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本当の理解は解きほぐしから。 (教会員R)
2016-06-16 17:30:37
ここ ルワンダの大虐殺
~恐怖が現実になる瞬間、3か月間で100万人が殺された!~を読むかぎり、問題は深そうです。

http://www.cosmos.zaq.jp/t_rex/works/works_8_m.html

ルワンダは今は1%もいない狩猟民族だったトウク族(ピグミー族)の土地であったものが、北東の方角からツチ族(放牧が主流)が、南西の方角からはフツ族(農業が主流)がやって来て、共存社会が始まることになる。

ルワンダは土地が痩せていたために、農耕には適さず放牧主流のツチ族が支配階級に上り詰めるのは自然な流れであった。

14世紀ごろからツチ族による王政政治が始まったが、王朝国家が、長らくこの土地を支配したが、これらの3つの部族は、素朴でありながら「互いに敬意を払いつつ調和のある暮らしを続けていた。」 そうだ。

19世紀に入り、ヨーロッパから帝国主義による植民地支配が始まり、第一次世界大戦終結まではドイツ、以後はベルギーに支配されることとなる。

ヨーロッパ列強は、植民地管理を容易にする方法として、彼ら民族間の差異をあおり、彼らが一致協力することのないように互いの内部対立を煽ることをひたすら努めた。

大規模な土木工事などの際には、ツチ族を現場監督とし、労働者であるフツ族を管理させるたが。その際、ノルマの果たせぬフツ族の労働者は現場監督のツチ族から激しく鞭を打たれるのである。もっとも、この仕組みにしたところが、上からの命令なのであって、もしツチ族の現場監督がそれを拒んだのなら今度は自分が激しく鞭打たれることになっていた。この列強の巧妙にして狡猾な植民地政策の結果、憎悪の矛先はヨーロッパ人ではなく、同胞内部に向けられることとなった。

ベルギーはID政策によって、民族間の差別化を徹底し、問題をより解決不能のものとしていった。

ベルギーからの独立後も負の遺産(フツ族のツチ族に対する優越感への嫉妬と憎悪)は解消されなかった。

あとはナチスドイツが辿ったのと同じようなコースを進むことになる。 計画的な扇動にはラジオが使われた点も共通で、その他当時のキリスト教(おそらく末日聖徒も含む)は何の役にも立たなかったかむしろ虐殺者側に利用されてしまった点も共通のようです。

今更14世紀の王政に戻すわけにもいかないけれども、現実に民族が混在しながら「互いに敬意を払いつつ調和のある暮らしを続けていた。」社会が実現していた、というのが本当だったならば、滅びてしまった彼らの思想、文化、宗教から学べる優れた何かがないか興味があるところです。
 
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