たということを「放蕩息子の帰郷」の物語から思い巡らすことができるようになります。これは、使徒の働きという続編が無ければ思い至らないことです。
 そうして神様はすべての人を愛しておられるということを知るなら、私たちが神様を愛するだけでなく隣人をも愛さなければならないことの意味も分かるようになります。イエスさまは律法の大切な教えとして、まず第一に「神を愛すること」を挙げましたが、もう一つ「隣人を愛すること」も大切だとおっしゃいました。それは、神様はすべての人を愛しておられ、すべての人を救いたいと願っているから、私たちもまた神様を愛するだけでなく、神様のようにすべての隣人を愛さなければならないということではないでしょうか。ルカの福音書と使徒の働きが無ければ、私たちはこのことも十分には理解できなかったでしょう。

聖霊を受けることと洗礼を受けることの両方が大切
 きょうのメッセージの最初に、私たちはいつクリスチャンになるのか、という話をしましたね。公式的には人がクリスチャンになるのは洗礼を受けた時だけれども、実質的には聖霊を受けた時だと話したという話をしました。洗礼を受けることと聖霊を受けること、両方ともとても大事なことです。残りの時間で、このことを話して、きょうのクリスマスのメッセージを閉じたいと思います。
 聖霊を受けることと洗礼を受けることは両方が大事なことであり、両方が必要なことです。ですから私たちは、この二つをセットとして捉えたいと思います。
 私が聖霊の大切さばかりを話しますから、もしかしたら洗礼を受けることは、それほど大切ではないと私が考えていると思われているかもしれませんが、そんなことはぜんぜんありません。洗礼を受けて公式的にクリスチャンを名乗るようになることは、とても大事なことです。それは、洗礼を受けて自分がクリスチャンであることを表明するようになることで、多くの人々にイエス・キリストを信じることをお勧めできるようになるからです。また、洗礼を受けることで正式に教会員の一員になります。そうして月定献金を捧げるようになります。それは教会を支える一員になるということです。キリストの体である教会を支える者になるということは、大きな喜びです。
 来年、私たちの教会は他の教会と合併します。今年は、そのことに備える一年になりました。そして、教会同士の合併という大きな課題に向き合うことで、「教会って何だろう」ということを考えることになる機会となりました。皆さんのお一人お一人も考えたことと思いますし、私も改めて考える機会になりました。そうして、きょうのクリスマス礼拝に、このメッセージを取り次ぐことができることを、とても感謝に思っています。

神を愛することと隣人を愛することの両方と関連する聖霊と洗礼
 聖霊を受けることと洗礼を受けることの両方が大切であると話しましたが、それは神を愛することと隣人を愛することの両方が大切であることと密接に関連していると言えるでしょう。
 聖霊を受けることで私たちは神様と深くつながることができるようになり、神様をより深く愛することができるようになります。そうして神様の御心も少し分かるようになります。すると神様はすべての人を愛していることが分かり、神様がすべての人を愛するように私たちも隣人を愛さなければならないことが分かります。教会は、その隣人を愛することの拠点となります。まずは教会員同士が愛し合い、そして、その輪を広げることで、教会の外にいる隣人の方々をも愛することができるようになります。そのように教会が存在することで私たちは隣人を愛する働きを、一人でいる時よりもしっかりと進めることができるようになります。洗礼を受けて公式的なクリスチャンになるということは、その働きを担うということです。ですから、聖霊を受けて、そしてまた洗礼も受けるという、実質的にも公式的にもクリスチャンになることが大切です。両方を受けることで私たちは神様を愛し、隣人をも愛することができるようになります。

おわりに
 聖霊を受けることと、洗礼を受けることの、どちらが先になるのかは人によって異なることでしょう。どちらが先であったとしても、両方を受けることが大切です。そうして私たちは神様を愛し、隣人を愛することができるようになりたいと思います。
 最後にルカの福音書の10章の25節から28節を交代で読みましょう。

10:25 さて、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試みようとして言った。「先生。何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」
10:26 イエスは彼に言われた。「律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」
10:27 すると彼は答えた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』、また『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」
10:28 イエスは言われた。「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」

 お祈りいたしましょう。
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