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Unknown (餃子の女王)
2011-08-04 08:35:59
「罪の赦し」がなくなったのはある種JSの神格化ではないでしょうか。JSの実際の写真と思われる画像を見てもなで肩でほっそりとした印象でちょうど現在の19,20才の若者宣教師のような面持ちですが教会使用の絵や銅像はガッシリしたハンサムになってますから。無意識のうちに自分の気に入るものをひいきしてしまう心理が働いているんでしょうかね。でもそれは真実かどうかというとどちらかといえば不真実になるのではないでしょうか。そんなこと問題ではないといわれれば確かに問題にするほどのことではないかもしれませんが教会全般が脚色に染まっているとなるとそう楽観視できない気もします。
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1行目は時代錯誤 (NJ)
2011-08-04 20:59:40
「罪の赦し」を求めて祈ったという部分が消えたのは、JS自身の語りからであって(19C前半)、JSの画像の変化は20後半-21世紀初めに見受けられる現象です。厳密に見分けなければならないと思います。

(教会全般がJSに対して神格化の傾向があることを否定しているのではありません。)
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神話じゃないから問題なんです ()
2011-08-05 11:02:42
>このような相違があることに対してこれを矛盾ととらえ、長老派の牧師ウェスレー・P・ウォルターズやジェラルド・タナー夫妻が、ジョセフ・スミスの見神録は真実性が疑われると主張した。


>それに対し、テイソムは「ほとんどどの神話(myth)もそうであるが、この場合も最初から仕上がった形で出現したのではなく、むしろ合成されてできあがってきた」のだ、と言う。


モルモン教会で、最初の示現を「神話」だと言ってるのなら、この方の研究は意味があるでしょうが、モルモン教会では、最初の示現を「事実である」と言ってます。

ウォルターズやジェラルド・タナー夫妻は、「真実性」について言っているのです。
それに対して、この著者は、「神話」だとの前提で論議を始めてます。アホです。

モルモン教会が、神話などと認めていないのに、神話だとの前提で論議するのは、問題のすり替えに過ぎません。

この方も、研究者なら、自分の根本的な間違いをまず正すべきです。
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術語としての神話 (NJ)
2011-08-05 11:31:36
「神話」とは。超自然的な物語を神話と呼びます。NTに記載されているイエスの奇跡、処女降誕・・も神話という術語で扱います。

もちろん、教会の説教や信徒間の会話には術語としての神話という言葉はあまり出てこないでしょう。どの宗教も開始時の神顕現について、自ら普通に言う神話(ギリシャ・ローマ神話、説話など本当にはなかった物語の意)であった、とは言わないと思います。

テイソム他ldsにもモルモニズムを一つの宗教として研究する真摯な求道者がいます。人は二つの国語を話すときバイリンガルと言いますが、信仰の世界の言語と学究者の言語を理解・使用する場合も一種のバイリンガルと言えます。

そのことに気付いて欲しいと思います。
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二枚舌 ()
2011-08-05 20:00:34
そう言うのは日本語で二枚舌って言うんじゃないですか?

神話はフィクションですからね。
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学問は術語を必要とする (nj)
2011-08-05 20:29:14
> 二枚舌・・

というより専門用語(ここでは学術用語)と一般的な言葉の違いというのが妥当でしょう。英語から入ってきたり、日本独自のものもあると思います。

民俗学で言う、「はれ」と「け」、心理学で言う「甘え」も術語化しています。考えてみればスポーツでもマスコミ、芸能界、宗教界、どこにもそこで発達した特殊な用途の術語があります。一般の言い方(及その意味)と二つあっても別に二枚舌とは言わないのではないでしょうか。
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