インマヌエル沼津キリスト教会

Immanuel Numazu Christ Church
沼津市今沢34番地

探究心の善用と悪用(2018.8.8 祈り会)

2018-08-09 13:42:10 | 祈り会メッセージ
2018年8月8日祈り会メッセージ
『探究心の善用と悪用』
【伝道者1:1~11】

1:1 エルサレムの王、ダビデの子、伝道者のことば。
1:2 空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。
1:3 日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になるだろうか。
1:4 一つの世代が去り、次の世代が来る。しかし、地はいつまでも変わらない。
1:5 日は昇り、日は沈む。そしてまた、元の昇るところへと急ぐ。
1:6 風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。
1:7 川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れる場所に、また帰って行く。
1:8 すべてのことは物憂く、人は語ることさえできない。目は見て満足することがなく、耳も聞いて満ち足りることがない。
1:9 昔あったものは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。
1:10 「これを見よ。これは新しい」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか前の時代にすでにあったものだ。
1:11 前にあったことは記憶に残っていない。これから後に起こることも、さらに後の時代の人々には記憶されないだろう。

はじめに
 8月5日の礼拝は、6日の広島の原爆の日の前日で、平和のために祈ることについて主の祈りの「御国が来ますように」について黙示録の21章と22章を開いて共に思いを巡らしました。きょうの8日は、9日の長崎の原爆の日の前日です。きょうもまた、戦争と平和について考えたいと願っています。きょう開くことにしたのは『伝道者の書』です。この書は、以前も祈り会で学んだことがありましたが、きょうはまた新しい切り口で学んでみたいと願っています。

新しい物事に興味を示す人間
 きょう『伝道者の書』を開くことにしたのは、人類はどうして原子爆弾という恐ろしい悪魔の兵器を作り出してしまったのか、そのヒントがこの『伝道者の書』にあるように思うからです。
 伝道者は2節で言います。「空の空。すべては空。」 
 伝道者はどうして、こんなにも空しさを感じているのでしょうか。それは、9節と10節に要約されていると思います。

「日の下には新しいものは一つもない。『これを見よ。これは新しい』と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか前の時代にすでにあったものだ。」

 人は新しい物事に興味を示します。年を取ると段々と新しい物事には興味を示さなくなりますが、子供たちは好奇心が旺盛です。一見ボーっとしているようなネコたちでも、近くに動くものがあれば好奇心を示し、子ネコたちは色々な物を遊び道具にして遊びます。人や動物は新しい物事に興味を示すようにできているんですね。これは命を守るためにも必要なことでしょう。新しい事態に直面した時に関心を示さずにボーっとしていたら命を失うかもしれません。
 このように新しい物事に興味を示す性質を備えているなら、毎日が同じことの繰り返しになってしまっていれば、特に知恵がある伝道者のような人は空しさを覚えて当然のことと言えるでしょう。伝道者は言います。4節と5節、

1:4 一つの世代が去り、次の世代が来る。しかし、地はいつまでも変わらない。
1:5 日は昇り、日は沈む。そしてまた、元の昇るところへと急ぐ。

 確かに、伝道者の時代はそうだったのでしょう。「日の下には新しいものは一つもない」と伝道者が感じたとしても無理はないでしょう(実際には緩やかな変化はあったのだろうと思いますが)。

コペルニクス以降は新しいものが生まれ続けている
 しかし、コペルニクスの地動説以降、世界は変わりました。「日は昇り、日は沈む」、つまり太陽が昇り、太陽が沈むのではなく、動いているのは地球だと考えたほうが、天体の運行を上手く説明できることが分かって来ました。もちろん、天動説から地動説への移行が速やかに進んだわけではありません。地動説を主張したガリレオ・ガリレイが宗教裁判に掛けられたことは有名な話です。しかし、コペルニクスの死後100年以上経ってニュートン力学が確立された頃からは、科学技術が急速に発展して行くことになります。伝道者が「日の下には新しいものは一つもない」と言った時代は過去のものとなり、次々と新しいものが発見され、また新しいものが作り出されていきました。
 そうしてニュートンの時代から150年以上が経った19世紀の後半には、様々なことが物理学によって解明され、もはや新しい発見が為されることはないだろうとまで言う研究者もいたそうです。ところが20世紀に新たに誕生した量子力学によって、目には見えない素粒子や原子のことがよく分かるようになり、ウランに中性子を当てると核分裂が起きることが発見されるに至りました。これらは、人間が新しいことを知りたいという欲求に突き動かされて為されて来た事柄です。一つの新しい発見が次々にまた新しい発見を生むことにつながり、ウランの核分裂の発見へとつながりました。このウランの核分裂が発見されたのが1938年です。20世紀のはじめの1900年頃までは、まだ原子の存在は仮説に過ぎず、原子の存在を疑う研究者も少なくなかったそうであり、まして原子の構造などは全く分かっていませんでした。それがわずか30年ほどの間に急速に研究が進んで1932年には中性子が発見されて原子核が陽子と中性子から出来ていることが分かり、また、原子核に中性子を吸わせると原子核が不安定になることが分かり、ついに核分裂の現象が発見されました。そして、核分裂が起きると質量が減って膨大なエネルギーが放出されることもわかり、それからわずか7年で原子爆弾が製造されて広島と長崎に投下されることになりました。

新しい物事への欲求を善用する
 さて、ではこのことを、どう考えたら良いのでしょうか。人間の新しいことを知りたいという欲求を止めることは不可能でしょう。では、どうしたら良いのでしょうか。伝道者の書に戻って、もう少し考えてみたいと思います。7節に、

1:7 川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れる場所に、また帰って行く。

 この7節の二つめの文の「川は流れる場所に、また帰って行く」とは、どういうことでしょうか。何を言っているのか、よくわかりませんね。要するに、伝道者はどうして川は海に流れ込むのに海が満杯になってしまわないのかが分かっていないのです。川からどんどん水が流れ込めば、海の水位はどんどん上がるはずなのに、そうはなっていません。そのしくみが伝道者には分かっていません。しかし、現代の私たちには分かっています。海から大量の水蒸気が発生して空気中に取り込まれます。そして湿った空気は風によって陸地に運ばれ、山に多くの雨を降らせます。山では上昇気流が発生しますから雲ができやすく雨もまた降りやすくなります。そうして山に降った雨水は川に流れ込んで再び海に運ばれて行きます。大雑把に言えば、このように川の水は山と海との間を循環しています。そうして、現代では気象衛星を使って宇宙から雲の様子を観測できるようにもなりました。このことで台風などの気象災害にもある程度備えることができるようになりました。このように、新しい知識と技術を善用するなら、私たちの生活を安全にし、また便利にすることができます。しかし原爆のように悪用するなら、悲劇をもたらします。

神と歩むべき研究者
 ですから、新しい物事の研究に取り組む者ほど、神様と共に歩む必要があるでしょう。そうは言っても神様と共に歩んでいる研究者もいる一方で、多くの研究者は信仰を持っていないというのもまた事実です。
 では、どうしたら良いのでしょうか。私は、人間の新しい物事を知りたいという欲求を、もっともっと聖書の探求に振り向けるべきだと考えます。聖書からはまだ新しく汲み取ることができる新しい物事がたくさん含まれています。きょうは具体的な話は控えますが、従来にはない時間観、そして永遠観、さらには三位一体論と永遠観とがどう絡んで来るかなど、興味深いテーマがいくつもあります。これらのことの探求のために新しい事を知りたいという欲求を振り向ければ良いのだと思います。そうして新しいことが分かって来るなら、今まで聖書に関心を示さなかった人々も関心を示すようになり、聖書の理解がもっともっと深まって行くことが期待できます。
 先ほども言いましたが、19世紀の終わり頃には、この世界の物理的な現象は、その頃までに確立された物理学ですべて説明でき、新しい発見など無いだろうと考えていた研究者もいたということです。しかし、その予想に反してアインシュタインが相対性理論を唱え、さらに量子力学が誕生して19世紀までの物理学は古典物理学と呼ばれるようになりました。
 聖書の世界にも新しい発見など無いと思っている人も多いかもしれませんが、ぜんぜんそんなことはありません。人々が聖書に見向きもしないのは古臭い書物だと思われているからで、新しい発見の宝庫であることが分かれば、もっと多くの人々が聖書と向き合うようになるでしょう。私はそう信じますから、これからも新しい探求を続けて行きたいと思います。そうして聖書の魅力を多くの方々と分かち合って行きたいと願っています。そういうわけで、きょうは伝道者の書を新しい切り口で読んでみました。

おわりに
 最後に、きょう話したことを簡単に復習したいと思います。
 伝道者の書の伝道者は、「日の下に新しいものは一つもない」と言い、それを空しく感じて「空の空」と言っています。しかし「日は昇り、日は沈む」のではないことが分かってからは、次々と新しいことが発見され、また新しい技術が生み出されて、ついに原子爆弾という悪魔の兵器を作り出してしまいました。人が新しいことを発見したい欲求は止められませんから、それが悪用ではなくて善用されるよう、新しい物事の発見に従事する人は神様と共に歩まなければなりません。しかし聖書に新しい発見が無いなら、新しいことを追い求める人々が聖書のほうを向くことはほとんどないでしょう。
 聖書にはまだまだ分からないことが多く、新しい発見の宝庫です。この聖書の魅力をお伝えして行きたいと思います。それが世界が平和に向かって行くためには必要だと思います。
 伝道者は新しいものは一つもないと言いましたが、現代においてはまったく違います。新しい物事が次々と発見され、また生み出されています。そして聖書もまた大きな可能性を秘めていることを覚えたいと思います。
 お祈りいたしましょう。

1:9 昔あったものは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。
1:10 「これを見よ。これは新しい」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか前の時代にすでにあったものだ。
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