インマヌエル沼津キリスト教会

Immanuel Numazu Christ Church
沼津市今沢34番地

宇宙スケールの創造主に心を向ける(2017.10.1 礼拝)

2017-10-03 09:51:40 | 礼拝メッセージ
2017年10月1日礼拝メッセージ
『宇宙スケールの創造主に心を向ける』
【使徒17:26~34】

はじめに
 使徒17章の学びを続けます。先週は、パウロがアテネの町に入り、そこに偶像がたくさんあるのを見て心に憤りを感じたところからの箇所を見ました。そうしてパウロはアテネのアレオパゴスで知識人たちに向かって話し始めました。この話の冒頭でパウロは、神は万物を創造した造り主であることを述べ、この神は人間が作った宮の中などには住まないことを話しました。

17:24 この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。

 先週はここから旧約聖書も参照して、ダビデの子のソロモンが神殿を建設した時に、同じようなことを語った箇所をご一緒に見ました。ソロモンは神殿を建設した時のまだ若かった頃には、万物の創造主であるスケールの大きな神にしっかりと心を向けていました。しかし、晩年のソロモンは外国の神々を礼拝する妻たちの影響で、彼自身もまた外国の神々に心を向け、偶像を礼拝するようになってしまっていました。偶像の神々は人間スケールの小さな神々です。
 霊的な目が閉じられてしまうと、心を宇宙スケールの大きな神に向けることができなくなります。きょうは、このことについて、さらにもう少し考えてみたいと思います。

霊的な目が開かれていない人々
 使徒17章の26節をお読みします。

17:26 神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。

 このように、神は天地を創造しただけでなく、人をも造って命をお与えになり、地の全面に住まわせました。そして神様は宇宙スケールの大きなお方で宇宙空間の中に遍く存在していますから、当然のこととして地の全面にも遍く存在しています。
 このように広く遍く存在する神に心を向けるには、霊的な目が開かれている必要があるのだと思います。霊的な目が閉ざされていると心は大きな方向には向いて行きません。これはクリスチャンであってもそうだと言えるでしょう。
 例えばアメリカの大統領のトランプ氏はクリスチャンであると自称しているそうですが、霊的な目が開かれていないのは明らかです。トランプ氏はアメリカの国益をあまりにも優先させすぎています。どの国のリーダーも自分の国の国益を優先させるのは当然のことですが、それと同時に広く世界のことも考えることが求められます。トランプ氏にはそれが欠けていると言わざるを得ません。例えばトランプ氏は地球温暖化防止の世界的枠組みであるパリ協定から離脱することを表明しました。大気中の二酸化炭素の濃度が増加すれば地球の温暖化が進むことは今や科学的にもはっきりと示されていますから、アメリカの離脱は非常に憂慮すべき事態です。
 温暖化の影響というと、昔よく言われていたのは、南極の氷が溶けて海水面が上がり、海抜の低い太平洋の島国が水没してしまうというような話でしたね。これは太平洋の島国にとっては非常に深刻な問題ですが、日本にいると今ひとつピンと来ないという面もあったと思います。しかし、近年は温暖化によって台風が大型化する傾向にあることを私たちはよく知っています。これは大変に恐ろしいことです。また台風だけでなく集中豪雨の被害も昔より頻繁に発生し、しかも被害が大きくなる傾向にあることも私たちは経験しています。これも温暖化によって海水の温度が上昇して、蒸発する水蒸気の量が増えていることが原因です。アメリカの大統領は国内にいても世界の国々のリーダーたちと会談する機会が頻繁にありますし、自身も国外に出て首脳外交をする機会がたくさんあります。それなのに、世界のことに心が十分に向かないのは何故でしょうか。それはやはり、霊的な目が閉じられているからだと言えるでしょう。
 日本の首相もそうです。日本の首相の安倍さんは頻繁に海外へ行きます。これまでに、かなり多くの国々を訪問しました。そのように頻繁に国外へ出るなら、もっと世界に心が向いても良いのではないかと思うのですが、今回の衆議院解散を見ると、まったくの自己都合のようにしか見えません。それもやはり、霊的な目が開かれていないからでしょう。
 このように、クリスチャンであってもなくても霊的な目が開かれていないなら、心は狭い方ばかりを向きます。これでは宇宙スケールの大きな神に心を向けることができないのは当然のことです。

一番肝心なのは霊的な目が開かれること
 さて、ここで一つの疑問が湧きます。クリスチャンであっても霊的な目が閉じている人は果たして救われているのか?という疑問です。ある人が救われて滅びを免れるのか、救われずに滅びに入るのかは神様が決めることですから、私たちにはわかりません。もしかしたら神様はものすごく気前の良いお方で、霊的な目が閉じたままのクリスチャンでも救って下さるのかもしれません。しかし、それは私たちにはわかりません。私たちに確かなことは、霊的な目が開かれている人なら確実に救われるということです。霊的な目が開かれている人は御父および御子イエス・キリストとの交わり(Ⅰヨハネ1:3)の中に既に入れられていますから、それはつまり救われているということです。
 牧師としての私の任務は、このように霊的な目が開かれるように人を導くことです。皆さんご承知のように、私はあまり個人的な罪の話はしません。旧約聖書に記されているイスラエルの民族の罪の話はしますが、私たち自身の罪についての話はあまりしません。それは、あまり「罪、罪」と言っていると心が狭い方向に向かって行ってしまうことを心配するからです。
 そして私は十字架の話もそんなにはしません。イエスさまが私の罪のために十字架に掛かって下さったと自覚することはとても大切なことです。けれども、それを強調し過ぎると、思いが十字架までで止まってしまいます。そこで止まってしまっては霊的な目は開かれないかもしれません。一番肝心な事は、そこから先です。十字架で死んだイエスさまは三日目に復活して天に昇り、御父のもとから聖霊を遣わします。週報のp.3に載せたヨハネ15:26でイエスさまがおっしゃった通りです。

ヨハネ15:26 わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。

 イエスさまの復活を信じて聖霊を受けるなら、霊的な目が開かれて御父および御子・イエスキリストとの交わりの中に入れられますから、確実に救われます。しかし十字架による罪の赦しの段階で止まってしまうなら霊的な目が開かれるかどうかは、よくわかりません。ですからイエスさまの復活を信じて霊的な目が開かれることが何よりも大切であると私は考えます。そうして霊的な目が開かれて宇宙スケールの神に心を向けるなら、心は自由を獲得して、平安が得られます。この世で生きていると様々な俗事に心を奪われがちになりますが、心が自由を獲得するなら、そのような世の中であっても心は平安でいられます。私は、この素晴らしい平安を是非とも多くの方々と分かち合いたいと願っています。

復活を信じなかったアテネの人
 パウロの説教も、そのような方向に進んで行きます。使徒の働き17章に戻ります。少し飛ばして、

17:29 そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。

 人間スケールの小さな偶像に心を向けてはいけません。30節、

17:30 神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。

 悔い改めるとは、心の方向を転換するということです。人間スケールの小さな偶像から宇宙スケールの大きな神に心の方向転換をしなければなりません。31節、

17:31 なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」

 そうして、イエス・キリストが復活したことを信じなければなりません。しかし、アテネのアレオパゴスの人々のほとんどは信じませんでした。32節、

17:32 死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、「このことについては、またいつか聞くことにしよう」と言った。

 残念ながら、彼らの霊的な目は閉ざされたままでした。33節、

17:33 こうして、パウロは彼らの中から出て行った。

 しかし34節、

17:34 しかし、彼につき従って信仰に入った人たちもいた。それは、アレオパゴスの裁判官デオヌシオ、ダマリスという女、その他の人々であった。

 信じない人々ばかりではなくて、信仰に入った人々も与えられたことは幸いなことでした。これらの人々は聖霊を受けて霊的な目が開かれたことでしょう。そして、このことはパウロにとって大きな励みになったことでしょう。

おわりに
 信仰の仲間が増えることは、とても大きな励みになります。私たちも、この地域で、信仰の仲間が増えることを願っています。霊的な目が開かれて、大きな神様に心を向けることができるようになるなら、心は自由を獲得して平安が得られます。この素晴らしい恵みを、地域の方々にお伝えして行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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