平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

托された働き(2015.11.11 祈り会)

2015-11-11 22:57:32 | 祈り会メッセージ
2015年11月11日祈り会メッセージ
『託された働き』
【使徒20:31~36】

はじめに
 きょうは廣瀬善子先生と共に祈祷会を守ることができますことを、心より感謝に思います。昨日の夕方、A姉から今日の祈祷会に善子先生が出席するかもしれないとメールで連絡がありました。それで今日のメッセージは、善子先生が沼津に来られたことに因んだものにできないかと思い巡らしたところ、いまご一緒に読んだ使徒20章が示されました。
 ちょうど私たちは礼拝でも、ここ2ヶ月ほどはローマ人への手紙を学んでいました。パウロがローマ人の手紙を書いたのは、使徒20章の3節に記されている時期です。この20章3節の少し前から見て行くことにします。

ギリシヤからエルサレムに向かったパウロ
 この時、パウロは第3次伝道旅行の中にあり、19章ではアジヤのエペソにいました。先ほどご一緒に読んだ20章31節で、パウロはエペソの教会の長老たちを呼んで話をしていました。この31節でパウロは「私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください」とエペソの教会の長老たちに言いました。パウロは以前エペソに三年間滞在していました。そのエペソでの三年間のことが使徒19章に書いてあります。一方、廣瀬先生方は三年の十倍の三十年間、この今沢の地で教会員の一人一人を訓戒し続けて下さいました。そして私たちは、新たに土地を購入して、これからもずっと今沢で教会のご奉仕を続けて行くことになりました。それは使徒20章でパウロの話を聞いているエペソの教会の長老たちが、これからもずっとエペソの教会で奉仕を続けて行くのと同じです。そんなわけで、きょうの聖書箇所が示されました。
 20章の始めの方を見ておきましょう。1節をお読みします。

20:1 騒ぎが治まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げて、マケドニヤへ向かって出発した。

 19章のエペソでの騒ぎが治まると、パウロはアジヤを離れてヨーロッパのマケドニヤに向かいました。そして2節、

20:2 そして、その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、ギリシヤに来た。

 ギリシヤにはアテネ、コリント、ケンクレヤの町があります。3節、

20:3 パウロはここで三か月を過ごしたが、そこからシリヤに向けて船出しようというときに、彼に対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにした。

 このギリシヤでの三ヶ月の滞在中にパウロはローマ人への手紙を書きました。それは、パウロがこの手紙をケンクレヤの女性執事のフィベに託したことからも分かります。そうしてパウロ自身はエルサレムに向かうことにしました。パウロはローマにも行くことを望んでいましたが、この時は手紙をケンクレヤのフィベに託して、パウロ自身はこのヨーロッパの地で捧げられた、エルサレムの貧しい人々の支援のための献金を持ってエルサレムに船で向かうことにしました。しかし、陰謀があったために直接エルサレム方面に行くことをあきらめて、来た道中を引き返してマケドニヤを経て帰ることにしました。

パウロの事情
 後ろの地図で地理を確認しておきましょう。第三次伝道旅行の地図を見て下さい。いま、使徒20章3節の段階でパウロはケンクレヤにいます。ケンクレヤはギリシヤのコリントのすぐ南側にあります。そして、この地図でエペソの位置も確認しておきたいと思います。エペソはコリントと同じぐらいの緯度にありますから、コリントからちょうど東の方向にあります。そしてエペソの少し南にミレトという港町があります。きょうの聖書箇所では、パウロはこのミレトにいます。ギリシヤからマケドニヤを通ってからエルサレムに向かう途中、エペソには寄らないで、ミレトに寄り、このミレトの町にエペソの教会の長老たちを呼んで話をしました。パウロとしてはギリシヤから直接エルサレムに行くつもりだったのが、マケドニヤを経由したので時間が掛かってしまっていました。その上、エペソまで寄っていたら、ますます時間が掛かってしまいます。使徒の働き20章16節には、次のように書いてあります。

20:16 それはパウロが、アジヤで時間を取られないようにと、エペソには寄港しないで行くことに決めていたからである。彼は、できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたい、と旅路を急いでいたのである。

 エルサレムへ行く目的は、先ほども言いましたが、貧しい人の支援のための献金を持参することでした。ローマ人への手紙を見て確認しておきましょう。新約聖書のp.314です。先ず16章の1節と2節を見て、パウロがローマ人への手紙を女性執事のフィベに託したことを確認しておきましょう。16章1節と2節、

16:1 ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します。
16:2 どうぞ、聖徒にふさわしいしかたで、主にあってこの人を歓迎し、あなたがたの助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。

 そして、パウロ自身もローマに行くことを希望していることが同じページの15章の23節と24節に書いてあります。ですが、25節、

15:25 ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。

 そして、26節と27節、

15:26 それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金(きょきん)することにしたからです。
15:27 彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。

 パウロは、こうして異邦人もユダヤ人も、共に主にあって一つになることを望んでいました。この大切な役目のためにパウロはローマには行かずにエルサレムに向かい、そして、その途中でミレトに寄り、エペソの教会の長老たちにミレトまで来てもらって、話をしました。

後を託されたエペソと私たちの教会
 もう一度、20章の31節から読みます。31と32節を交代で読みましょう。

20:31 ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。
20:32 いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。

 廣瀬邦男先生と善子先生が、30年間ご奉仕して来たこの今沢の地で、私たちがこれからもご奉仕を続けることができることを私は本当に感謝に思っています。1年前の今頃の段階では、次の会堂をどこに建てることになるのか、全くわかりませんでした。沼津だけでなく富士市という案も勉強会では出ていました。また、隣の土地の一部を通路分だけ購入するという案もありましたが、単なる案であって現実味はありませんでした。
 それが今や土地の購入の仮契約が完了して、設計の担当者も決まり、いよいよ新しい礼拝堂の設計に取り掛かる段階まで来ました。きょう、このことを前任の廣瀬善子先生に直接ご報告できますことを心から感謝に思い、御名を崇めています。主は本当に素晴らしいお方だと思います。この素晴らしい主に感謝しつつ、これからも私たちは、この今沢の地で、廣瀬邦男先生・善子先生から託された働きを続けて行きたいと思います。
 パウロは32節で、エペソの長老たちに

 20:32 いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。

と言いました。そして私たちも廣瀬先生方から同じ言葉をいただいていることを覚えたいと思います。

おわりに
 最後に34節から36節までを交代で読んでメッセージを終わります。36節は、ご一緒に読みます。

20:34 あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。
20:35 このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」
20:36 こう言い終わって、パウロはひざまずき、みなの者とともに祈った。

 お祈りしましょう。
コメント