モルモニズムの情報源、主要な主題を扱うサイト。目次を最新月1日に置きます。カテゴリー、本ブログ左下の検索も利用ください。
NJWindow(J)



2月23日(木)広島市佐伯区民文化センターで開
かれた「ケネス・コープと入江伸光(のぶあき)
のコンサート」に出席した。大変よいコンサート
であったのと入江伸光氏の果たしている役割に注
目したので書いてみたい。

ケネス・コープはアメリカの教会員の間ではよく
知られたミュージシャンで、主として宗教的なテ
ーマの曲をポップ風に歌って活躍している。この
夕べも末日聖徒になじみのある内容の曲を中心に、
自然に聴衆の信仰心を揺さぶり、歌唱・演奏力で
魅了していった。救いの計画、神の愛、イエス・
キリストへの信仰などを身近な語り口で分かりや
すく語りかけるものであった。また、気さくで謙
遜な人柄も好感を与えていた。

この日、会場にはステーク大会に匹敵する人数の
人々が詰めかけて、素晴らしいひと時を堪能した。
コープ氏が出演料を求めないで9ヶ所に及ぶ日本
ツアーを行うに至らせたのは、入江氏の発意と努
力による。入江氏はブリガムヤング大学に留学し、
その後本職とは別に日米で音楽活動をするうちに、
コープ氏と出会って共同活動をしたこともあって
氏にもちかけ実現したものである。

私は日本の末日聖徒の芸術(art, 音楽を含む)
活動と発展に関心を抱いているので、入江氏の活
動と貢献を高く評価している。彼にとっては一つ
の大きな夢が実現したことであり、日本人の彼が
コープ氏とデュエットできる能力を培ったことは、
聴衆にとって大きな喜びであり誇りである。なお、
デュエットした曲のかなりの部分は日本語で、コ
ープ氏は見事に日本語で唱って聴衆を驚かせた。
コンサート終了後皆がスタンディングオーベーシ
ョンで賞賛したゆえんである。

入江氏についてもう一言。この同じ2月、別の機
会に彼と私の大学人が同席することがあった。後
に私の同僚二人が、入江さんは会った瞬間クリス
チャンであると感じた、物腰や話し方から牧師を
思い浮かべた、と述べて私を驚かせた。同じBYU
の同窓として私は嬉しく誇りを覚え、同時に脱帽
の思いがしたのであった。

  Visit http://www.nobuakimusic.com




コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )



« DNAとモルモン... 神学者がみた... »
 
コメント
 
 
 
ケネスかケニスか (NJWindow)
2006-02-26 00:16:33
この度のツアーの案内ではケニスになっていたが、一般にKenneth はケネスと音訳するのが定着しているのと、発音でもKe にアクセントがあって nne の部分は軽くシュワー(bird のあいまいなアの音)になって「ネ」がむしろ近いと思われるのでケネスとした。
 
 
 
コンサート後KCさんと会話 (NJWindow)
2006-02-26 22:54:37
会場の出口でケネス・コープさんと入江伸光さんが来場者と挨拶していた。



 沼野:コープさんが歌うのを聞いてジョン・デンバーを思い出しました。



 ケネス・コープ:彼と比べられて悪い気はしない。彼は好きな歌手でした。 
 
 
 
Unknown (あんのうん)
2006-02-27 02:38:47
>私の同僚二人が、入江さんは会った瞬間クリス

チャンであると感じた、物腰や話し方から牧師を

思い浮かべた、と述べて私を驚かせた。



言葉尻を掴まえるが「牧師を思い浮かべた」というのは

正直な感想かも知れぬが、嫌味であるかも知れぬぞ。

「アタマでっかち」という。

自力本願系の坊様で「神父はいいが牧師はダメ」といった御仁がおった。

クリスチャンを自称するのは致し方なしかもしれぬが

自らはクリスチャンと自称するが周りから見ればモルモンはモルモンだ。

諦観を持つことから拓ける未来もあるさ。

諦、とは認知という意味で使ったから誤解のないように。



日本モルモンが芸術、音楽の世界に力を入れるのはいい道かもね。

横槍が入らない。



しかし知恵の言葉をテーマにすると荒れる場面を見かけるがモルモンの飲食上の戒律に準拠した境地を開いた料理人は見ないね。
 
 
 
同僚は私ではない (NJWindow)
2006-02-28 16:44:35
紹介した場面は作り話ではありません。私が末日聖徒であることを知らない二人の英語教員から出た、入江氏についての印象です。



「牧師」というのもそう感想を述べた人の知り合いに牧師がいて、その方の雰囲気と似ている、という文脈で言われたもので嫌味ではありませんでした。



「クリスチャンを自称・・」も私が言ったのではないですから、他者から見て一人のモルモン教徒がクリスチャンに見えたという事例だったわけです。



諦観を持つ必要はないと思っています。モルモン的クリスチャンあるいは、クリスチャン的モルモンが誕生しつつあると言えるでしょう。
 
 
 
Unknown (あんのうん)
2006-03-01 00:55:54
>紹介した場面は作り話ではありません。



もちろんそうであろう。

なにか誤解があったか?。



>「牧師」というのもそう感想を述べた人の知り合いに牧師がいて、その方の雰囲気と似ている、という文脈で言われたもので嫌味ではありませんでした。



これもそうであろう。



>諦観を持つ必要はないと思っています。モルモン的クリスチャンあるいは、クリスチャン的モルモンが誕生しつつあると言えるでしょう。



モルモン的とは?、クリスチャン的とは?。

殊にクリスチャン的とは、NJ氏の理想が誇大化しているのでは?。

クリスチャン的という典型化は不可能なのだが・・・。



繰り返すが諦観とは認識、自覚の最上級とでもいうべき意味で使用した。

http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?index=12562200&p=%C4%FC%B4%D1&dtype=0&stype=1&dname=0na&pagenum=1

上記URLの意味で解釈していただけていたのだろうか?。



>他者から見て一人のモルモン教徒がクリスチャンに見えた



この一文の意図が不明だが、一見するとさもモルモンよりクリスチャンの方が上流であるとも解釈できないこともない。

NJさんはモルモンとクリスチャン、末日派と復元派の比較論と解釈できる文章が目立つね。

情報と片付ければそれまでだが・・・。

NJ氏の本音のところ、比較しているのか?。

もしそうであるならばまるで先進国を追いつけ追い越せの途上国、上場目指せのベンチャー企業と同じではないか。

信仰は誰のもの?

モルモンが客観的に見て滑稽だと思われるのは、誰でも冷静に考えれば分かりそうなことが分かっていないこと。



 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。