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NJWindow(J)



 [Tom Harpur]

カナダの著述家が神話についてよい解説をしているのを見かけたので、以下引用させていただきたいと思う。

「現在、『神話』という言葉ほど理解されないまま軽視されている言葉はない。一般の人たちに『神話』とか『神話学』について語っても、自分たちとは関係のない、はるか昔の絵空事だと思われてしまう。普通、わが国(カナダ)ではこの言葉はよくておとぎ話と同義であり、悪くすればまったくの嘘やほら話とされるのが落ちだ。」

「このひどい歪曲と誤解を解いておかなければならない。・・・神話の意味については細心の注意を払わなければならない。」

「ここで、クーン(アルヴィン・ボイド・クーン)の言葉を引用しよう。『神話のみが、人が経験したリアリティーを過不足なく語ってくれる。神話は、これまで書かれたものの中で唯一の、真実の歴史である・・・人生の発展における、生きた経験だからである。歴史は現実かもしれないが、結局、神話ほど真実ではない。神話は永遠の真理である。』」

「われわれは歴史という現実の出来事の内に身を置きながら、実際に進行しているものごとの内実を完全に見逃している。・・神話は歴史が見過ごしたものを明確に表出する。天才の手になる神話は、人生そのものに内在する意味を鮮やかに描き出してくれる。・・・人生、魂、自己の存在理由、宇宙におけるわれわれの位置、洞察力と理解力とを高める努力、とりわけ、われわれが神と呼ぶ神秘、これらの深奥にある真理を表現できる手段は物語(ミトス/神話)や儀式をおいてほかにない。神話そのものは虚構だが、神話が表現する時代を超えた真理はそうではない。キャンベルが指摘するように、『神話とは、過去に起こったためしはないが、しかもなお常に現前しているもの』なのだ。それは、あらゆる歴史の内部構造あるいは意味を表現する手段なのである。神話には、想像力をかき立て、われわれの意識をより高い段階に引き上げるという途方もない力がある。・・神話は、たとえ実際の出来事ではなかったとしても、人間の状態をめぐる、時を越えた深遠なる真理を秘めている。・・例、放蕩息子の話、よきサマリア人の話。その真実と妥当性は、それらが歴史上の実際の出来事であるかどうかとはなんの関係もない。これこそクーンの言うとおり、『神話は人類最古の知識の宝庫』である所以なのだ。」(以上、pp. 35-37)

トム・ハーパー著、島田裕巳(ひろみ)訳「キリスト神話、偶像はいかにして作られたか」バジリコ(株)2007年
Tom Harpur, "The Pagan Christ: Recovering the Lost Light" 2004

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コメント
 
 
 
ニッポン人と神話は親和性が高い。 (オムナイ)
2017-02-17 12:43:48
故郷の九州は古事記の神話の舞台。

天照大神の孫?が高千穂の峰に降り立って云々。

元々は神道なのも相まって神殿で父なる神と子なる神がミカエルや使徒たちに創造を委任するくだりはすんなり理解できたように思います。

>天才の手になる神話は、人生そのものに内在する意味を鮮やかに描き出してくれる。

共感しました。

改宗したての頃セミナリーの先生(稲葉兄弟)がキリスト教はアジアの宗教だ。的に力説していたことを思い出します。


お毛唐様より黄色猿人の方が神話の真理を理解するのにむいているのではないでしょうか。
 
 
 
神話の広い語義 (NJ)
2017-02-17 16:12:52
コメントありがとうございます。神話は一般に言う神話とやはり連続していくのですね。

稲葉兄弟は彼が大学時代、西宮で一緒でしたので、よく知っています。 
 
 
 
方便とは仏教用語だそうです。 (教会員R)
2017-02-20 03:45:18
仏教で方便という言葉の原語は「ウパーヤ」といい、目的に「近づく」というのが語源だそうです。

蓮如上人仰せられ候、「方便を悪しということは有る間敷なり。方便を以て真実を顕わす廃立の義、よくよく知るべし。
弥陀・釈迦・善知識の善巧方便によりて、真実の信をば獲ることなる」由、仰せられ候と云々(御一代記聞書)

“蓮如上人が仰せになった。
「方便など要らないなどとは、言語道断、言うべきことではない。恐ろしい大法謗である。方便からしか真実に入れぬと説かれた、親鸞聖人の教えが全く分かっていないのだ。
弥陀・釈迦・善知識の善巧方便によってこそ、私たちは弥陀の救いに値う(真実の信心を獲る)ことができるのである」”

http://www.shinrankai.or.jp/qa/qa0206.htm 浄土宗仏教講座より。

神仏を理解するには方便が必須なんだとすれば、キリスト教の三位一体説やら、信じただけでもう救われた等の論も一種の方便かもしれないし、JSの金版の物語や史実のように書かれてあるニーファイ人たちの物語も一種の方便なのかもしれません。

 
 
 
注意すべき神話もある ()
2017-02-20 10:10:10
子供の頃、ギリシャローマの神話を夢中で読んでいました。学校の図書館の関係本を読みつくしました。
確かに、夢が有って、その中に何故か人間臭い物が有って、教訓も得られました。

しかし、世の中にある数多くの神話がその様なものではありません。

特に日本では、ある時期に神話が、権力の根拠とされた時代が有ります。そして、その考えは今の日本人の中にも、強く残っています。

欧米や、世界中の国々で、「この権力が神から来るものである」と言う権力者の主張の裏付けの為に、神話が作られ、利用されています。

神話は、あくまで神話であり、事実ではありません。
その違いをはっきりと理解しないと、真実を見失います。
 
 
 
たとえ豚さんが超能力で一瞬にして (たまWEB)
2017-02-20 12:34:17
しゃぶしゃぶをTボーンステークにて変えようとも、たとえ教会員Rさんが神通力で東京多摩川を逆流させようとも、たとえNJさんが神業的幻術により大阪府民を皆空中浮遊させようとも、たまWEBの脳内では史実が神話に先行なのでありまぁぁす、じゃなければフィクション、嘘も方便だんべと。
神話 史実 先行
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E7%A5%9E%E8%A9%B1%20%E5%8F%B2%E5%AE%9F%20%E5%85%88%E8%A1%8C
 
 
 
何を信じるかは、その人が何を信じたいか?による ()
2017-02-20 13:38:44
WEBさん、史実って言っても、どうも最近は私の年代が共通認識している史実すら怪しいらしい。

学校で習ったことも実は史実ではなかったりしてね。


人間が信じるのは、それが事実だからじゃなくて、「自分がそれを信じたいから」らしいですよ。

例えば、男性の前をすっごくスタイルの良い女性が歩いているとしましょう。多くの男性は、その女性を「美人」だと思ってしまうらしいですよ。

私も学生の頃、自転車通学で、「自分の自転車は、他の奴の自転車より速い!」って思い込んでた時が有ります、もちろん、そんな高級自転車を買ってくれるような親ではなかった。(爆笑)
でも、そのおかげで遅刻はしなかった。(?)

良い思い込みによって、自分も社会も楽しくなるのなら、どう思いこんでも良いって思いますよ。

でも、ある人たちの思い込みによって、苦しみや悲しみが増える人が居るとしたら、そんな思い込みはやめてほしいものです。
 
 
 
うぅぅんん、思い込み・・・・『夢は夜開く』 (たまWEB)
2017-02-20 15:18:17
んが、しかし、蓼食う虫も好き好き、鰯の頭も信心から(肯定的意味合いで)とも言うではないですかぁ・・・信じる方向で、それがプラスの感情にマッチ、エネルギーの発露につながり極々自然な流れというものでは・・・
たまWEBはあんまり高くないレベルで何でも信じやすいタイプなのかも、まぁ、それはそれで。ある程度の勘・感を働かしてですね・・・史実?共通認識?ネットでオモロイと思えたのは例えば、
http://megalodon.jp/2013-0825-2146-26/nipponseigenbaku.com/?p=161
 
 
 
上記サイトは稀すぎるかもで (たまWEB)
2017-02-20 15:22:12
一応、検索付けておきますかぁぁ・・・
永山 正田 三島
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E6%B0%B8%E5%B1%B1%20%E6%AD%A3%E7%94%B0%20%E4%B8%89%E5%B3%B6
 
 
 
結局、その神話の定義だと (たまWEB)
2017-02-21 05:01:53
フィクションとか偽典と同類みたいな、そういうことに落ち着くんでしょうかぁぁ、
モルモン 偽典
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3%20%E5%81%BD%E5%85%B8

となると、たまWEB的には、いつどういった状況下でその封印された版の内容が明らかにされるのかといったことに少しでも光があたってほしいものだみたいな。

 
 
 
その封じられた部分は・・・ (たまWEB)
2017-02-21 05:30:47
「25 主はこれらの御言葉を語ると、かつてこの世にいた地のすべての民と、これからこの世に来るすべての民をヤレドの兄弟にお見せになった。また主は彼らを、地の果てに至るまで彼に見せずにはおかれなかった。
26 主は以前に何度か、もし自分を信じるならばあらゆるものを見せることができる、必ず見せると、彼に言っておられた。そこで主は、彼に何事も見せずにはおかれなかった。彼は、主があらゆるものを自分に見せることがおできになることを、知っていたからである。
27 主は彼に言われた。「これらのことを書き記して封じなさい。わたしは自分がふさわしいと思うときに、これらのことを人の子らに知らせよう。」
28 そして主は彼に、彼の受け取った二つの石も封じて、主がこれらのことを人の子らに示されるときまで、これを示してはならないと命じられた。 」(エテル3)

「01 主はヤレドの兄弟に、主の前を去って山を下り、見たことを書き記すように命じられた。しかし、書き記す内容は、主が十字架に上げられる後まで、人の子らに明らかにするのを禁じられた。このためにモーサヤ王は、キリストが御自分の民に御自身を現される後まで、その記録が世の人々に明らかにされることのないように保存したのであった。
02 そしてキリストは、実際に御自分の民に御自身を現された後、それを明らかにするようにと命じられたのである。
03 その後、彼らは皆不信仰に陥り、今はレーマン人のほかにはだれもいない。そして、レーマン人もキリストの福音を拒んだので、わたしはその記録を再び地の中に隠すように命じられている。
04 見よ、わたしは、ヤレドの兄弟が見たとおりのことをこの版に書き記した。ヤレドの兄弟に明らかにされたこと以上に大いなることは、いまだかつて明らかにされたことがない。
05 そこで主はわたしに、それらのことを書き記すように命じられた。そして、わたしはそれを書き記した。すると、主はわたしに、それを封じるように命じられた。また、主がその解訳も封じるようにと命じられたので、わたしは主の命じられたとおりに解訳器も封じた。
06 主がわたしに、「異邦人が彼らの罪悪を悔い改めて、わたしの前に清くなる日まで、これらのものは異邦人に伝わることがないであろう」と言われたからである。
07 また、主は言われる。「彼らがわたしによって聖い者となるために、ヤレドの兄弟のようにわたしを信じる日に、わたしはヤレドの兄弟が見たことを彼らに示し、わたしが啓示したことをすべて彼らに明らかにしよう」と、神の御子であり、天地とその中にある万物の父であるイエス・キリストは言われる。
08 「主の言葉に逆らう者はのろわれよ。これらのことを否定する者ものろわれよ。わたしはそのような者には、これ以上大いなることを示すまい。このように語るのはわたしである」と、イエス・キリストは言われる。 」(エテル4)

「01 さて、イエスはこれらのことを語り終えると、群衆にそれを説き明かし、また大小を問わず、あらゆることを彼らに説き明かされた。
02 そしてイエスは、「あなたがたの持っていないこれらの聖文が、後の時代の人々に伝えられることは、父の知恵にかなっていたので、父は、これらの聖文をあなたがたに伝えるようにわたしに命じられた」と言われた。
03 そして、イエスは世の初めから将来御自分が栄光のうちに来られるときまでのすべてのこと、すなわち、諸元素が酷熱に溶け、大地が巻き物のように巻かれ、天地が過ぎ去るときまでに地の面に起こるすべてのことについて説き明かされた。
04 すべての民族、すべての部族、すべての国民および国語の民が、彼らの行いが善いか悪いか、行いに応じて裁かれるために神の前に立つ、大いなる終わりの日に至るまでのことを、イエスは説き明かされたのであった。
05 行いが善ければ永遠の命の復活にあずかり、悪ければ罰の定めの復活を受ける。すなわち、世の始まる前からすでにおられたキリストの内にある憐れみと公正と神聖さによって、前者は一方にあり、後者は他方にあって、互いに平行している。
06 ところで、イエスが実際に民に教えられたことは、その100分の1もこの書に書き記せない。
07 しかし見よ、ニーファイの版には、イエスが民に教えられたことの大部分が載せられている。
08 わたしがこれまで書き記したこれらのことは、イエスが民に教えられたことのほんの一部でしかない。わたしが書き記してきたのは、これらのことがイエスの言われた御言葉のように、異邦人からこの民に再び伝えられるためである。
09 彼らがまずこれを持つことは、彼らの信仰を試すのに必要である。彼らはこれを与えられたとき、これらのことを信じるならば、そのときにはもっと大いなることが彼らに明らかにされる。
10 しかし、彼らがこれらのことを信じなければ、そのときにはそれより大いなることは彼らに与えられることなく、彼らは罪の宣告を受けるであろう。
11 見よ、わたしがニーファイの版に刻まれているすべてのことを書き記そうとしたところ、主はそれを禁じて、「わたしは自分の民の信仰を試みよう」と言われた。 」(3ニーファイ26)

うぅぅんん、まぁ、そういうことなんでしょうぉぉ・・
 
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