コメント
 
 
 
Unknown (教会員R)
2016-01-07 15:53:05
ハワード・W・ハンターは、少年のころはかわいそうな猫をたびたび拾っては家で飼っていたというエピソードがあって、人に優しかっただけでなく、動物たちにも優しかった大管長として、日本人の私には親しみが持てる大管長の一人です。

「ささやかな奉仕と犠牲の行いを何千回も積み重ねること、つまり人のため、主のために命を差し出し,命を失うことから生まれる。」の説教をきいて、長年疑問符がついていた聖書の聖句

「わたしがあながたを愛したように、互いに愛しあいなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。」

が解けた気がしました。
 
 
 
最後の一葉 (NJ)
2016-01-07 16:21:09
猫のエピソード、知りませんでした。補足に感謝します。

友のために自分の命を捨てる、ということは普通にはあり得ないと?がつきますね。私もそう思っていました。O・ヘンリーの「最後のひと葉」がヒントになることに最近気づきました。

https://theirvodka.wordpress.com/2015/11/03/short-story-the-last-leaf-by-o-henry/

ある病人が葉が次々落ちていくのを見て、最後の葉が落ちるまでは生きて見届けたいというのを聞いて、友人の画家が病をおして一晩かけて前の壁面に自然の葉と見間違うほどの作品を残します。病人は回復しますが、画家は命を落とすという物語です。(正確には原作をご覧ください。)

命を落とすまでいかなくても、縮めること、睡眠時間など犠牲をはらって、人のために働くことも入ると思い至りました。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。