コメント
顔から火
(
ワサッチ
)
2009-09-08 19:57:10
>まだ過渡的な部分を残す
はい。
色々なところから切り張りで掻き集めているような状態です。
断言していても、そうあって欲しいという、願望を多く含んでいます。
どの人も皆
(
NJ(御同様)
)
2009-09-08 20:49:53
転載のご了解をありがとうございました。
人はみんな言わば過渡期にあって歩み続けているのだと思います。
Unknown
(
みかん
)
2011-05-23 07:03:48
質問が重複するかもしれませんが
仮にモルモン書が創作なら
その創作を元に成り立っている教会に
発展を望む意味はあるんでしょうか?
現代における宗教の意義
(
NJ
)
2011-05-23 08:53:05
モルモン教が19世紀にできた宗教で、経典も同じですから問題が際立って見えますが、本質はキリスト教にもユダヤ教、イスラム教にも言えることです。
本ブログのプライス関連の記事、偽典についての記事を参照してください。(本ブログ左下のブログ内検索で探せます)。聖書の多くの書に偽典性、創作の要素があること、先行する書の解釈が動機となったものなどがあります。モルモン書もその意味で同列に属すると見ることができます。
ある宗教が現代に存続する意義は、いかに現代の必要や問題に対処できるか、人々に希望を与え救済の役割を果たせるかにあると思います。
Unknown
(
みかん
)
2011-05-23 21:35:14
確かにジョセフ・スミスは欽定訳聖書には精通していたと思われますので翻訳作業にその影響は少なからずあったのではないかとわたしも思います
しかし出典の経緯からモルモン書を他の聖典と同列に考えるのは少々乱暴じゃないでしょうか?
仮に教会が創作だったと認めたとしたら例えばどのように人々に希望や救済を与えられるというのでしょうか?
そもそも人々に希望や救済を与えているのはキリストに対する信仰なのでは?
教会の教えは最終的にすべてそこへ落ち着くはずなんですが教義に熱中するあまりそれが見えなくなっている人がたくさんいるように見受けられる気がしてます
鳥瞰図では
(
NJ
)
2011-05-24 22:55:41
モルモン書を他宗の経典と同列におくことについてはもちろん異論、違和感があることは知っています。しかし、宗教学者や研究者の手にかかれば本質において大同小異となります。
教会が創作だったと認めたとすれば・・は、キリスト教会でも同じです。教会はそのようなことを説教壇から言わないでしょう。その教会の文化圏に属する学者は別です。最近のホーキングの発言などがそうです。・・一つの例外?は復元教会でしょうか。モルモン書を二次的ないし除外に近い扱いにしました。
最後のldsのキリストに対する信仰について時に外部からそう指摘されることと、そのような傾向があることは承知しています。しかし、全般的に見ればやはりイエスを救い主と信じ、イエスをキリストとしている信徒の群れに変わりないと思います。
Unknown
(
みかん
)
2011-05-26 17:24:45
そのキリストを証する聖書を創作だと定義するならキリストへの信仰を語るには矛盾が生じると思うのですが…
>教会はそのようなことを説教壇から言わないでしょう
このことを指摘した以前のコメントが削除された理由もよくわかりません
ご自身を反モルモン、反キリストだと思われることを恐れているようにも伺えますが…
この辺で
(
NJ
)
2011-05-27 00:46:41
残念ながら人間の営みには様々な矛盾が伴っています。宗教信仰もその一つだと思います。そもそも宗教の経典は科学の書ではなく、人々の信仰を育むために生まれたものと理解しています。
以前貴殿のコメントを削除したのは、前項に対して的を射ていなかったことと事実誤認が多かったためだと記憶しています。私自身の外部からの評価云々ではありません。
これ以上の問答は平行線をたどるか、生産的に思えないため打ち止めとさせていただきます。
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はい。
色々なところから切り張りで掻き集めているような状態です。
断言していても、そうあって欲しいという、願望を多く含んでいます。
人はみんな言わば過渡期にあって歩み続けているのだと思います。
仮にモルモン書が創作なら
その創作を元に成り立っている教会に
発展を望む意味はあるんでしょうか?
本ブログのプライス関連の記事、偽典についての記事を参照してください。(本ブログ左下のブログ内検索で探せます)。聖書の多くの書に偽典性、創作の要素があること、先行する書の解釈が動機となったものなどがあります。モルモン書もその意味で同列に属すると見ることができます。
ある宗教が現代に存続する意義は、いかに現代の必要や問題に対処できるか、人々に希望を与え救済の役割を果たせるかにあると思います。
しかし出典の経緯からモルモン書を他の聖典と同列に考えるのは少々乱暴じゃないでしょうか?
仮に教会が創作だったと認めたとしたら例えばどのように人々に希望や救済を与えられるというのでしょうか?
そもそも人々に希望や救済を与えているのはキリストに対する信仰なのでは?
教会の教えは最終的にすべてそこへ落ち着くはずなんですが教義に熱中するあまりそれが見えなくなっている人がたくさんいるように見受けられる気がしてます
教会が創作だったと認めたとすれば・・は、キリスト教会でも同じです。教会はそのようなことを説教壇から言わないでしょう。その教会の文化圏に属する学者は別です。最近のホーキングの発言などがそうです。・・一つの例外?は復元教会でしょうか。モルモン書を二次的ないし除外に近い扱いにしました。
最後のldsのキリストに対する信仰について時に外部からそう指摘されることと、そのような傾向があることは承知しています。しかし、全般的に見ればやはりイエスを救い主と信じ、イエスをキリストとしている信徒の群れに変わりないと思います。
>教会はそのようなことを説教壇から言わないでしょう
このことを指摘した以前のコメントが削除された理由もよくわかりません
ご自身を反モルモン、反キリストだと思われることを恐れているようにも伺えますが…
以前貴殿のコメントを削除したのは、前項に対して的を射ていなかったことと事実誤認が多かったためだと記憶しています。私自身の外部からの評価云々ではありません。
これ以上の問答は平行線をたどるか、生産的に思えないため打ち止めとさせていただきます。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。