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カ―セージ牢獄を取り囲む暴徒

末日聖徒イエス・キリスト教会(通称モルモン教)の創始者ジョセフ・スミスは、1844年6月27日イリノイ州カ―セージの牢獄で暴徒に襲われて殉教したと教会員は伝えられている。

ジョセフ・スミスが逮捕され牢獄に拘束された理由は、彼がノーブー市議会の議決をもってノーブー・エクスポジター紙に発行禁止を命じたのは騒乱を引き起こすもの、という罪状であった。郡の保安官のこの告訴に応じて離反者たちはスミスを偽証と姦淫の罪で訴え、スミスはそちらこそ偽証、暴行、名誉棄損で訴えると反撃した。初めこのように応酬し、逮捕を拒んでいたが、知事が逮捕に応じてカ―セージで裁判を受けるようにスミスを説得した。スミスは戒厳令を布告したことと治安維持のためノーブー民兵の出陣を命じたことに対する告発を加えられていた。スミスの敵は彼がイリノイの州民を攻撃しようとしていると非難した。その二日後スミスと兄ハイラムは暴徒に殺害された。(以上「モルモニズム百科事典」マクミラン社1992年 第三巻の項「ジョセフ・スミスの法廷裁判」。ジョセフ・I・ベントレー執筆)

私はジョセフ・スミスの多妻実施の状況を学ぶうちに、彼が結局、最後の方まで表向きの公表と個人の多妻実施の間に乖離が残り、一部の身近な幹部以外には知らせていないという二重性が問題となっていたことを知った。身近な会員の中にも多妻の教義に当惑し、苦悶し、中には教会を去る者もいた。それで、ノーブー・エクスポジター紙にスミスの一夫多妻について暴露する文が載ったことが分かると、スミスは危機を感じ、市議会に同紙に対し発行禁止を命じる議決を出させたのであった。このことについて、リチャード・L・ブッシュマンは「スミスは一線を越えてしまった。出版の自由を侵害したのであって、アメリカの神聖な権利とも言えるものを犯したのだった。彼は印刷機械を破壊するということの重大さを把握していなかった。文書による非難どころか暴徒の攻撃を生む可能性に気づいていなかった。これは致命的な失敗だった」と率直に、教徒として内省的に記している。(Richard Lyman Bushman, “Joseph Smith: Rough Stone Rolling,” 2005, pp. 540, 541)

結局のところこの結末に至ったのは、スミスが一夫多妻を始めたことに起因していたと言える。

それでもこの殺害はアメリカ史上最もゆゆしい犯罪の一つとされる。アメリカで生まれた最も重要な宗教である末日聖徒イエス・キリスト教会の創始者であり、預言者であったジョセフ・スミスを、法廷で裁くことなく暴力で死に追いやったからである。(ミズーリ・カンサスシティ大学法学教授Douglas O. Linder, “The Carthage Conspiracy Trial: An Account.” 2010)

参考
沼野治郎「モルモン教をどう見るか」2013年、pp. 38, 80, 149註6.
当ブログ記事 2012/10/01 リチャード・L・ブッシュマンの筆致・姿勢(スタンス)


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ひと味違う情報 (オムナイ)
2013-08-26 21:21:23
いつもながら斬新な視点を提供くださるNJさんに感服です(^^)

最近の記事を読んでいて『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』を思いました。

http://tanakaryusaku.jp/2013/08/0007743

「原爆投下、大統領の説明は全部嘘だった」


物事の視点は色々ありものだと、あらためて感じました。
また様々な視点を知るべきだとも感じました。

アメリカ民主党政権下ではじわりリベラレル寄りの行動が増えるのかも(^^;




 
 
 
情報が異なると味も (nj)
2013-08-26 23:29:54
理解あるコメントに感謝します。

オリバー・ストーン氏、すごい人だと思います。立派、あっ晴れ。
 
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