12月8日、ジョン・L・ソレンソンが亡くなった。享年97歳。彼はBYUで人類学主任教授として、モルモン書と中米の地理関係を論じ、教会内で大きな影響を与え注目された。モルモン書の記述は中米の西岸に漂着し、地峡を挟んだ地域に広がったリーハイ一行とその子孫が活動した地域ではないか、という仮説を立てたことで知られる。
「モルモン書の古代アメリカの背景」(試訳)”An American Setting for Book of Mormon”を1985年に出版している。
[彼の仮説を地図に当てはめるとこうなる。その後、図式化され教材に用いられている]
私は彼から授業を受けていないが、留学中、講演やシンポジウムなどで見かけ彼の展開する研究に大きな影響を受けた。信頼し親しみを持っていた立派な学者がまた姿を消していくのを悲しく思う。
しかしインド洋→太平洋経由で到達するルートを提唱している図版も、昔見た記憶があります
どちらの仮説がより好まれているのでしょうか?
ヒュー・ニブレーさんと2大学者のイメージがあります。
>「モルモン書の古代アメリカの背景」(試訳)”An American Setting for Book of Mormon”を1985年に出版している。
1985年2/3月号のモルモン経探求は学者らしい記事で印象的でした。そうですか、同年出版していたんですね。
https://jp.churchofjesuschrist.org/acp/bc/Japan/Liahona/1985/1985-02_03_S.pdf?lang=jpn
結局,人の作 った歴史はもちろんのこと, 科学 というもの も,「永遠 に流動的」なの である。
ポッパーは,次のように断言 し ている。「確信という我々の主観的な経験 の中においてのみ, また我々の主観的な 信仰の中においてのみ,『絶対に確実』と 言い得るのである。」
科学には, その 「主観的な信仰」と同等のものは存在しない。
それにもかかわらず, ここ半 世紀 にわたる熱心な探求 に照 らしてみると,二一ファイ人の記録 に潜んでいる可能性の深さを考えて,多大の興味 をそそられるのである。
喜望峰を回ってアメリカの東岸にですか。これはあまり聞いたことがありません。
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=lehi%20landing%20%22book%20of%20mormon%22&ei=UTF-8
https://bookofmormonevidence.org/lehis-first-landing-few-or-many-inhabitants/
アメリカ西海岸にというのが、逆に少ない???
故ソレンセン氏の仮説は??
末日聖徒は長年、東回りルート(インド洋~太平洋経由で、中央あるいは南アメリカへ到達)と考えていたようです。
ところが近年(2000年以降)になって、紀元前600年ごろのフェニキア人の技術で再現した帆船を使って、アフリカ大陸の西回り航海を成功させた冒険家グループが出てきました。このニュースを受けて末日聖徒の中に、西回りルート(アフリカ~大西洋経由で東海岸へ到達)でリーハイが航海した可能性を考える人たちが出てきた、という事らしいです。
http://nephicode.blogspot.com/2011/10/what-sea-did-lehi-cross-part-i.html
https://askgramps.org/what-route-did-lehi-and-his-family-take/
https://www.mobom.org/lehi-cross-ocean
https://bookofmormonevidence.org/lehis-voyage-demonstrated-phoenicia-expedition/
なるほど、喜望峰~大西洋ルート説は最近出てきたんですね
まぁ、どっちにせよ私は創作派なんですけれども
この場合は西回りですかね・・
“紀元前のアメリカ : 古代アメリカの移住者たち
バリー・フェル 著, 喜多迅鷹・元子 訳 / 草思社, 1981.4
1491 : 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
チャールズ・C.マン 著, 布施由紀子 / 日本放送出版協会, 2007.7
”
https://en.wikipedia.org/wiki/Theory_of_Phoenician_discovery_of_the_Americas
旧約ソロモンの時代の銅器で、当時、世界最大の銅生産地とされる米国五大湖周辺・
ミシガン州?のものと特定されたみたいなのどっかにあったような~~
「産地同定法 : 石製品や金属製品では地球上に元素が偏在することを利用し,放射線を用いた
蛍光X線分析や放射化分析,同位体分析が有効であり,陶磁器・ガラスについても応用されている」
金属 産地 蛍光分析
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%87%91%E5%B1%9E%20%E7%94%A3%E5%9C%B0%20%E8%9B%8D%E5%85%89%E5%88%86%E6%9E%90&ei=UTF-8
「定説が守られてきた背景には、アメリカの考古学会の権威主義がある。
コロンブス以前のアメリカ大陸に巨大文明があったと発表するのは、権威に逆らうことを
意味していた。また、インディオらが環境破壊をしていたと主張することは、権威ではなく
、別の方面の人たちから非難を受けるおそれもあった。
こうして、ぼくたちはずっと「ホームバーグの誤り」の中にいたのだ。
これら誤りを正し、コロンブス以前のアメリカ大陸の姿をあきらかにする筆致はなめらかで、
ぐいぐい引き込まれる。
彼らを滅ぼしたのは、コルテスらヨーロッパ人だったとされる。しかし、当時の銃は
弓よりも射程距離が短かったし(これは知らなかった)、必ずしも武力だけの勝負
だったわけではない。むしろ、ヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病がアメリカ大陸の
多くの命を奪い、それが先住民族間のバランスを崩し、自滅していった面がある。
四大文明なんてぼくたちは教科書で習ったけれど、それは地球の半分しか見ていなかった
言葉ではなかったか。そんな思いを抱きつつ読みすすめたことだった。
」
https://zatsugaku.com/a/800
1491 コロンブス以前
https://search.yahoo.co.jp/search?p=1491%20%20%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%96%E3%82%B9%E4%BB%A5%E5%89%8D&ei=UTF-8
逆にアメリカ大陸からヨーロッパへは、タバコと梅毒が持ち込まれたのでしたね
感染を舐めたらいけません
めでたい
確か中国最古の王朝「殷」の遺物がワシントン州に。。。的な記事を読んだことあります。これが事実なら太平洋も横断していたことになる。
大航海時代の遥か前からアメリカには多くの民族が海洋移動してきたことは確かでしょうね。
ジェレドの民や、ニーファイ人はほんの一部なのかも。
ソレンソンさんの記事です。
https://evidencecentral.org/recency/evidence/traditions-of-ocean-migrations
今日、ほとんどの学者は、これらの記述におけるイスラエルの家への言及はスペインの影響によるものだと結論づけるだろう。
しかし、このような様々な伝承が存在することは、一部の移住者が海の向こうから船やボートでやってきたと信じることが、コロンブス以前の遺産において重要な部分であったことを示唆している。とJohn Sorensonは説明する。
明らかに、これらの記述の中には、植民地時代のインディアンによる歴史的・地理的解釈が含まれており、
伝承の原盤にはそのような表現はなかったであろう(例えば、バビロニア、アブラハム、カルデアなどの名称)。
しかし、先住民の作家が、引用した伝承が海を越えた航海を指すものであると確信していたことは、ほとんど疑う余地がないでしょう。
聖書の名前を使ったのは、スペイン人が彼らに教えた世界地理・聖書地理に関する初歩的な知識から、
その考えの背後にある地理を解釈しようとしたのであろう。
このような名称の使用を頭ごなしに拒否するのではなく、彼らがその名称を使用した意図を解釈することが必要であろう。
彼らは明らかに自分たちの祖先が外国から来たと信じていたのである。
おわりに
ソレンソンが結論付けたように、「確かに、多くの民族の祖先が海の向こうからやってきたという伝承が、メソアメリカに広まっていたと言えるかもしれない」。
これらの伝承は、モルモン書の3回の植民地化航海の物語と重要な対応関係にある」。
19世紀初頭には、イスラエル人の分散に関する憶測が広まっていたが、
コロンブス以前の人々の間の本格的な移住伝承は、アメリカの一般民衆には知られていなかったようである。
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