コメント
Unknown
(
nanashi
)
2005-12-24 13:17:42
なるほど、初めは、語らないように言われてたのね、そして、自信が...おそらくは、使徒や神権指導者とか信仰試された会員が増えてから、より詳しく語るようなったと...今朝、200年記念衛星放送聞けました、印象深いところが少々ありました、ジョセフについて証や霊的なものを求め祈って出席したんですから、ま、あの祈りの通訳があんまりかも、開閉会の祈りで英語がちょっともれましたが、残念ながら、ちゃんと通訳してないみたい。
Unknown
(
nanashi
)
2005-12-24 13:43:59
82年7月、教会歴史バスツアー参加、日本人私だけ、ガイドはSLCでのインスティテュト先生で奥さん、学生の息子さんと、他はユタ、カリフォルニアの年配夫婦。あの時、バスツアーガイド何度か目だったが、初めて運転手さん誕生地にたどりつけたと言ってた…あのオベリスクの印象あります、その背景について今朝の話にあったようなことを聞いていたのかも、でも今より昔、英語もっと聞き取れませんでしたから。
コメントありがとうございます
(
NJWindow
)
2005-12-25 22:14:47
JS生誕200周年記念衛星放送をご覧になった印象と昔教会歴史ツアーに参加されたお話をありがとうございます。
わたしはいずれも経験していません。今年度催された行事や学会の模様を追ってみる必要を感じています。
ボーゲルの見方
(
NJWindow
)
2005-12-30 01:33:09
昨年批判的立場からジョセフ・スミスについて研究成果を著した、ボーゲルがその中でJSの見神についてどう言っているか、興味を覚えて調べてみた。
ボーゲルはJSの見神が1820-21年に遡り得ることを確認し、その後の変更はJSの「変遷する神理解(evolving theology)」を反映している、と書いている。言い換えると1838年の記述に神(天父)が姿を顕されたことが加わっているのは、初めJSの神理解が三位一体的であった(BofMに痕跡)のが、三位が別個の存在であるという概念に変っていく過程と一致する、と見ている。これは大変興味深い指摘であると思う。
Dan Vogel, “Joseph Smith – The Making of a Prophet” Signature Books, 2004, pp. 30-32
なお、私の姿勢は教会を代表する擁護派というより(そのような見方は教会が迷惑するかもしれない)、一観察者の見方であり、観察される共通点(パウロの示現、共観福音書の異同とJSの場合など)から伝統的キリスト教会もlds教会とそれほど異なるものではないと観るに至っている。宗教学者(聖書の高等批評研究者を含む)もそう考えることであろう。
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わたしはいずれも経験していません。今年度催された行事や学会の模様を追ってみる必要を感じています。
ボーゲルはJSの見神が1820-21年に遡り得ることを確認し、その後の変更はJSの「変遷する神理解(evolving theology)」を反映している、と書いている。言い換えると1838年の記述に神(天父)が姿を顕されたことが加わっているのは、初めJSの神理解が三位一体的であった(BofMに痕跡)のが、三位が別個の存在であるという概念に変っていく過程と一致する、と見ている。これは大変興味深い指摘であると思う。
Dan Vogel, “Joseph Smith – The Making of a Prophet” Signature Books, 2004, pp. 30-32
なお、私の姿勢は教会を代表する擁護派というより(そのような見方は教会が迷惑するかもしれない)、一観察者の見方であり、観察される共通点(パウロの示現、共観福音書の異同とJSの場合など)から伝統的キリスト教会もlds教会とそれほど異なるものではないと観るに至っている。宗教学者(聖書の高等批評研究者を含む)もそう考えることであろう。