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 最近あるサイトでモーセ1:29, 33を引いて、神は多くの地(世界)を創造され、そこに人々が住んでいた、ということについて論じられた。

 また、旧約聖書を学んでいて、高価な真珠の「モーセ書」がしばしば引用され、あるいはすっかり旧約聖書に取って代わって解説が進められることがある。モーセ書は教会の標準聖典の一部となっているので、そのように用いられることは理解できないでもないが、それで旧約聖書(特に創世記)の研究になるのだろうかと疑問を感じることがある。
 

 まず、モーセ書はジョセフ・スミスが取り組んだ聖書改訂(本人は「翻訳」としていて略称JST)の一部である(前書き)。それでモーセ書はこの聖書改訂の特質を具えているということができる。 

 J.S.の聖書改訂は、聖書の本文を前にして普通の意味の翻訳をしたというより、解りにくい箇所や矛盾して見える内容を筋が通るように、霊感によって調整を図ったものが多くを占める。こうした方が意味が分かりやすいと言う文に改訂したのである。

 中には聖書本文にない内容を大幅に拡張したものも含まれている。神がモーセに語りかけるモーセ書1章やエノクについての記述(モーセ書6:25-8:3)がそうである。いずれも啓示によって与えられた示現ということができる。(1章を「示現」と見たのはmormonwiki.com, Thomas Wayment。)

 示現は受ける人が神の霊感(聖霊)によって与えられるのであるが、それでも受ける側の知識と経験に制約される。あるいは、表現できる能力に制約され、聞き手の理解できる範囲(その時代のキリスト教理解)に応じている。

 示現を受ける者は、「モーセはこのような経験をしたのだろう、神からこのように語られたに違いない」と、合理的な推測の範囲で想像を働かせたのである(Bokovoy, 2014年参考)。

 このような示現は信徒の聖典理解を円滑にし(疑問に答える調和的な意味で)、信仰を鼓舞する役割を果たすであろう。あり得る内容で、知りたいという気持ちに大胆に応えるからである。しかし、真理(本当にあったこと)として受け入れるか、そうかもしれないとその可能性を認める程度に受けとめるかは、各自の判断に委ねられるのではないだろうか。

 

参考文献
・Thomas A. Wayment, “Intertextuality and the Purpose of Joseph Smith’s New Translation of the Bible” in “Fundamental Texts of Mormonism” 2018

・David Bokovoy, “Authoring the Old Testament” 2014

 

JSTについてはこのブログの記事

・2014.03/01 ジョセフ・スミス訳聖書II、他 



コメント ( 9 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
聖書に拘束されないキリスト教 (オムナイ)
2022-03-24 13:53:03
>しかし、真理(本当にあったこと)として受け入れるか、そうかもしれないとその可能性を認める程度に受けとめるかは、各自の判断に委ねられるのではないだろうか。

可能性を否定しても受け入れられる。事もある。
とうことでしょうか。

鰯の頭も信心から、よろしく。
改宗者、2世,3世ならずとも信仰のはじめの一歩は「本当にあったこと」として認識しますからね。

でなければ入信しないでしょうし。

末日聖典は聖書そのものに拘束されない。
真理へのアプローチが自由。

そもそも文章や字面に拘束される思想は窮屈。。なんて言ってみる。
 
 
 
布教する側の責任大 (NJ)
2022-03-24 18:07:15
>でなければ入信しない

 この点が重要なのですね。特にキリスト教を文化的背景に持たない国の人が改宗する時に言えると思います。布教する側の責任は大きいと思います。
 
 
 
どうでも良い話かもしれないけど ()
2022-03-24 18:28:42
旧約聖書の天地創造神話と、モーセ書アブラハム書の創造神話とを比べて、どっちがどうとか考えてみても結論が出ない話でして、たぶんどちらが真実か?等と考えることは無意味でしょう。

モーセ書アブラハム書は、モルモンの根本教義の一つである、「救いの計画」には不可欠な内容が入ってますので、モルモンの教義の裏付けとしては、モーセ書アブラハム書は欠かせないものになります。

しかし、いつも不思議に思うのは、神殿の中で語られる「天地創造神話」が、旧約聖書に近い事ですね。

神殿での創造神話では、モーセ書アブラハム書の匂いがあまりしないのはどうしてなんでしょう?

天上の大会議の場面が出てこない。
エキストラが足りなかったのかな??
 
 
 
神話から汲み取る幸福 (オムナイ)
2022-03-24 19:39:25
>いつも不思議に思うのは、神殿の中で語られる「天地創造神話」が、旧約聖書に近い事ですね。

そかな。
けっこう最初はぶっ飛びましたw

そか、ペテロ・ヤコブ・ヨハネがねー。へー。ルシファーと。。
まぁ、象徴的にということなのか。

>エキストラが足りなかったのかな??

さすが!

僕らも天地創造のエキストラ。

人間はいや霊はすべからく尊い。
そう認識できれば儀式は成功なのでしょうね。
 
 
 
shortest response (NJ)
2022-03-24 23:13:09
そだねー
 
 
 
Paradise Lost (エニグマ)
2022-03-25 08:23:05
しばしば語られることですが・・・、天上の大会議でルシフェルにつくものが神に反乱を起こして追放され、その後、人類を誘惑する存在となって、人と神と引き離そうとしている・・・このモルモン教義ですが、これってミルトンの「失楽園(Paradise Lost )」そっくりなんですね。

『高等批評で読むモルモン書(教義?)』みたいな発表会をするのでしたら、ぜひ取り上げて欲しいテーマです。
 
 
 
興味あるintertextuality (NJ)
2022-03-25 10:27:27
是非、どなたかが取り上げて欲しいテーマですね。提案に感謝致します。(探り始めます)。
 
 
 
創世物語りの比較 (NJ)
2022-03-25 10:31:51
豚師匠へ

エンダウメントにおける創世の物語と他のバージョンとの比較をした記事がありました。探して、どう書いていたか見てみたいと思います。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2022-04-24 12:06:48
>「モーセ書」(高価な真珠)を新しい目で見る

新しいも何も書いてあること
そのまま信じて不都合あるんか?
逆に古い目って何よ?
新しい目って何で必要なのよ?
新しい目って何よ?
むしろ爺の腐ったヘドロみたいな脳味噌交換すべきじゃね?
 
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