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モルモン書は欽定訳聖書の英語の影響が大変強いと指摘される。ま
た19世紀の同時代の作品、例えば「ヘブライ人の見解」(Views of
the Hebrews)からの剽窃の疑いがあるなどと批判されたことがあっ
た。このノートでは、旧新約聖書における引用について整理し、同
じ方法がモルモン書にも適用されていると考えられることを示そう
と思う。また、引用に関して「テクスト間相互関連性」(Intertextuality)
という考え方について紹介する。

1 聖書における引用
 [旧約聖書の場合] 
 エレミヤが「あなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを
知り・・」と主の言葉を冒頭に書いているのは、イザヤの「主はわ
たしを生まれ出た時から召し、母の胎を出た時からわが名を語り告
げられた」という言葉と同じ趣旨である。また、エレミヤ23:5 の
「ダビデのために一つの正しい枝を起こす日がくる」という預言は、
イザヤ11:1 「エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若
枝が生えて実を結び・・」という句を引用したと考えられる。ほか
にも人は陶器師の手の中にある粘土のごとき存在である、というモ
チーフが繰り返されている(エレ 18:4, 6、イザ 45:9)。エレミヤ
はミカの「エルサレムは石塚となり、宮の高い山は木の生い茂る高
い所となる」をそのまま引用している(エレ 26:18、ミカ 3:12)。

 以上ほんのニ三例をあげただけであるが、引照付聖書を持ってい
る人は、ほとんどどの頁にも聖書の本文に先行文書からの引用が多
く、各書が相互に関連し合っているのを見ることができる。それは
短い語句から節、概念・主題(モチーフ)・思想にまで及んでいる。

 [新約聖書の場合]
 周知のように新約聖書はふんだんに旧約聖書を引用している。
「おとめがみごもって男の子を産む、その名はインマヌエルと呼ば
れる と言われていたみことばが成就するためである」(マタイ1:22
-23)など。これはイザヤを引用してイエスの誕生の次第を説明して
いる箇所である。ほかに、一人の旧約預言者だけでなく、二人以上
の預言者を鎖のように連ねて引用している場合がある。ローマ人へ
の手紙9:25 にその例を見ることができる。そこにはホセア、イザヤ
が引かれている。さらに興味ある引用の仕方に、複数の旧約の言葉
がもはや区別できない融合した形で引用される形がある。例えばロ
ーマ人への手紙3:10-18節の間に詩篇六箇所、イザヤ書2節が相前後
し、語句が入れ替わったりして、極めて恣意的に融合した形で引用
されている。
 さらに、著者の目的に添った、ないし自分の解釈の言葉を入れて
預言の言葉を引く「ミドラシュ的引用」(ミドラシュは注解の意)も
存在する。それが推し進められると、批判的に見れば、旧約の預言
がこのように成就したと宣言する目的と解釈に基づいて、旧約の文
章をそれに合うように勝手に変えながら引用して解釈してみせる特
徴が生じる。(この方法はぺシェルと呼ばれる)。このような引用
も榊原は福音書の著者が「不正確に保存したのではなく、深化させ」
発展させた、と捉えている。

2「インターテクスチュアリティ」(intertextuality「テクスト間
相互関連性」)
 最近、ある物語が語られるときに「従前のテキストの解体と再構
成という物語生成方法によって」新しい物語が創作されていく、と
いう考え方が現代文学理論で注目されている。記号論から生じたこ
の考え方は、ある本文(テクスト)の意味は著者から読者へ直接伝え
られるというより、著者が借用したり変形して用いた元の本文が介
在し、また読者も他のテクストを参照しながら読み取ろうとして意
味が形成されていく、というものである。その際 別の本文によって
著者と読者に付与されたあるコード(体系)によって意味が伝えら
れ、濾過されていくという。
 テクスト間の相互関連によって、どの本文も「引用のモザイク
(寄せ集め)」模様を呈することになる(クリステバ)。
テクスト間相互関連性を持つ顕著な例として、スタインベックの
「エデンの東」があげられる。著者は創世記の物語を現代カリフォ
ルニア州に背景を移して再び語っていることが明白である。
 聖書で言えば、上にあげたように新約の章節に旧約聖書が、独自
のメッセージを生成する目的で頻繁に引用されており、旧約の中で
も申命記や預言者の書に出エジプト記の出来事が参照されているこ
とをあげることができる。

3 モルモン書の場合をどう見るか
 「アブラハムの書」を記号論の手法で分析して学位を得た高山真
知子は、モルモン書も旧約聖書とインターテクスチュアルな関係に
あり、ジョセフ・スミスは無意識のうちに聖書の影響を受けて独自
の表現活動を行ったと見ている。
 また、新約学者で高等批評の学術誌を編集しているロバート・M・
プライスは、ジョセフ・スミスが聖書の本文を分解・再構成して新
しい物語を生成した、と捉えている。それは、ユダヤ人のラビが親
しんでいた釈義の手法であり、新約聖書の福音書記者の取った方法
と同一である、という。プライスはモルモン書を正真正銘の偽典と
見て、肯定的な評価を与えている。(ここで言う偽典とは、よく知ら
れた預言者などの名前を冠して別の著者が聖典に擬して書物を著す
ことを指し、ダニエル書、黙示録など聖書の中にも少なくない。)
 モルモン書の中で最も注目を惹くのはアメリカを訪れたイエスが
山上の垂訓をニーファイ人に教える場面である。新約学者クリスタ
ー・ステンダールは、これは典型的な本文の拡張(タルグーム[言い
換えないし敷衍])が行われていると見る。先行するテクストをより
美しく、明瞭にし、内容の更新をはかっているのである。ちょうど
マルコの福音書をマタイが拡張したのに類似している。

 詩人T.S.エリオットは「独創とは先人からの剽窃である」と言っ
たという。要するに人は先人の業績から入力し蓄積したものをもと
に、引用を意識するとしないとにかかわらず豊かな表現を出力する
ようになるというわけである。また、引用をしない人は引用される
ことがない、ということを読んだことがある。
 聖書の中にも引用の例が数多く見られる。特に新約では思い切っ
た自己目的の引用の仕方が特徴的である。従前の聖句(テクスト)
を引きながら解釈し拡張する伝統(ミドラシュ、タルグーム)がモ
ルモン書にも受け継がれていると見ることができよう。

[参考書籍]
榊原康夫「聖書読解術」1970
田川建三「書物としての新約聖書」1997
田川は新約時代のユダヤ人にとって彼らの素養としての言葉の多
 くは旧約聖書の言葉であったので、言葉を話す、書くという行為
 はしばしば旧約聖書に出てくる表現や語句を用いてものを言うと
 いうことであった、と言う。p. 40
高山真知子「アメリカ史の謎 モルモン教における叙事詩の発生と
 一夫多妻制度の意味」(井門富二夫編「多元社会の宗教集団」 ア
 メリカの宗教 2巻 1992 所収)
Brawley, Robert L., “Text to Text Pours Forth Speech –
 Voices of Scripture in Luke-Acts,” 1995
Price, Robert M., “Joseph Smith: Inspired Author of the
 Book of Mormon”  2002, in Dan Vogel & Brent Metcalfe ed.,
 “American Apocrypha” 2002.
Stendahl, Krister, “The Sermon on the Mount and Third Nephi,”
 1978, in Truman G. Madsen, ed., “Reflections on Mormonism
 – Judaeo-Christian Parallels.”
Whiteside, Anna, and Issacharoff, Michael, “On Referring in
 Literature” 1987
Wikipedia, “Intertextuality” downloaded 8 July, 2008


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