コメント
 
 
 
いざとなれば・・・ ()
2015-06-08 19:19:36
日本のモルモン教会では、教会が独自に生活困窮者の経済的援助の制度を設ける必要は有りません。

日本の国家としての福祉が充実していますので、生活が困窮すれば、生活保護を受ければいいだけです。

現在の会員数では、教会内の生活困窮者を持続的に援助するのは困難です。

そもそも教会の福祉は、自立を助けるのが目的で、断食献金の援助でも、一時的な援助です。

今日本のモルモンで問題になりつつあるのは、高齢化による困窮者で、高齢と言う原因で、収入が得られない方は、一時的に援助してもその後経済的に自立することは難しいです。

よって、通常は、神権役員やHTが、「いかにすればスムーズに生活保護を受けられるか」のアドバイスと助けをしているのが現状なのではないですか?

会員は、しっかりと税金を納めることで、間接的に生活困窮会員を助けることに成ります。

又、若いときから、きっちりと公的年金を納めるもの重要な事です。

ま、心のどこかに「納めた献金はどこに行ったんだ?」って思ってるのは有りますけど(笑)
 
 
 
私の経験では (サラマンダー・ホフマン)
2015-06-08 20:42:58
生活に困った人はモルモン教会の福祉なんて受けませんよ。什分の一なんて収める余裕がまずなくなります。次に教会の責任を果たそうなんて余裕がなくなります。そして日曜日に教会なんて行ってる気持ちすらなくなります。

その頃教会では「あの人最近元気がないね」とヒソヒソ話。HTや監督は「教会へ来てください」と的外れなアドバイス。うっとうしいので仕事が忙しくてと適当に言い訳して人を避けているとそのうち誰も声を掛けなくなります。

でもね教会の運営という面から見たら貧乏人がこうやって黙って離れて行ってくれる方が有難いんじゃないですか?福祉なんて無意味なことにお金使うより教会の財産を増やせるほうが良いじゃないですか。

「私は什分の一を収めていないがその分を貧しい人に施している」と言った人に、生ける予言者ジョセフ・F・スミス大管長が「あなたは他人の財産をずいぶん気前よく勝手に使い込むのですね」とたしなめたとか何とか言う逸話を読んだのは、『奇しきみわざ』だったかな。

教会員は福祉を受けるよりもまず什分の一を持ってこいと。イエスは「受けるよりは与える方が幸いである」と言ったそうですがモルモン教会では逆なんですよね・・・
 
 
 
ごもっともな投稿ばかりです (地方の教会員)
2015-06-08 22:16:16
日本教会の福祉はお粗末でしょうが、私が伝道中、助けが必要な求道者(老人)に生活保護が受けれるように手配してくださった片U+1F311監督には、今でも感謝してます。伝道が終わって数年後に神殿で老人兄弟と再開できてすごく嬉しかったです。
私は、教会が直接援助できなくても、公的援助を受けれるように手配できれば十分だと考えています。

実際のところは、教会指導者がどのような公的援助があるのかを、知らなかったり
公的援助について知っていても援助が必要な方をつれていく時間がなかったりです。

ちなみに伝道中の片U+1F311監督は夫婦で高級ベビー用品店を経営されていて、金銭的にも時間的にも余裕がありそうな方でした。

ついでに、やたら転職が多い兄弟とか、に職業斡旋するのは至難のわざです。
やっぱり自分の経営する会社に余裕がないとできません。転職が多いのは、自分自身の問題であることにまず気づいてもらわなければいけません。

もうひとつ 私のはなしですが
配偶者の不倫問題で、悩んでいる会社の部下に紹介したのは、教会の監督ではなく、公的機関のカウンセラーでしたがあれから部下は離婚もせず子供ももう一人できて夫婦で仲良く子育てしているようです。
カウンセラーに強くもらったアドバイスが良かったようです。

日本の教会は力があるわけでは、ないのですから弱い所を認めて、援助方法の紹介に徹するのがよいのではないかと、私は考えています。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2015-06-10 10:51:49
教会の福祉活動と聞くと、無料が当然、格安が当然というイメージになってしまっているけれども、日本人の場合は散々税金や年金・健康保険・車検などの準税金で散々搾り取られるうえ、限界まで働かされたなんぼという環境なので、働き手のほうも欧米のイメージのようにはなかなかいかないという点も大きいのではないでしょうか。

ただでさえつらいのに、無償でとか実費ギリギリでとかはやっぱり勘弁して欲しいという現実があります。

むしろある教会員(たとえば電気屋とか)が技術を持っていて、専門分野の中でお世辞でなく本当に優秀であれば、ビショップたちが教会公認の(優)リストに名前を掲載して、無償でもなく格安でもなく適正価格で紹介してあげるほうが日本の文化にマッチするかも知れません。

またその分野で、そのような技術を持った兄弟姉妹がいない場合、(たとえば精神病カウンセラーなど)非教会員である地域の優秀なドクターに教会のやりかたはカルトではなく、適切に指導してもらったら、教会がドクターのツールになれる可能性があることを伝えるとかでもいいでしょう。

今でもビショップリックやステーク会長会は個人の努力の中でやっているかもしれないが、日本の末日聖徒の教会としては、むしろそいうことに無関心だし冷淡なのが残念だ。
 
 
 
額に汗して働け! ()
2015-06-10 13:19:20
>教会の福祉活動と聞くと、無料が当然、格安が当然というイメージになってしまっているけれども・・

この言葉は少し誤解を与えるかもしれません。
モルモン教会の福祉の原則は「自立」です。
ただ単に「困っているから援助する」と言う考えでは有りません。本部の福祉工場等では、援助を受けた人が、その分を返すために働いていると聞きました。(古い話なので今はどうか知りませんが)

貧困への対応方法は、「雇用の創設」が基本です。
ただ、どう言うわけか、日本の教会では、教会自体が雇用を生み出す方向には動いていません。

福祉には関係ないかもしれませんが、昔は、教会堂の建設でも、会員が奉仕してやっていたのですが、今は業者に発注します。

教会で、事業を起こさないまでも、教会堂の維持管理や、印刷物の作成など、外部発注をおさえて、内部で雇用を生み出すことも多少は可能かと思います。

今問題になっている、「成年後見人」に関わるNPO法人を創設するとか、老健施設を運営するとか、教会がやってみたら面白いと思うような分野は有ると思うんですけどね。

昔は、教会堂の建築資金を捻出するために、肥え汲み(し尿処理)のアルバイトを神権定員会でやったと言う様な話も耳にしたんですけどね。モルモン都市伝説なんでしょうか?
 
 
 
Unknown (Unknown)
2015-06-10 18:42:20
豚さんへ

自立、自立って自立できない人はどうすんの?
道の端を通って行くんでしょ、モルモン神権者は
 
 
 
自立は人の尊厳 ()
2015-06-10 19:34:05
確かに自立するのが困難な人はいます。

私の考えが正しいとは思いません、でもやっぱり、人は自分の力で生きて行くべきだと思います。

その為に、必要な環境を社会全体が創るべきだと思っています。

例えば、歳をとって歩くのが難しくなってきたときに、車いすに乗せて押してあげるのと、手すりを付けて、何とか歩けるようにするのと、どちらが良いと思いますか?

私は、手すりにすがってでも歩けるのだったら、車いすで押してもらうより、手すりにすがって歩きたいです。

介護でも、ベッドに寝かして、食事を運んだり、チューブで排尿させたりする方が、介護する側は楽だと思います。でも、手助けすれば、自分でテーブルまで行って、食事ができる、付き添ってあげれば、トイレまで行って排泄できる。

同じように、「金が無いのならあげましょう」って言うより、その人に出来る仕事を見つけて自立できるように助ける方が良いと思います。

>道の端を通って行くんでしょ、モルモン神権者は

他の方はどうなのかわかりませんが、私はそちらの部類に入ります。なかなか積極的に人助けは出来ません。

その代り、最初に書いた様に、自分なりに一生懸命働いて、税金を納め、選挙の時は、必ず投票に行き、社会をよくしてくれそうな人に一票を投じます。

老後は社会に迷惑をかけないように、18歳の時からずっと年金を納め、必要な保険に加入しています。
一年分の食糧を備蓄し、災害時にも自分で生きて行けるように出来るだけの準備はしています。

豚に出来るのはそれぐらいの事です。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2015-06-11 09:28:50
生活に困っている人に生活保護の手続きを助けてあげたと言うのは、(少なくとも教会の)福祉活動として挙げる話ではありませんよ

それと豚さんの意見からはどうしょうもない利己的な心根が滲み出てる気がします
 
 
 
Unknown (Unknown)
2015-06-11 10:35:30
私は豚さんの話に身をつまされますね。

そりゃあ今でも無償や原価ギリギリででも助けたいと思うことはたびたびありますよ。 

でも以前底なしべったりで来られたことがあって、はっきり断れないでいつまでも経済的に頼られてしまって、断る時に失敗してしまって強く言い過ぎて、逆恨みされる事態になってしまって、いちどそれを経験してしまったら、自分の商売関連で無償奉仕するのは金輪際御免と思うようになりました。

日曜に教師になってほしいとか、宣教師とレッスンを手伝ってほしいとかそういうのでしたら、喜んで引き受けてますけど、それとこれとの線引きはやはり必要でしょう。

高慢といわれたらそのとおりかも知れないが、兄弟姉妹なんだから、何でも安かったり只が当然という空気には尊敬がない。
 
 
 
どちらの意見にも同意としかいえません、、 (ken)
2015-08-25 17:56:30
>それと豚さんの意見からはどうしょうもない利己的な心根が滲み出てる気がします

この豚って人いうことは立派だけど、、以下略。

残念ながら正直わたしも最近の最近の経験でそう感じてしまったのですが

文章だけではその人の本当の本質的なところはわかりません。

ま、、ご自身がハンディを背負ったときにそうやって他人ごとのように言えるかは不明ですが
ね。

かつて私が活発な信者で皆と談笑した古きよき時代

そこでは相互依存の精神が息づいていました。
いまでも楽しい思い出として記憶にのこっています。

私も含め困った信者がいると慰めにいったり引っ越しの手伝いなど手伝ったり

私が病気になったり困ったときはある人はなにもいわずに下宿にきてくれ食事までつくってくれたり

だんだんその雰囲気がおかしくなっていってしまい

悲しみとともに私は不活発会員となりました。

その間すくなくとも私は前と同じように困っている人々や殺傷されようとしている動物といった存在とともにおり

最近では両親にいままで受けた恩返しとばかり介護に専念してます。

ただ、、それは同時にその人々と関わったためにその負の部分までいっしょに背負い込むことにもなったりたかられたり、だまされたり、助けた相手が自立してくれなかったり、、散々なめにもあいましたよ。

良きサマリア人の教えを実直にしていたら自分自身までぼろぼろになってしまったのも事実です。

私は米国、南米、欧州、オーストラリアといった国でもいろいろな経験をしましたが日本においては上記の相互援助の精神とともにすぐれた制度があるのだからそれを活用するということには大賛成です

ただ、、今はどうなっているかわかりませんが活発だった時期にあった相互依存の雰囲気や米国になるような現状にも賞賛を覚えるのも事実です。
 
 
 
訂正、、 (ken)
2015-08-25 23:42:09
>その間

その後 

加齢化、病気などのためとはいえ

自分自身のコミュニケーション能力の低下がどんどん進んでいくことに虚しさを感じる昨今

 
 
 
寂しくなった話 (黄昏のマリア)
2015-08-28 20:36:39
同じワードのA姉妹のケースです。9年前、この方の兄弟が内緒で作った借金のトラブルに巻き込まれてしまいました。被害総額約2億円、地元で大きな事件として報道されました。たいへんな状況でした。
福祉委員会は、評議会メンバーで構成されていました。A姉妹はその一人で、わたしもメンバーでした。その話が監督の耳に入るところとなり、ある日曜日の朝、委員会の時に、彼女の眼の前で、「大変なことになりましたね。生活困窮者には教会が援助できます。どうですか。予算は十分ありますよ。とうとうこのワードでも使う機会が訪れました。施すばかりでなく、施しを受けるのも祝福ですから恥ずかしがらずに。」と、切り出しました。いきなりのことで、A姉妹は、顔から火が出るほど恥ずかしかったそうです。
そして、「ただ条件がありまして。今まで什分の一を完全に納めておられますか。」と続けました。
わたしはなんだか釈然としませんでした。福祉とは聞こえがいいが、「施してあげる」みたいなデリカシーのない上から目線の言い方。
結局、制度を利用することありませんでした。「(使う機会がなくなって)残念ですねー」監督が言いました。
そして、守秘義務があるはずなのに、なぜかワード内に漏れたんですよね。自業自得とか、教会では嫌な思いされたと思います。
その後、複数の仕事の掛け持ちが負担になったのか不治のの病にかかられて、それについてビショップから「何でこんな病気になったのか御心を問うたのですか」とか「同情引くようなこと言わないで」とか「ちゃんと診察受けてるんですか」とか、ちょっと耳を疑うようなことをいわれて、本当に・・・。

福祉制度云々もいいけれど、モラル面で対応の仕方の訓練する必要大だと思います。ワードには「本人の自助努力不足で困窮するのに、なんで助ける必要あるのか」と言う人もいます。路上で死んでも自業自得って思えるような人もいるかもしれない。でも見捨てられるのか。そういう人だとしても憐みを掛けなさいと言うのがキリストの教えだと、マリアは思っているのですが。

あと、福祉を「伝道活動のいいチャンスにしよう!」と言うのもやめて欲しいな。


 
 
 
福祉は手に届かない領域 !? (NJ (沼野))
2015-08-29 10:12:10
貴重な教訓となるお話をありがとうございます。

「福祉」は私たちにとって、訓練されていない、大変大きな問題であると思います。力に不足し、人格的・専門的資格に乏しく、とにかく難しい分野だと受けとめています。

せめて身近に見聞きしたものが学んでいってほしいと思います。

 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。