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[イエスがアメリカ大陸で十二弟子を選んでいるところ]

モルモン書でイエス・キリストが米大陸を訪れた記述があるが、壊滅的な破壊の後すぐなのか、暫く時間が経過した後なのか、そうであればどれくらい月日がたってからなのか、いくつかの異なった説がある。

これは、8:5 に
「さて、第三十四年一月四日に、全地でこれまでにまったく知られていないような大きな嵐が起こった」とあるのに対し、10:18-19に次のようにあるからである。
「さて、第三十四年の末に、命を助けられたニ―ファイの民と、レーマン人と呼ばれた命を助けられた人々に大きな恵みが与えられ、彼らの頭に大きな祝福が注がれたことを、見よ、わたしはあなたがたに示そう。キリストは天に昇られてからすぐに、実際に彼らにご自身を現し、
彼らにご自分の体を示し、教えと導きを授けられた。・・」

それで三つの考え方がある。一つは、復活のすぐ後(大災害の直後)アメリカ大陸を訪れられたという見方で、普通モルモン書を読み進めていく時そのように受けとめられている。二つ目は、キリストはパレスチナで「天に上げられた」(昇天)すぐ後、言い換えると復活後40日たって訪れられた、とみる(使徒1:3, 9)。第三の考えは、10:18に基づいて復活後ほぼ一年たってアメリカを訪れられたのではないか、というものである。

研究者たちの間では、いろいろな議論が残るものの三番目の説に落ち着いている。災害後の復興に時間がかかる(復興していなければパンや葡萄酒を用意できない、十二人の弟子がそこにいたからには道路などインフラが整備されていた、など)、落ち着きを取り戻し充分な信仰を表すにはある程度の時間を必要とする(エテル12:7, 12; IIIN19:1-5)などの説明が加えられる。しかし、シドニー・スペリーが言うように多くの読者や研究者は、復活後キリストがニ―ファイ人に姿を見せられるのを1年も延ばされるのは信じ難い、というのが自然な反応である。最も詳しい分析はS.ケント・ブラウンが行っている。http://rsc.byu.edu/archived/jerusalem-zarahemla-literary-and-historical-studies-book-mormon/when-did-jesus-visit-americ 
(なお、この問題は最近実吉[さねよし]兄がフェースブック上に提示されて、意見交換がなされたものをまとめたものである。)

参考
S. Kent Brown, “When Did Jesus Visit the Americas?” in “From Jerusalem to Zarahemla: Literary and Historical Studies of the Book of Mormon”, Religious Studies Center, Brigham Young University, 1998, pp. 146–156.

Daniel H. Ludlow, “A Companion To Your Study Of The Book of Mormon.” BYU Press, 1966, 1971, p. 140.

Sydney B. Sperry, “Book of Mormon Compendium.” Bookcraft, 1968, p. 401.

Dan Vogel, “Joseph Smith: The Making of a Prophet.” Signature Books, 2004, p. 303.



コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
近いうちに・・・ ()
2012-10-02 19:09:54
>キリストは天に昇られてからすぐに、実際に彼らにご自身を現し、彼らにご自分の体を示し、教えと導きを授けられた。・・

イエスの昇天は、新約聖書ではマルコ、ルカ、使徒行伝、にしか書かれて居ません。
同じ著者とされる、ルカと使徒行伝でさえ、復活から昇天までの時間経過が違います。

素直に読めば、復活の後40日エルサレムで昇天、その直後にバウンテフルに現れた・・・と言う事になるのでしょうが。

ただ、「近いうちに解散します・・」って約束しても、ずっと総理大臣を続けている人も居るわけでして・・。
「すぐに・・」って言うのも、直後とは言えないかも知れません。


・・・・・って言うより・・・そんなくだらない推測を論議するより、もっと重要で明確な事を論議した方が、良いんじゃないかと思いますね。

重要な事って言うのは、「キリスト像」についてです。

第三ニーファイの11章からのキリストは、新約聖書に出てくるキリスト像とほぼ一致しています。

ただ、根本的に違う事が有ります。
それは、キリストが相対した人の違いです。

新約聖書のイエスは、善人にも悪人にも、愛を示したのですが、モルモン書のキリストは、まず、悪人を全て殺し、残った善人にのみ姿を現して、愛を示したって事です。


モルモン書の根底に流れる思想は、「神は善人のみを愛する」と言うものです。
第三ニーファイはその最も顕著な部分ですね。
 
 
 
前半理解ある豚、後半いつもの猪 (nj)
2012-10-02 21:26:11
それも一つの見方かもしれません。豚さんらしい指摘です。
 
 
 
Unknown (ほろ酔い)
2012-10-04 01:00:42
モルモン書は偽典だとか言う一方でイエスの降臨時期はいつ?とか論理的に破綻してませんか?
 
 
 
なるほど (nj)
2012-10-04 08:58:46
もちろん、そう見ることもできます。

しかし、信徒は信仰の立場から聖典を読んでいます。聖書の注解書も同じで、一般に信仰者のために書かれていますから、執筆者はそこに神学上の非神話化を持ちこんだりしないで、解説を試みています。

BofMも教会員は信じる立場で物語を丁寧に読んでいきます。そこで「おや」と思うような個所に差し掛かると整合性を求めていろいろ議論が生じるわけです。私のような者もその立場に立って解説を試みるということです。
 
 
 
気になる豚 ()
2012-10-09 10:50:35
第3ニーファイには他にも気になる記述がいくつか有ります。

その一つが、キリストがアメリカ大陸に現れた時に、バプテスマをほどこした・・・と言う記述です。

モルモン書では、キリストが来る前からバプテスマが行われていた事が、書かれています。

キリストが来る前に悪人は天変地異で滅んだわけですから、残っている多くは預言者の戒めを守っていた人たちだと考えられます。その人たちが、「バプテスマを受けていなかった」と言うのは、どうも不自然です。

新約聖書のキリストのバプテスマのくだりをそのまままねたのかと思いますが、モルモン書と、旧約聖書では、バプテスマに関する取り扱いが違いますので、それを無視して、とってつけたように、イエスが生まれてからのバプテスマを持ってくると、話のつじつまが合わなくなってくるんでしょうね・・。


 
 
 
再度のバプテスマ (沼野)
2012-10-10 07:51:09
ご指摘の、12名の弟子などが改めてバプテスマを受けたことについて、

新大陸に福音のもとに新たに教会が組織されたので、バプテスマが行われた、という説明があります。同様のことが、lDS教会が1830/4/6組織された時に起きています。ジョセフ・スミスなどが改めてバプテスマを受けていたと説明されています。ラドロー「モルモン書学習の手引き」BYUプレス、1966, 71(英文)。

そう言えば、モルモン教徒がユタ峡谷に着いて、新しい生活に入ったときも、改めてバプテスマを行っています。(この場合は記録が混乱、紛失してしまったため、と読んだ記憶があります。)
 
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