はい、そうです。高価な真珠に収められている内容の初めの版は1851年、二版が1878年に出ていますが、初版は十二使徒で英国伝道部長であったフランクリン・D・リチャーズが英国リバプールで編集発行し、二版はオーソン・プラット(当時教会歴史家、十二使徒)が更に編集してソルトレークシティで発行しています。その元は1831-33年に「イブニング・アンド・モーニング・スター」(インディペンデンス)に発表されたものと、1843年に「タイムズ・アンド・シーズンズ」(ノーブー)に発表された聖書翻訳改訂に見出すことができます。(Robert J. Matthews, 1975, pp. 220, 221)
1878年版が1880年10月の総大会で標準聖典として受け入れられています。(James R. Clark, “Our Pearl of Great Price” 1976, Ensign August)
>それは、聖文の本文(のオリジナル)を回復するものではなく、むしろ注釈の性質を持つものである、と見る立場である。そして実際モーセの書はJSの聖書改訂の一部が末日聖典に加えられたものである。
そのようですね。もし、聖書の原文なりが出てきても、JS訳聖書と合致することはないのでしょう。
いわゆる「みたま」によってわかりやすく説明を試みたと言えるかも知れません。その作業は完成しなかったことと、「解釈」であることが末日聖典になり得ない理由でしょうか。
それでもJS訳聖書や欽定訳聖書の日本語版が欲しい。。
復元教会が版権を持っているので復元教会から買わないといけないようですね。(The Reorganized Church of Jesus Christ of Latter-day Saints)
オムナイさん、ブログに参加させてもらってお世話になっています。穏やかな議論が好きで楽しみにしていますが、それが崩されるのが玉に瑕ですね。
今は名前が変わったのでしたっけ?
預言者に当たる方がやめられたとか・・
日本への伝道意識が低い上にプロテスタント化の道を歩んでいるようなことを聞きます。
望み薄かなあ。。
>穏やかな議論が好きで楽しみにしていますが、それが崩されるのが玉に瑕ですね
色々すいませんねー(^^;
まあ白熱した議論が好きな方、論争に持っていこうとする方、トラックパック攻撃を編み出す方、色々です。
人生色々、議論も色々。(^^コイズミ?
あそこは北朝鮮みたいに直系が引き継ぐのがルールだったのですが、ふさわしい子孫が途絶えたみたいです。
<日本への伝道意識が低い上にプロテスタント化の道を歩んでいるようなことを聞きます。望み薄かなあ。。>
日本にも東京と沖縄に支部があります。一度、東京支部に行ったことがありますが、まるっきりプロテスタントと同じです。十字架がありましたから。布教活動はしてませんね。
<色々すいませんねー(^^;まあ白熱した議論が好きな方、論争に持っていこうとする方、トラックパック攻撃を編み出す方、色々です。人生色々、議論も色々。(^^コイズミ?>
どこのブログ、サイトにも、そういう御仁はおられますのでびっくりはしません。物言いを穏やかにするというのは人間の尊厳ですよね。
あのな、NJさんから話し合い断られてるのにまだ居るの?。
人間の尊厳云々語るなんざ笑わせるな。
言いたいことあるなら自分でサイト作れば?。
その方がこっちは不愉快な思いせずに済むからな。
><色々すいませんねー(^^;まあ白熱した議論が好きな方、論争に持っていこうとする方、トラックパック攻撃を編み出す方、色々です。
そうそう話し合い断られてるのに粘着してる奴とかね。
コメントは差し控えるとか何とか言ってたけどどうなったの前言撤回かい?。
>のがルールだったのですが、ふさわしい
>子孫が途絶えたみたいです。
内情も知らずにテキトーなことを言うのは
失礼ですよね。
で、ときどき思うのですが、このような
無知蒙昧な書き込みはお咎め無しなのに、
このような書き込みをする人物に
バカ!と当たり前のことを言うと誹謗中傷
に当たるのですね。
世の中とは不条理なものです。
>のがルールだったのですが、ふさわしい
>子孫が途絶えたみたいです。
この発言者が住んでいる国の某戦争犯罪者
の家族も代々直系が引き継ぎぐルール
だったのですが、最近はふさわしい子孫
が途絶えそうで見ていて面白いです。
失礼ですよね。
な、そう思うだろ。
憶測主観だけで発言してネチケットだぁ人間の尊厳だぁ笑わせるなってことよ。オムツ替えて出直して来いってとこですわ。
しかしなんだね。
オムナイが出入りすると必ず荒れるね。「荒らされた、荒らされた」被害者ぶってるけど実はオムナイが最大の加害者じゃないのか?。
「穏やかな・・・」、馬鹿を言うんじゃない。穏やかな雰囲気をぶち壊しているのはオムナイあんただよ。
この際「はびこり系」は自分のサイトかチラシの裏にでも引きこもってもらいたい。さして意味ある発言もしてないしな。
はい、そうです。高価な真珠に収められている内容の初めの版は1851年、二版が1878年に出ていますが、初版は十二使徒で英国伝道部長であったフランクリン・D・リチャーズが英国リバプールで編集発行し、二版はオーソン・プラット(当時教会歴史家、十二使徒)が更に編集してソルトレークシティで発行しています。その元は1831-33年に「イブニング・アンド・モーニング・スター」(インディペンデンス)に発表されたものと、1843年に「タイムズ・アンド・シーズンズ」(ノーブー)に発表された聖書翻訳改訂に見出すことができます。(Robert J. Matthews, 1975, pp. 220, 221)
1878年版が1880年10月の総大会で標準聖典として受け入れられています。(James R. Clark, “Our Pearl of Great Price” 1976, Ensign August)
今回のことでは、オムナイさんが「最大の・・」というのは当たらないと思っています。大体「穏やかな」という表現を使ったのは彼ではないのですから。
なお、これ以上の、この面でのコメントはこの辺でいかがでしょう?
不自然な謙遜なぞせずともよろし。
NJさん、要するにこのブログでどんな人を対象にどんなコミュニケーションを志向しているんだい?。定期的にしつこく再宣言しておく必要があるんでないかい?。
この数年、宗旨を飛び越えたオンライン・オフラインのコミュニティに参加している。プロテスタントの元副牧師に引っ張られて禅の修行寺の住職に会いに行ったりイベントのサポートを融通しあったりまことにせわしない。そこでは見解の相違が険悪な空気を作る雰囲気は微塵もないのだが・・・。手前勝手な知ったかぶり君、大言壮語君はいつの間にか消えている事は言うまでもないが。
このブログでは何を話の起点として、どういう話し合いが望ましいとNJさんは考えるのか、テーマはそれにふさわしいのか、読者には今ひとつ伝わってこない。発言していいのか悪いのか不安、という状態であると思われるが如何?。