インマヌエル沼津キリスト教会

Immanuel Numazu Christ Church
沼津市今沢34番地

新年の聖句の証し(2019.1.9 祈り会)

2019-01-10 11:23:23 | 祈り会メッセージ
2019年1月9日祈り会メッセージ
『新年の聖句の証し』
【エゼキエル1:25~28】

1:25 彼らの頭上にある大空から声があった。彼らが止まったとき、その翼は垂れた。
1:26 彼らの頭上、大空のはるか上の方には、サファイアのように見える王座に似たものがあり、その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たものがあった。
1:27 私が見ると、その腰と見えるところから上の方は、その中と周りが琥珀のきらめきのように輝き、火のように見えた。腰と見えるところから下の方に、私は火のようなものを見た。その方の周りには輝きがあった。
1:28 その方の周りにある輝きは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、まさに【主】の栄光の姿のようであった。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。

はじめに
 1月6日の礼拝では聖餐式の恵みに与ることができて感謝でした。私が沼津に来てから新年を6回迎えましたが、この6年間で新年に聖餐式を行ったのは初めてでしたね。やはり新年早々に他から教職の先生に来ていただいて聖餐式を執り行っていただくという感じには、なかなかなりませんから、私が昨年の3月に教職に任じられて聖餐式を執行できるようになったことは感謝だと思いました。

厳粛な気持ちになった時
 そのことは、とりわけ朝の礼拝の始まる前にパンとぶどう液の準備をしている時に感じました。お祈りをしてパンとぶどう液の準備をする時には非常に厳粛な気持ちになります。それは、どの季節であろうと変わりません。しかし今回初めて新しい年が始まってすぐの聖餐の準備をしていて、新年の聖餐の準備はまた格別に厳粛な気持ちになるなと感じました。
 そして、以前にも同じような厳粛な心持ちで似たようなことをしていた時のことを思い出しました。それは宗教的な儀式ではなくて、実験室で電子顕微鏡観察用の試料を週に何度も作っていた時のことです。
 実験では薄くした金属片をカミソリで切り出して観察していました。切り出す金属片の大きさは1mm×2mm程度です。大きさはぜんぜん違いますが、聖餐式用のパンを包丁で切る時に、金属片をカミソリで切っていた時のことを思い出しました。また、金属片を切り出す前には小さなシャーレに洗浄用のアルコール液を注いできれいに洗っていました。そのことを、ぶどう液を小さなカップに注いでいる時に思い出しました。どうして、聖餐式の準備の時に、実験室での作業のことを思い出したかというと、電子顕微鏡用の試料を作る作業も、心を整えて厳粛な気持ちで行う必要があるからです。
 ここで、その顕微鏡観察用の試料作りについて少し説明させていただきます。電子顕微鏡にも走査型電子顕微鏡のように試料の表面を観察するタイプと、透過型電子顕微鏡のように試料の内部を観察するタイプがあります。私が使っていたのは後者の透過型で、電子が試料の中を透過していくタイプです。ですから試料があまり厚いと電子が透過しません。そのために試料をペラペラに薄くする必要があります。薄くする方法はいろいろありますが、私が主に用いていたのは電解研磨です。硫酸や酢酸などの化学薬品に金属の試料を浸して電気を流すと金属が薬品の中に溶け出して薄くなるというものです。使う薬品は試料によって異なります。私が主に担当していたのはアルミニウムとニッケルでした。アメリカの研究所にいた時には銅の電解研磨もしていました。難しいのは電圧と薬品の温度のコントロールです。電圧と温度が高すぎると金属の試料はあっという間に溶けてしまって無くなってしまいます。かと言って電圧と温度を低くしてゆっくり研磨すれば良いというわけでもありません。金属の表面には酸化膜が付いていますから、電圧と温度が低すぎると酸化膜がきれいに取れてくれなくて、電子顕微鏡観察に適さないからです。
 ですから研究室に配属されたばかりの大学4年生の頃は、電解研磨がなかなか上手くできなくて苦労しました。また、電解研磨が上手くできても1mm×2mm程度の小さな切片に切り出して観察用のメッシュに置く作業を上手に行う必要があります。何しろペラペラに薄いですから、両手に持ったピンセットの手元が狂うとすぐにクシャクシャになってしまいます。これも4年生の時には苦労しました。手がちょっと震えただけで、試料はクシャクシャになってしまいます。大学院生になった頃には落ち着いてできるようになり、手の震えも止まるようになりました。もう一つ、試料作りで神経を使うのが試料のアルコール洗浄です。アルコールにゴミが混じっていると試料が部分的に見えなくなってしまいます。倍率で良く使っていたのは5万倍と10万倍でした。10万倍で観察すると小さなゴミでも巨大なゴミになります。そういうわけで、電子顕微鏡観察用の試料作りは、とても気を使う繊細な作業でした。
 ただし、まだ何の実験操作も加えていない試料の場合は電子顕微鏡の試料にする際に失敗してもまた何度でも作り直すことができます。金属や薬品が少し無駄になる程度です。しかし、私が携わっていた原子炉を使った中性子照射実験などの試料の電解研磨は失敗するわけに行きません。研磨する時の温度が高すぎて試料が全部溶け出してしまったとか、カミソリで切り出す時にクシャクシャにしてしまったとか、アルコール洗浄に失敗して試料がゴミだらけになってしまったからと言って、もう一回原子炉を動かしてもらって中性子照射をしてもらうというわけにはいきません。すべてが一回限りの実験です。
 そういう絶対に失敗できない試料作りには、本当に心を落ち着かせて厳粛な心持ちで臨む必要があります。そういう日々を過ごしていた時のことを図らずも聖餐式の準備をしている時に思い出しました。そして、電子顕微鏡の観察もまた厳粛な気持ちで臨む必要があります。電子顕微鏡の調整が上手くできていないと、原子レベルの細かい観察ができないからです。心が整っていないと細かい観察はできません。そのこともまた、今回思い出しました。

神聖な雰囲気が漂う入試会場
 それから今日はもう一つ、私が大学に勤めている時に経験していた厳粛な雰囲気の場について証したいと思います。それはセンター試験などの大学入試の試験会場です。大学の教員はだいたい毎年試験監督を務めます。その試験会場にはやはり独特の厳粛な雰囲気が漂います。特に入試の一日目の最初の科目では非常に張り詰めた雰囲気になります。試験も二日目になれば、だいぶ柔らかい雰囲気になりますが、一日目の最初の科目は非常に厳粛な雰囲気が漂います。特に試験問題と解答用紙を配り終えてから試験が始まるまでの数分間は神聖な雰囲気すら感じます。受験生の将来がこの試験で決まりますから、そこに神様の臨在が強く現れているのかもしれません。
 こういう神聖な雰囲気が味わえる試験監督の業務が私は嫌いではありませんでした。試験監督は大変だし、その間は仕事もできないので嫌いだという先生が多かったですが、私は神聖な雰囲気が味わえる試験監督が嫌いではなく、好きだったと言っても良いかもしれません。もしかしたら、そういう点も牧師に適していて、召し出されたのかもしれません。電子顕微鏡用の試料作りと電子顕微鏡観察、そして入学試験の会場で味わう厳粛な雰囲気に慣れ親しんでいたことが牧師に召し出されることの要因の一つになっていたかもしれません。そして私が中古の住宅を会堂にするのではなく、専用の会堂を建てることにこだわったのも、そういう要因があったのかもしれないなと思いました。

新年に与えられたエゼキエル書の聖句

 さて前置きが長くなりましたが、ここからようやく、みことばの話に入って行きます。と言っても、きょうはすべて私のお証です。6日の新年礼拝で、1月2日に防潮堤の上から虹を見た話をしました。虹を見ていた時、私はとても厳粛な雰囲気に包まれていました。聖餐式の準備、電子顕微鏡の試料作り、電子顕微鏡観察、入学試験の会場で厳粛な心持ちになっていた話を長々と前置きとして話したのは、1月2日に虹を見ていた時の私もまた、厳粛な心持ちであったことを証ししたかったからです。そうして私に個人的に与えられた新年の聖句が、エゼキエル1章の28節です。

1:28 その方の周りにある輝きは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、まさに【主】の栄光の姿のようであった。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。

 というわけで、きょうのこの時間はすべて私のお証になってしまいますが、それだと申し訳ありませんから、学びの要素も少しだけ入れるようにします。
 エゼキエルが、いつどこでこの光景を目にしたのか、それは1章の始めのほうに書いてあります。

1:1 第三十年の第四の月の五日、私がケバル川のほとりで捕囚の民とともにいたとき、天が開け、私は神々しい幻を見た。
1:2 それはエホヤキン王が捕囚となってから五年目の時であった。その月の五日に、
1:3 カルデア人の地のケバル川のほとりで、ブジの子、祭司エゼキエルに【主】のことばが確かに臨んだ。その場所で【主】の御手が彼の上にあった。

 この時、エゼキエルはバビロンに捕囚として引かれて来たエルサレムの民と共にいました。ただし、この時のエルサレムはまだ滅亡までには至っていませんでした。2節にエホヤキン王が捕囚となってから5年目とあることから、それが分かります。この前後の出来事を列王記第二の記事で確認しておきたいと思います。列王記第二24章8節を見て下さい(旧約聖書p.699)。

24:8 エホヤキンは十八歳で王となり、エルサレムで三か月間、王であった。

とありますから、エホヤキン王は三ヶ月間在位しただけで、バビロンに引かれて行きました。13節から15節に次のように記されています。

24:13 バビロンの王は、【主】の宮の財宝と王宮の財宝をことごとく運び出し、【主】の神殿の中にあるイスラエルの王ソロモンが作ったすべての金の用具を切り裂いた。【主】が告げられたとおりであった。
24:14 彼はエルサレムのすべて、すなわち、すべての高官、すべての有力者一万人、それに職人や鍛冶もみな、捕囚として捕らえ移した。貧しい民衆のほかは残されなかった。
24:15 彼はさらに、エホヤキンをバビロンへ引いて行き、王の母、王の妻たち、その宦官たち、この国のおもだった人々を、捕囚としてエルサレムからバビロンへ行かせた。

 そうして、その年のうちにエホヤキンに代わってゼデキヤが王になりました。そうして25章1節と2節を見ると、

25:1 ゼデキヤの治世の第九年、第十の月の十日に、バビロンの王ネブカドネツァルは、その全軍勢を率いてエルサレムを攻めに来て、これに対して陣を敷き、周囲に塁を築いた。
25:2 こうして都はゼデキヤ王の第十一年まで包囲されていた。

とありますから、エルサレムが滅亡したのはゼデキヤ王の11年です。8節から10節までをお読みします。

25:8 第五の月の七日、バビロンの王ネブカドネツァル王の第十九年のこと、バビロンの王の家来、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、
25:9 【主】の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。
25:10 親衛隊の長と一緒にいたカルデアの全軍勢は、エルサレムを取り巻く城壁を打ち壊した。

 この焼かれた主の宮がエズラ記の時代に再建され、打ち壊された城壁がネヘミヤ記の時代に再建されたのですね。
 さてエゼキエル1章28節に戻ります。

1:28 その方の周りにある輝きは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、まさに【主】の栄光の姿のようであった。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。

 この時、エルサレムはまだ滅亡していませんでした。この段階で主はエゼキエルを召し出して言いました。2章の3節と4節、

2:3 その方は私に言われた。「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの民に、わたしに反抗する国民に遣わす。彼らもその先祖たちも、今日までわたしに背いてきた。
2:4 彼らは厚かましく、頑なである。わたしはあなたを彼らに遣わす。あなたは彼らに『【神】である主はこう言われる』と言え。

 当時のエルサレムと現代の日本はもちろん全然違います。しかし人々が4節にあるように「厚かましく、頑なである」点においては、あまり変わらないようにも思います。
 それゆえ1月2日に虹を見て私は、これからも聖書のことばを宣べ伝えるように主から励ましを受けているように感じています。幹事の方が配って下さった「恵みの分かち合い」の紙には、このことを書こうと思います。
 今年も皆さんと、恵みの分かち合いができることを感謝に思います。
 お祈りいたしましょう。

1:28 その方の周りにある輝きは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、まさに【主】の栄光の姿のようであった。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。
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