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[教会幹部は「自由意志」と言わなくなった]

「先の者は後になり、後の者が先になる。
そして先の者が残したものを変える傾向がある。」(NJ)

モルモン書第一ニーファイ2:27に、「人は仲保者を通じて自由と永遠の命を選ぶことも、悪魔の束縛と力によって束縛と死を選ぶことも自由である」とリーハイが説く所があり、末日聖徒に特有の『選択の自由』(従来、「自由意志」と訳されていた)の原則が説明されている。

自由意志という語は、タルメージの「信仰箇条の研究」に用いられ、1960, 70年代に教会幹部が普通に用いていた。「教義と聖約」昭和訳93:31にagency の訳としても出ていた。

[マッケイ大管長 自由意思を重んじた]

しかし、1992年に使徒ボイド・K・パッカーがエンサイン誌に、聖典には「自由意志」 ‘free agency’ という語は出てこない、あるのは moral agency (D&C 101:78「道徳的な選択の自由」平成訳。昭和訳は「良心」と意訳) であると指摘した。彼は誓約を破ることは自由ではないし、その結果を逃れることはできない、と言う(1990, Nov. Ensign)。

それで、以後、末日聖典合本(2009年) に掲載されている「聖句ガイド」にも、「選択の自由」の項目が取り上げられ、「自由意志」は姿を消している。教会の出版物も同様である。例、「福音の原則」2009年、4章。

さて、この「自由意志」free agency であるが、ダリン・H・オークス長老は、聖典にagency とfree が出てくるのに対し、私たちはこの概念に言及する時、二語を合わせて free agency と言うと説明している(1989年)。また、七十人のスペンサー・J・コンディー長老は、近代の預言者たちが使ってきているので、(moral agency がよいとしても、)置き換え可能な語として併用していきたい、と述べている(1995年、エンサイン誌)。BYU-I大学の引用集も同じ扱いである。聖書にそのまま「隣人愛」「黄金律」という言葉がなくても、問題なく使われているのと同様、「自由意志」という言葉も使用されて問題はないと私は理解している。

私は聖句(BofM, D&C)を文脈から判断して、自由意志と訳しても英文において同義で問題は生じないと理解している。なお、agency (agent) はラテン語起源で、agere , 英語でto do から来ている。私たちが注目している文脈では「人が行動する(作用する)能力」を意味している。

逆に moral agency をどう訳したものか、こちらに苦労の種が移ることになる。実に容易でない翻訳ではないかと思う。「道徳的な選択の自由」では直訳的で、悪戦苦闘のあとが感じられない。仮のつなぎにしか感じられないし、第一意味がよけい分かりにくくなっていないか。次世代に残された宿題である。私の直感では、昭和訳の「良心」かそれに近いよい訳語があるのではないかと思っている。

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[語句分析試案]
英語 / 日本語 の違い:
“Free” ・・ 自由、無料(ただ)、ゆるい、ずさん、など。
「自由」 ・・ 拘束されない、解放された、進歩的、など。

語の組み合わせの点から:
「(第一義の)自由、free + 意志」・・「自由な心、意志」という語句には、負のイメージが入り込まず、語感として抵抗がない。(日本語)。
「 free(無料、緩い、ともとれる) + agency(ある主体が行動、作用、選択する資格・能力)」・・誤解が生じやすい。


[よい補足解説]
One Phrase Church Leaders Never Say Anymore + Why
byJannalee Rosner | Mar. 25, 2015

Elder Christofferson pointed out in a 2009 Ensign article. “The word agency appears [in scriptures] either by itself or with the modifier moral. When we use the term moral agency, we are appropriately emphasizing the accountability that is an essential part of the divine gift of agency.”

So while the basic principle of agency has not changed through the years, the method of explaining it has. Describing agency as simply "free" can be easily misinterpreted or used as an excuse to forget about accountability. "Moral" reminds us of the responsibility each free agent has to make righteous decisions.

Perhaps President Uchtdorf explained it best in a 2006 BYU devotional address. “You have agency, and you are free to choose. But there is actually no free agency. Agency has its price. You have to pay the consequences of your choices.”

http://www.ldsliving.com/One-Phrase-Church-Leaders-Never-Say-Anymore-Why/s/78358


参考文献
Dallin H. Oaks, "Free Agency and Freedom" in Monte S. Nyman and Charles D. Tate, Jr., ed.,"The Book of Mormon: Second Nephi, The Doctrinal Structure" Religious Studies Center, Brigham Young University, 1989.


コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
Unknown (教会員R)
2016-02-06 05:35:21
「free agency」 と 「moral agency」は根底にあるものが違って感じられます。

「free agency」には日本人が知らないもっと深いモルモン哲学があるのではないのですか。

「agency」は普通「取次ぎ所」「代理店」の意味ですよね。 

 
 
 
Unknown (教会員R)
2016-02-06 05:58:33
agencyの本質は、日本語でいう「裁量権」が当てはまりそうな気がしますがどんなものでしょうか。



 
 
 
道徳心 (オムナイ)
2016-02-06 09:06:05
道徳心ですかね。

あるいはそのまま音訳してモラル・エージェンシーとか^^

モラル・ハザードも日本語になりつつありますし。
 
 
 
幹部が使わなくなったってホント? (ジョン・ドゥ)
2016-02-06 12:43:53
Free Agencyって言葉から受けるイメージは、フリー・エージェント(自由契約選手)ですね。

自由意志を翻訳するとFree Willですかね。でもFree Willと、モルモン教会で言うところのFree Agencyはちょっと意味合いが違う。

モルモンの自由意志の教義は、曲解すると『犯罪でも何でもこの世では好き勝手やれば良いのさ、後で裁きの時に神様から罰を受けるだけだよ』これ、よくモルモン会員がジョークで言ってましたね。

この自由意志と言う教義も、あと何年かすると『あれは公式な教義じゃない』『幹部はそんなことは言ってない』となるんでしょうかねぇ・・・

モルモンは『唯一まことのキリスト教会』の教義みたいに。
 
 
 
第二ニーファイ2:10なんですが (たまWEB)
2016-02-06 13:56:21
およそ1年遅れの記事/コメ読んでまんがな・・・


律法の目的は、定められた罰の執行 --> 不幸
贖罪の目的 --> 罰の執行の回避(悔い改めの条件下で) --> 幸福
律法と贖罪に共通するのは、神の正義の要求を満足させる。
だとすれば、2:10、本来はもっといい・簡明な表現があるんでしょうけど・・・・時に読みにくいモルモン書本文の一例(釈義*の試み)
http://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/dae476d3c2804dcc4281f01b54d40022/?st=1


 
 
 
Unknown (教会員R)
2016-02-06 22:25:15
人間には自由の裁量権が認められており、それは神でも侵すことができない対等の権利である。 神がほとんどの邪悪に対して沈黙する理由がここにある。

ただし、神と対等の権利を行使したことによる報い(幸福か不幸か)から逃れることは不可能とされている。

サタンは天でこの権利を悪用して報いを受けてしまった。

この理論はジョセフスミス~現代人には理解できるけれども、個人の自由の概念がなかった中世では理解できないと思われる。 

自由の裁量権でも、道徳の裁量権でも、同じ意味になるけども、自由の裁量権のほうが欧米人にはわかりやすいと思われます。 東洋人には道徳心のほうがわかりやすいかも知れないです。

聖約を破る自由はないという意味は、契約の中に破った後の罰も明記されているから、契約からは逃れられないという意味の発言でしょう。

 
 
 
選択の余地が有るの? ()
2016-02-08 13:03:27
自由意志でも、選択の自由でも、そんなに変わらないんじゃないですか?

私は、最初にモルモンの「自由意思」の教義を聞いた時には、カントの道徳法則の事を思ったものです。
又、自由の国アメリカ、と言う事も思い浮かびました。

ただ、今にして思うのは、そんな「選択の自由」なんて無いって事です。

例えば、目の前に二つの菓子を置かれて、「Aには毒が入ってます、Bには毒は入ってません。どっちを食べますか?」って言われたら、そりゃー毒の無い方を食べますよ。通常、こう言うのは「選択の自由」とは言わない。

要は、「自分で選んだんだ」って思い込ませるだけの事です。こんな事は、詐欺師の世界では、初歩の初歩です。

人間、自分で選んだことには、執着が有って、中々そこから抜け出せないものです。

たぶん、私も、教会の教義や運営にぶつぶつと文句を言いながらも、モルモンで居続けるのは、その手口にはまってしまったのでしょう。

最初に「自分の意志で決めた」と思い込まされると、中々離れられないのもだと思います。

そう思いませんか?NJさん。
 
 
 
自由意思を行使できる人 ()
2016-02-08 13:18:22
本当に自由意思を行使できる人なんていなと思う。

人間そんなに自由に自分の意志を通しては生きていけない。特に日本では難しい。

しかし、為政者は、いかにも人々が自分で選んだのだと思わせようとする。

自由なんてものが有るように誤解させる。

モルモンでは、自分たちを指導する指導者すら、自分では選べない。
自分が救われるための儀式を受ける時間も場所も、自分では決められない。

大江健三郎は、作品の中で、「大空に飛び立ち自由も有れば、ずっと巣に籠っている自由も有る」と書いていたが、もし、巣に籠らざるを得ない理由が有るのなら、それは自由ではない。大空に飛び立たなければいけない理由が有るのなら、それも自由ではない。

社会生活をする以上、人間に自由と呼べるものは無い。
もし有るとしたら、それは、死ぬ自由だろう。
 
 
 
なるほど (NJ)
2016-02-09 00:27:09
豚さん

>自分で選んだことには、執着が有って、中々そこから抜け出せない

そうかもしれません。居心地のよさもあって(多分/多分に?)。
 
 
 
居心地よりも・・ ()
2016-02-09 11:48:54
>居心地のよさもあって

私の場合、居心地じゃなくて「寝心地」ですね。

なんで、聖餐会って、あんなに寝心地が良いんでしょうか??

神権会も結構寝心地は良いです。

毎週教会に行かないと、睡眠不足になりそうで・・・。
 
 
 
Unknown (教会員R)
2016-02-09 15:15:28
必要なら起されるので、寝たい人は寝ててもいいんじゃないですか。 ペテロも寝てたようですし。
 
 
 
必要でなくても ()
2016-02-09 19:25:32
>必要なら起されるので、寝たい人は寝ててもいいんじゃないですか。

必要じゃなくても、いびきや歯ぎしりがうるさかったら起こされるかも?

未だ起こされたことが無いのは、寝相が良いからかも?

たまに管理者が寝てる時も有りますね・・・。お疲れなんでしょうね・・・。
 
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