コメント
素直に受け取る
(
豚
)
2014-10-27 09:38:13
結果が推論と違っているときは、前提を疑うのが論理の鉄則です。
「神が慈悲深く愛にあふれている」と言う前提で神について考えるので、聖書の記述に疑問が生じるのでは?
「神は残酷で情け容赦なく、神自身の思いのままに行う」との前提に立てば、ヨシュア記の記述も疑問を持たずに読めます。
もし神が人間よりも先に存在し、その存在が人知を超えていると仮定するのなら、神が人を虐殺する命令を出しても、何の疑問もわかないはずです。
そしてそれに無条件に従うのが、真の信仰者の姿です。
しかし、もし信仰者に、人を愛し慈しむ心が有れば、時に神の理不尽と戦う覚悟が必要になります。
つまり、神の側に立つのか、人の側に立つのか、自分の立ち位置を決めなければいけないと言う事です。
歴史を見ても、多くの人が神の理不尽と戦ってきました。その歴史の上に、ヒューマニズムが生まれ、今の民主的な人間社会が存在するのだと思います。
神の行う理不尽も、この世で人間が真の意味で成長し神に近づく為の試練かと思います。
私達は「自由意思により正し事を選ぶ」訓練を受けています。神の理不尽と戦う事は、その訓練の一つでは無いでしょうか?
無条件に神の言葉に従うのが信仰ではない。自由意思と、与えられた英智によって、神の意志を考え、真理を選ぶのが信仰だと思います。
メッセージは悔い改め
(
オムナイ
)
2014-10-27 14:31:30
参考になります。
特に5の
旧約時代の世界では、現代より遥かに露骨に強国が周辺諸国を蹂躙、殲滅、あるいは統治・支配して、弱肉強食の原理が働いていた。
部分は近代までそうだったように思います。
広島・長崎の原爆投下は旧約であればソドムとゴモラを滅ぼした硫黄の火のように描かれるだろうし、ヒトラーやサダムフセインは悪の権化として登場することでしょうね。
ただ、ノアの洪水にしろモーセの殺戮の物語にしろ善なる神に従えば勝利し悪に染まれば滅びるとうい大原則と終末の裁きを象徴的に教えているのであって現実の生活での善悪の判断は新約的な「御霊の導き」をセットで学ばなくては。。
旧約は原理主義的な思想で使い物にならない。神に反抗すべきだ的な本末転倒な理解になりかねません。
十字架の上で命を捧げ全人類の罪を贖った
(
ろっくん・R・きっこーまん
)
2014-10-27 16:10:58
救い主イエスはその直後、地球の裏側までひとっ跳び、古代アメリカ大陸の住民たちの中で天変地異を起こし、多くの罪深い者たちを皆殺しにした後、真っ暗な闇で全地を覆うんですね。生き残った者たちは恐怖におびえて3日間を過ごします。
これがキリストの愛なのです。
これは歴史上の事実です。この末の日に生ける予言者ジョセフ・スミスに与えられたモルモン書にはそのように書かれているのですよ。
これは旧約の神がイエスであることを示す確かな証拠なのです。
聖書研究者やこの世の学問になど頼る必要はありません。答えはもうそこにあるのです。ご友人にはモルモン書を読むことをお勧めください。
末日聖徒イエス・キリスト教会が唯一まことのキリストの教会であることを証します(笑)
ええーと
(
エヌ・ジェー
)
2014-10-27 17:37:06
「笑」っていますね、ということは、浪速風のおち?あなたは?真意は?・・・ろっくん・R・きっこーまんさん。
Unknown
(
Unknown
)
2014-10-29 22:25:13
きっこ‐マンさんへ
教義と聖約88章を読むとよいですよ。特に77節から81節を。
始めから終わりまで読んでみてください。
後は自分の理解の賜物で頼って知ってください。
エヌ・ジェーさんへ
(
ろっくん・R・きっこーまん
)
2014-10-30 05:29:33
たとえば名前欄に「エヌ・ジェー」と書かれますと、はて、この人はNJさんかな? 別人かな?と考えてしまいます。
もしNJさんなら、なぜ今回だけは「エヌ・ジェー」と名乗っているのはなぜ?その真意は?と考えてしまいます。
また別人であれば、なぜNJさんと混同しやすい名前にするのか、その真意は?と考えてしまいます。
あなたもそういう効果を狙って「エヌ・ジェー」と名乗っていらっしゃるのではありませんか?(いや単なる気まぐれかもしれませんが)
私も証の最後に(笑)と記する意図は、あなたが「エヌ・ジェー」と名乗るのと同じです。
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「神が慈悲深く愛にあふれている」と言う前提で神について考えるので、聖書の記述に疑問が生じるのでは?
「神は残酷で情け容赦なく、神自身の思いのままに行う」との前提に立てば、ヨシュア記の記述も疑問を持たずに読めます。
もし神が人間よりも先に存在し、その存在が人知を超えていると仮定するのなら、神が人を虐殺する命令を出しても、何の疑問もわかないはずです。
そしてそれに無条件に従うのが、真の信仰者の姿です。
しかし、もし信仰者に、人を愛し慈しむ心が有れば、時に神の理不尽と戦う覚悟が必要になります。
つまり、神の側に立つのか、人の側に立つのか、自分の立ち位置を決めなければいけないと言う事です。
歴史を見ても、多くの人が神の理不尽と戦ってきました。その歴史の上に、ヒューマニズムが生まれ、今の民主的な人間社会が存在するのだと思います。
神の行う理不尽も、この世で人間が真の意味で成長し神に近づく為の試練かと思います。
私達は「自由意思により正し事を選ぶ」訓練を受けています。神の理不尽と戦う事は、その訓練の一つでは無いでしょうか?
無条件に神の言葉に従うのが信仰ではない。自由意思と、与えられた英智によって、神の意志を考え、真理を選ぶのが信仰だと思います。
特に5の
旧約時代の世界では、現代より遥かに露骨に強国が周辺諸国を蹂躙、殲滅、あるいは統治・支配して、弱肉強食の原理が働いていた。
部分は近代までそうだったように思います。
広島・長崎の原爆投下は旧約であればソドムとゴモラを滅ぼした硫黄の火のように描かれるだろうし、ヒトラーやサダムフセインは悪の権化として登場することでしょうね。
ただ、ノアの洪水にしろモーセの殺戮の物語にしろ善なる神に従えば勝利し悪に染まれば滅びるとうい大原則と終末の裁きを象徴的に教えているのであって現実の生活での善悪の判断は新約的な「御霊の導き」をセットで学ばなくては。。
旧約は原理主義的な思想で使い物にならない。神に反抗すべきだ的な本末転倒な理解になりかねません。
これがキリストの愛なのです。
これは歴史上の事実です。この末の日に生ける予言者ジョセフ・スミスに与えられたモルモン書にはそのように書かれているのですよ。
これは旧約の神がイエスであることを示す確かな証拠なのです。
聖書研究者やこの世の学問になど頼る必要はありません。答えはもうそこにあるのです。ご友人にはモルモン書を読むことをお勧めください。
末日聖徒イエス・キリスト教会が唯一まことのキリストの教会であることを証します(笑)
教義と聖約88章を読むとよいですよ。特に77節から81節を。
始めから終わりまで読んでみてください。
後は自分の理解の賜物で頼って知ってください。
もしNJさんなら、なぜ今回だけは「エヌ・ジェー」と名乗っているのはなぜ?その真意は?と考えてしまいます。
また別人であれば、なぜNJさんと混同しやすい名前にするのか、その真意は?と考えてしまいます。
あなたもそういう効果を狙って「エヌ・ジェー」と名乗っていらっしゃるのではありませんか?(いや単なる気まぐれかもしれませんが)
私も証の最後に(笑)と記する意図は、あなたが「エヌ・ジェー」と名乗るのと同じです。