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NJWindow(J)



この考えは再三耳にすることであるが、聖書翻訳について少
なからぬ関心をもってきた私の記憶には全くないことで、改
めて関連する書籍を調べてみてもそのような痕跡は見当たら
ない。

思うにどこかに端を発する「神話」(myth)の一つであると思
われる。

そして、関連して聞く例が「洗礼」というバプテスマに充て
られた訳語である。これは正しくは「浸礼」と訳すべきもの
である、という。全身水に浸かるのが本来のバプテスマだか
ら、洗礼という訳語は誤訳の例として挙げられる。

洗礼という訳語に異議を唱える理由は、わからないではない
が、強いて私見を述べれば「洗う」には全部水中に入れるこ
とも大いにあり得るわけで定着した訳語を尊重することもで
きるのではないか、また「洗」には「きれいにする、清める」
という意味もあり、その義をかぶせた漢訳が「洗礼」となっ
たとることもできるのではないか。

注 *日本語の聖書の用語は多くが漢訳聖書からきている
  **「神話」myth は根拠がなく間違った内容であるのに
  根強く流布して広く真実として受け入れられている話

このことについてご存知の方はコメントをいただければ幸い
です。日本語のサイトに書き込んでも意味はあまりなく、米
国人に伝えていかなければこの神話は消えることはない、と
指摘されそうです。伝えていきたいと思っています。


 


コメント ( 7 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
日本語の聖書 (トゥゲザー)
2006-10-08 09:00:33
日本語の聖書と一口に言ってもいろいろ出版されております。モルモンでは口語訳聖書を使っていると思いますが、世間の主流は新共同訳です。



以前に日本聖書協会に問い合わせで詳しい資料を入手したのですが今手元にはありません。ただ記憶では、何か1冊の外国語聖書を日本語化したような安直なものではなかったと思います。旧約はヘブライ語の写本、新約はギリシャ語の写本をベースに様々な現行の聖書を参考にしつつ完成させたような内容だったと思います。



ドイツ語から翻訳されたとか洗礼という語が正しくないというのはモルモン宣教師が言うのでしょうか? 彼らは聖書の成立もキリスト教史も何一つ分かっていません。自分たちが信じ込まされていることが正しいと思えるようにあらゆる出来事をゆがめて解釈する人たちですからねぇ・・・

 
 
 
聖書 (落伍者)
2006-10-08 19:00:08
落伍者です。

お久しぶりです。



何年も前ですが、日本聖書協会のHPで聖書の成り立ちについて書かれてありました。



すでにご存知でしょうが、聖書について良く分かるので、いろんな方に覗いて頂きたいです。



http://www.bible.or.jp/know/know14.html





http://mikio.wada.catholic.ne.jp/JAP_BIBL.html



ここも面白そうです。







抄訳ですが、初めて日本語にされたのは、ザビエルの持っていた日本語のマタイ福音書らしいのですね。



彼らの聖書はラテン語でしょうか?



もちろん、当時英語もドイツ語の翻訳もあったでしょうが、日本における宣教師たちは何語が主流だったのでしょうね。



勉強不足でわかりません。



漢訳聖書というのもあったそうです。



また、完全な形の聖書翻訳を最初の日本語聖書とするなら、やはり、明治時代のヘボンの翻訳をあげるべきでしょうが、このサイトでは、ヘボンたち日本語聖書の翻訳に携わった方たちは、それぞれ海外で約された日本語聖書との出会いを経験しているとの記載から、どの程度の完成度かは分からないものの、日本語聖書が断片的にでもあったようですね。



ギュツラフの抄訳は、アメリカ聖書協会の水準に達せず印刷を打ち切られたとのことでしたので、これらのものを聖書として扱うかどうか悩むところですね。



どの時点での訳を聖書として捉えるかによっても

違ってくるような気がします。



 
 
 
やはりドイツ語訳の役割はない (NJWindow)
2006-10-09 20:57:48
トゥゲザーさん、落伍者さん、コメントをありがとうございました。



ご指摘のとおりです。落語者さん、紹介いただいた2つのサイトを訪れて見ました。



やはりドイツ語訳が何らかの参考にされた形跡はみつかりません。(ひょっとして小生の知り得ていない所で何かあるかもしれませんが。)



なお、私にその話をしたアメリカ人に昨日確認したところ、東京のステーク会長(日本人)から聞いたということでした。情報源は日本人でした。しかし、ときどきアメリカ人宣教師側から(日本人会員からも)聞く一つのmyth(神話)のように思われます。
 
 
 
正直言って・・・・・ (落伍者)
2006-10-11 03:35:14
落伍者です。

お邪魔致します。



ドイツ語聖書から翻訳されたという日本語聖書ですが、正直言って私も聞いた事があるのです。



誰かの勘違いに端を発し、そのような意見が流布されるようになったと思うのですが、かなり以前に末日聖徒の中でそのような意見を耳にしました。



聖書を第一に持ってくれば、会員が誤って捉えることもないだろうと感じますが、間違った情報はやがて是正されていくことと思います。



教会の公式の教えではないでしょうから、私も気に留めず、特に探求することもなかったのですが、今思えば、どうしてそのような意見が出てきたか調べてみると面白いだろうなと感じます。





聖書の成り立ちを、末日聖徒の中で学ぶ機会があれば、もっとキリスト教というものが見えてくると感じます。



末日聖徒はキリスト教の歩んだ道を断片的にしか捉えられていないという思いがあります。



もちろん従来のキリスト教とは離れたところにあると

最初から宣言しているわけですから、それは仕方ないのでしょうが、正統派と呼ばれる教会と相容れないところがあるのは、末日聖徒自身がキリスト教の歩んだ歴史を認識していないところに原因があるのかなとも感じます。





トゥゲザー様が仰られた、新共同訳ですが、末日聖徒のなかでは、取り入れる方向にはないでしょうか?



実は今年、息子が学校でギデオン協会からもらってきて私のPCの横においてあるのですが、なかなか読み易い訳だと感じます。



教会を離れて久しいのですが、イエスの言葉にふれると心が洗われますね。



やはり、慣れ親しんでいないので、違和感はありますが、口語訳より内容がすんなりと入ってくるような気持ちがします。



数年通ったバプテストでも皆持っているものの、実際に使用されている方はいませんでした。



“口語訳が良い”と仰る方も多いかもしれませんね。



私は最初に新改訳聖書から入ったのですが、宣教師が“翻訳が正しくない”との理由で、口語訳に変更するように言われました。



当時、聖書ならどれでも神のみ言葉だから、どの翻訳でも構わないだろうという気持ちがあり、人が一生懸命翻訳した聖書(新改訳)を否定するとは何事だ!という気持ちがありました。



実際、少し読み比べてみて意味が違ってくるなどという致命的な問題はなかったですが、口語訳の方が格調高い気持ちがしましたので、すんなりと宣教師の言うことを聞きました。



懐かしい思い出です。





ギデオンも口語訳からいつの間にか新共同訳に変わっていましたが、モルモンもこちら(新共同訳)を受け入れていけばなかなかよろしいかと思います。



私、不可能なことではないと思うのです。



それが出来たら正統派(この言い方が良いのかどうかわかりませんが・・・)との距離が少し縮まるような気がします。
 
 
 
lds教会のよい働き? (NJWindow)
2006-10-15 15:39:02
> イエスの言葉にふれると心が洗われます(落伍者10.11)



もうだいぶ昔になりますが、来日したマックスウェル長老が「末日聖徒イエスキリスト教会の貢献の一つは日本の人々に聖書を紹介したことである」という主旨の言葉を口にされるのを聞いたことを思い起こします。  



説教の中であったか、昼食時の会話の時であったか覚えていませんが。・・聖書を読むときに私もしばしば心が澄む思いがいたします。
 
 
 
原文校定訳 (MASA(苫))
2006-10-28 11:36:17
 誤訳や解釈の違いは、聖書以外の文献でも共通していますね。しかし、聖書の場合は、他の文献と違って、世間を大きく左右させるので厄介ですね。

 私個人としては、フランシスコ会聖書研究所の原文校定訳聖書が日本語に訳されている聖書としては最も正確だと感じています。

 原文を使って訳した聖書と言われるぐらいですから・・・・

 次に、新共同訳聖書のことですが、編纂は第2バチカン公会議で話し合われたエキュメニズム運動の一環で行われたようですね!「イエス」の語を1つとっても、明らかにプロテスタント読みですね!新共同訳に於いて、カトリックは本当は、「イエズス」としたかったようです!

 聖書を私が個人的に分類すると、いわく付き型聖書、権力象徴型聖書、研究型聖書、個人解釈型聖書、改ざん型聖書、分類不可能型聖書、なんちゃって聖書があるようです。
 
 
 
興味ある分類 (NJWindow)
2006-10-29 01:07:05
和訳聖書についてご意見をありがとうございます。(フランシスコ会訳の評価)。



私は日本語の聖書は大正の改訳(新約)以来、原文の底本から日本人の手によって翻訳されたものと受け止めています。(英語の訳を参考にしたと読んでいますが。)



イエスの名は新共同訳になる前のパイロット版(新約共同訳)ではイエススとなっていました。しかし、結局イエスに落ち着きました。



最後の個人的分類は大胆な名前で少し驚きました。
 
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