風のような神の霊(2013.10.2 祈り会)

2013-10-03 06:44:42 | 祈り会メッセージ
2013年10月2日祈り会メッセージ
『風のような神の霊』
【エゼキエル37:1~14】

はじめに
 先週はエゼキエルの47章を開きました。
 章の順番が前後しますが、きょうは37章です。干からびた骨に肉が生じ、息が吹き込まれて生き返ったという、ここもまた有名な箇所です。これらの骨は、11節にあるようにイスラエルの全家です。イスラエルとユダはアッシリアとバビロニアによって滅ぼされて捕囚として引かれて行き、イスラエルは干からびた骨のようになってしまいました。そのイスラエルを生き返らせると主はエゼキエルに仰せられました。
 きょうのこの場面は、神の霊とはどのようなものか、についてのイメージを思い浮かべるのに、非常に良いように思いますので、きょうは是非、神の霊とはどのようなものか、について分かち合いたいと思います。

1.息と風と霊
 まず、9節と10節を見ましょう。

37:9 そのとき、主は仰せられた。「息に預言せよ。人の子よ。預言してその息に言え。神である主はこう仰せられる。息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。」
37:10 私が命じられたとおりに預言すると、息が彼らの中に入った。そして彼らは生き返り、自分の足で立ち上がった。非常に多くの集団であった。

 9節に、「息よ。四方から吹いて来い」とあります。「息」のヘブル語の「ルーアハ」というのは、「風」とも「霊」とも訳すことができることばです。私は、この「息よ。四方から吹いて来い」を読んだ時に、ヨハネの福音書の3章でイエスがニコデモに聖霊について話している箇所を思い出しました。そこも、ご一緒に見てみましょう。ヨハネの福音書3章8節です。ご一緒に読みましょう。

3:8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。

 この3章8節は、イエスがニコデモに聖霊のことを説明して言ったことばです。ここの「風」に使われているギリシャ語は、「プニューマ」で、これは「霊」とも訳すことができることばです。実際、この節の2番目の文の「御霊によって生まれる者」の「御霊」にも「プニューマ」が使われています。1番目の「プニューマ」を「風」と訳し、2番目の「プニューマ」を「御霊」と訳しているのは、文脈によって、そのように訳したほうが良いと判断されるから、そのように訳しているのですね。
 私は以前から、このヨハネ3章8節を、もっと良く理解したいと願っていましたが、今回、エゼキエル37章の「四方から吹いて来る息」と、それからまた私が理工系で培った知識とを併せることで、以前より神の霊のイメージが鮮明になって来たように感じています。きょうは、是非この私がつかんだ神の霊のイメージをお伝えし、分かち合いたいと思います。

2.波のような神の霊
 まず、風とはどのようなものか、について考えましょう。私の手を見てください。
 このようにして、顔の前で手を団扇のように仰ぐと、風が起こるのが分かります。これが風です。この風は、離れた所から吹いて来るものではなくて、私の手の平で起こるものです。手の平を動かすことで、空気の移動が起こります。空気に部分的に密度の濃い部分が出来て、それが移動して行きます。これは、波のような物であると考えて良いと思います。静かな水面を手の平でバシャッと叩くと波が起こり、波が移動して行きます。この移動して行く波と、空気の中を移動して行く風は、横波と縦波の違いはありますが、同じような物です(横波と縦波の説明)。
 波が伝わって行くには、このように水や空気が必要です。このように水や空気など波を伝える物質を媒質と言います。波が伝わって行くためには、まず水や空気などの媒質が遍く広がっている必要があります。
 神の霊も同じなのですね。神は広く遍く存在しているお方です。神は遍在する、と言いますね。遍く存在する「遍在」と、片寄って存在する「偏在」と、読み方が同じなので、間違えやすいですが、神は遍く存在する「偏在」するお方です。 そして、聖霊が注がれる時というのは、例えるなら、低いレベルで遍在していた水に波が立って、大きな波となって人にザブーンと掛かる、と言うことができるのではないでしょうか。

3.神の声を聞く心の鼓膜
 ヨハネ3章8節に、「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞く」とありますから、ここでは、聖霊を「音の波」に例えて見ることにします。
 音の波というのは、空気を縦波によって振動させて進んで行く粗密波です。そして、私たちは、この音の波の音波を耳の鼓膜によって受信します。鼓膜は音波の振動を拾って脳に伝えます。ですから、鼓膜は振動しやすいように出来ています。もし、この鼓膜が何かでコチコチに固められてしまっていたら、音を拾うことは困難になります。
 このことは、そのまま神の声に置き換えることができるでしょう。たとえ神の声の波が私たちの心の鼓膜に到達しても、私たちの鼓膜がコチコチになっていたら、神の声を受信することはできません。これが、心がかたくなな状態です。
 この、神の声を聞くための鼓膜は、子供の頃は比較的軟らかいのだと思います。ですから、子供の心の鼓膜は神の声が聞きやすい状態にあります。しかし、子供のうちは、神の声を聞いても、それが何を意味するのか、子供はなかなか理解できません。そうこうするうちに、成長するにしたがって、神の声を聞くための鼓膜は、段々硬くなって行き、ついには聞こえなくなってしまいます。大人になり、様々な処世術を身に付けて行くうちに、心がかたくなになり、神の声は聞こえなくなってしまいます。
 しかし、この鼓膜を覆っているコチコチは、例えは悪いかもしれませんが、堤防の決壊のようなもので、壊れることがあります。アリの一穴という言い方がありますが、堤防もアリが開けた穴が原因で決壊することも、あるのだそうですね。私たちの神の声を聞く鼓膜も、例えば愛する人が病気や事故でなくなったり、ショッキングなことがあったりすると、自分を堅く守っていた頑なさに小さなヒビが入ることがあります。そして、その小さなヒビ割れを通して、神の声が微かに聞こえるようになります。この微かな神が聞こえた時に教会に行って賛美歌を聞いたり、牧師のメッセージを聞くと、さらに、その声に注意を向けるようになり、ヒビ割れはさらに広がって行きます。そして、メタノイア、日本語では悔い改めと訳されますが、悔い改めると、神が大きな波を送って下さり、堤防を打ち砕き、鼓膜をコチコチに固めていたものが、取り去られるのですね。そして、神の霊をもっと敏感に感じることができるようになります。こうしてヨハネ3章8節にあるように、御霊によって新しく生まれた者となります。鼓膜を覆っていたコチコチが取り去られることで、神の声を非常に良く聞くことができるようになります。

4.心の鼓膜を硬くしようとする悪魔
 しかし、鼓膜が軟らかくて敏感な状態はそんなに長続きしません。悪魔が放ってはおかないからです。悪魔は、軟らかくなった鼓膜を再び硬くしようとします。何に例えたら良いでしょうか。例えば薄くスライスした食パンに例えてみましょう。切ったばかりの食パンはとても軟らかいですが、放っておくと乾燥してコチコチになってしまいます。それはまるで、干からびた骨のようです。神の声を聞く鼓膜が干からびてしまっては、神の声は聞こえてきません。しかし、礼拝に出席して、いつも神の霊の注ぎを受けていれば、鼓膜がコチコチになることを防ぐことができます。それゆえ悪魔は、あらゆる手を使って、御霊によって新しく生まれた人の霊性を干からびたものにしようと、誘惑して礼拝に出席することを妨げます。また、たとえ誘惑に打ち勝って礼拝に出席したとしても、まだ油断はできません。悪魔は礼拝に出席する者の心をざわつかせ、落ち着いた状態で礼拝の時を持つことができないように仕向けます。私たちが礼拝の前に静まって心を整えるのは、神の声が良く聞こえるようにするためです。心を静めることなく、ざわついた心のままでは、神が何か私たちの耳元でささやいても、神が何を語っているのか、わからなくなってしまいます。これが、悪魔が狙っていることです。
 リバイバルが起きる時というのは、神が大きな風を起こす時です。リバイバルが起きると少々心がざわついていても、神の声が聞こえます。しかし、神はそんなに頻繁にリバイバルの風を起こしては下さいません。神がいつもリバイバルを起こして下さるなら、私たちは心を整える必要がありません。それは良いことではありませんから、神は滅多にリバイバルの風を起こしては下さいません。ですから、私たちは、いつも心を整えて、神の声を敏感に聞くことができる者でありたいと思います。

おわりに
 私たちは新会堂を祈り求めていますが、神さまからのゴーサインは、まだ出ているとは私は感じていません。時が満ちたら神さまはゴーサインを出して下さると思いますが、まだ私は聞いたとは感じていません。皆さんはどうでしょうか。私は、もう少し多くの教会員が神さまのゴーサインが聞くことが出来る状態になるまで、ゴーサインを出すのを待っておられるように思います。まだその状態になっていないので、時が満ちていないのだと思います。
 私たちの教会の多くの方々の心の鼓膜が、干からびたパンのようではなく、神の霊がいつも注がれている瑞々しい状態にあり、神さまのゴーサインをさやかに聞くことができる私たちでありたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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